Chapter22-3
「ここはどこだよ」
目が覚めて一発目、自然と口から出たのはそんなセリフだった。
ハチの目に飛び込んできたのは、お世辞にも綺麗な造りとは言えない天井と、そこから釣り下げられた、乾物や道具の数々。
まるでここは納屋だ。
気付けばどこか雑な造りの寝床に寝かされている。
手触りの悪い麻袋を編んだような枕に、藁と砂の香りがする敷物。こんなところで一晩も寝れば確実に腰を痛めてしまうだろう。
寝床の横には樽に木板を乗せただけの簡素なテーブルが置かれており、その横には木箱をひっくり返しただけのお粗末な椅子が置かれている。
テーブルには食べかけの木の実と、飲みかけの水が入ったグラス。ナイフとロープなどの道具が置かれている。
テーブルとは反対側の壁には出入り口があり、編んだ布紐のようなものが何本も垂れ下がる、古い暖簾が掛けられている。
「んしょ……んん?」
起き上がったハチは、体の動きに違和感を覚えた。
胸を見ると、包帯がきつく巻かれている。これも新品のような純白ではなく、何処か茶色い布のような荒い物だった。
「緑千寺、目が覚めたのか」
これはなんだと包帯を見ていたハチに、聞き慣れない低い声が投げかけられた。
気付いて顔を上げると、部屋入り口の暖簾をめくって、大男が顔を覗かせている。
黒々と焼けた、厳ついまでの肌色。暖簾をめくる腕は太く逞しい。
口ひげは固く縮れ、口元を覆うように生えている。髪は全て上へ立ち、額には紅色のバンダナが巻かれていた。
厳つい大男は屈みながら、頭を打たないように部屋に入ってきた。
背を伸ばすとその巨体が更に明らかになる。入り口よりかは三十センチは大きい巨体だ。
男の服装は簡素で、枕と同じような固い生地で作られたシャツを着こみ、首からは鳥の羽根と何かの牙を括り付けた首飾りを下げている。
スボンはポケットの多いしっかりとした革製で、腰には民族衣装の様な腰巻を巻いている。その内側に、大きなナイフを下げているのが見て取れた。
「あんたは」
ハチはこの人物を知っていた。何度か顔を合わせており、話をしたこともあった。
「ライグラスの村長さんじゃないか」
この巨体を持つ大男は、ライグラスの村長だった。
彼の名はグルドと言う。
ハチが討伐を得意とする岩型モンスター、ビズラリックは、この地域にも何度も出現し、その討伐しに来た際、毎回村長と会っていた。
グルドは巨体を木箱椅子へ腰かけると、飲みかけていたグラスに手を伸ばした。
「グルド。俺、なんでこんな所にいるんだ?」
グルドは口元まで運んでいたグラスを机に置き直すと、不思議そうにハチを見た。
「覚えていないのか?」
ぶっきらぼうで、耳に残る低い声だ。
「全くだ……あんたが助けてくれたのか?」
「いや、見つけたのは他の村民たちだ。荒野のど真ん中で倒れていたそうだ。たまたま通りかかったから良かったものの、お前、あのままだったら死んでいたぞ」
怒ったかのような、心配するような、しゃがれた声。
ここへきてようやく、グルドは水を飲み干した。
「そのまま放っておいてくれて良かったのに」
「……何?」
ハチは恨めしそうに包帯を見ながら、聞こえるようにわざと呟いた。引っ掻くように包帯に爪を立ててみる。
「やめろ、傷口が開く」
低い声により一層力がこもった。
「あんた、この傷を見たのか」
「……」
グルドは押し黙った。しかし、俯くこともせず、ただハチの目を凝視している。
「なんか言ったらどうだ。見たか、見ていないか。それだけだろ」
グルドの対応が頭にくるハチ。
お前、見たんだろう、と。俺の体の中を見たのだろうと。
「見た。手当てをしたのは俺だ」
ふんと大きく鼻息を吹き、固い髭をほんの少し揺らしてグルドは答えた。
「だったら分かるだろ。俺が死にたい理由が」
ハチがグルドの大きな目を睨み返した。これ以上言わせるなと、そう告げている。
「死にたい? 何故だ。俺には分からん」
「はぁ? あんた、俺に喧嘩売ってるのか? この傷を見て、何もわからなかったのか?」
「分からんな」
ハチが汚く舌打ちを打つ。
堂々と構え、椅子の座り方ひとつ変えない大男を見ていると、頭に血が上って行くのが分かる。
「俺はお前とは違うんだよ! 見ただろ、俺の体の中を! 俺が得た力は俺の力じゃなかったんだ。お前みたいな人間には分からない問題さ!」
「なんだと」
力み叫んだハチだったが、ひどく低いグルドの声に、僅かに気圧されてしまう。しかし、ひるんだ様子は微塵を見せるまいと、グルドに更に食って掛かった。
「得たものも、自信だと思っていたものも、全て幻想さ。この絶望があんたに分かるのか」
「分からないな」
「だったら口出しするな!」
一層の声を張る。しかしグルドは一つとして動こうとしない。
「緑千寺、お前は、そんなに人間であることが大切なのか」
「はぁ⁉」
「その形が大切なのかと、聞いている」
グルドの大腕が机にどんと乗りかかった。黒い艶のある巨大な黒い拳が、机の上で握られている。
「そ、そりゃあ大切だろ!」
「何故だ」
「何故って、そりゃ……」
「人の形をしていることが、そんなに偉いのか? そんなに力のある物なのか?」
「それは……」
グルドのはっきりとした声量に、ハチが次第にたじろぐ。
「外見がどんな形であれ、素晴らしいもの、強きものは沢山ある。緑千寺、お前の強さは、外見なのか」
「違う! 俺の強さは力の強さだ!」
「ならば何故、自分の形を否定する? お前は形や外見にとらわれるほどの、くだらない存在だったのか?」
「貴様! 言わせておけば!」
グルドの発言にとうとう牙をむく。寝床から立ち上がると、グルドへ手を上げた。
がしり。
グルドへ突き出したハチの右腕は、いとも簡単に大腕で受け止められてしまった。
「これが、お前の強さなのか?」
「……くそっ」
「これが、お前の、“強さ”なのか?」
ハチの手を握る力を、グルドが一層強めた。
骨の軋むような痛みがハチを襲うが、平気な顔をして見せた。
「つっ、何が聞きたいんだ、グルド」
「これがお前の強さかと聞いているんだ! 答えろ、緑千寺!」
突如、部屋に響く怒号。
グルドの低く、くぐもった声がハチの頭の中にこだました。




