Chapter21-5
「ん……? ここは、どこだ?」
俺の頬が貼りついていた床は冷たかった。大理石かと思ったが、そうではないらしい。
立ち上がろうと手に力を込めると、その床は指の引っ掛かりが一つも無い。これは石の触感ではない。
「んしょっと」
両手ですべすべと床を撫でると、そのまま立ち上がる。辺りは暗いが、床と壁がぼんやりと青い光を放っている。
どうやら、クリスタルを含有する板材が使われているようだ。
「地下室、か?」
俺はぐぐっと目を細め、辺りを見回した。
俺が倒れていたのは部屋ではなく、廊下のような場所だ。幅は五メートルくらいで、天井まではそう高くない。自分の前と後ろには、どこまでも道が続いている。
(しっかし、ここはどこだ? 俺は確か――)
眉間を押さえ、記憶を辿った。ここに居る前は、確か――
「そうか、森で確か…… 傷は⁉」
そうだ、俺は絶壁の前で、肩を打ち抜かれ、そのまま記憶を失ったのだ。
慌てて右肩を押さえた。心拍数が上がり、触った感覚がよく分からない。
一呼吸つき、もう一度肩に触れた。
「あれ? 治ってる」
手をどけ、目視で確認した。
辺りは暗く見えにくいが、確かに傷は癒えていた。服は穴が空き破れたままだが、その奥に見える肌には何の傷も無い。
(誰か治してくれたんかな。そんなことより――)
「ここはどこなんだよ!」
くわんくわんと、若干声が反響したが、その問いに誰も答えてはくれなかった。
俺がこの状況を理解できないのも無理はない。なぜなら、俺は森の中で撃たれた直後に気を失い、気付けばここに横たわっていたのだ。
普通の人なら、訳も分からず混乱してしまう状況下だと思う。
(俺は崖に落ちたんだよな……?)
死んだのか? とも思ったが、にしてはどうにも感覚がリアルだ。試しに脈を取ると、指先に確かな鼓動を感じた。
死ねば天使が迎えに来るだなんて信じちゃいないが、この場所は少なくとも俺の知る技術が溢れている。
何かしらの方法でこの場所に飛ばされ、一命を免れたというわけだろうか。
「もしかして、ゆいちゃんの転移魔法か……?」
全てが憶測だ。この場をまとめてくれるタケもいない。
俺はとりあえず転移魔法で転移させられ、まだ生きていると仮定し、今自分が向いている方向へ歩を進めた。
ポーチから明かりを出そうとしたが、どうやら森での戦闘で手裏剣と共に落としてしまったらしい。何枚かの手裏剣と、いくつかの道具も見当たらない。
「このブレスレットにまた頼るかぁ」
右腕を前に差し向けながら、回廊を進み始めた。
進むたびに足元からこつこつと音が鳴る。クリスタルの床は、石のそれよりも音が良く響く気がする。
(ん? 曲がり角か)
ブレスレットの光が、目の前数メートル先の壁を照らし出した。
そのまま進むと、予想通り曲がり角があり、右側に道が続いている。そして、その先に上へと続く階段がぼんやりと見えた。
「ふぅ。なんとか出られそうだな」
溜息を一つ。
ここは何処なのか、何のためにあるのか。そもそも何故ここに居るのか。
何も全く分からず謎は尽きないが、今はここから出られるかもしれないということに安堵した。
(上がった先に大天使様がいたら、俺は笑うぞ)
階段を上がると、上に光が見えていた。青白い光だ。まだ数十段あるが、俺の足なら上まで十秒と掛からない。
足取り軽く、たんたんと階段を昇りつめた。
「な、なんだここ⁉」
階段の先は、久の予想とは大きくかけ離れた光景だった。
そこには天使などおらず、外でもなかった。
今までと同じ材質で出来た床と壁で出来た、広間。
その広間の両側、階段を上がった左右に、ずらりと液体の入った大きな瓶のようなものが、どこまでもずらりと一列に並んでいるのだ。
「こ、ここは、何だ……?」
予想だにしない不気味な光景に、後ずさりした俺は階段へ転げ落ちそうになった。
なんとか踏み外しそうになる足に力を込め、広間の床へ立ち直った。
培養槽、と言うんだろうか。それは左右合わせ数百は並んでいる。瓶と言うより、ガラスの大きな筒のようなものだ。
一つ一つが磨きこまれた正方形の石で出来た台座に乗せられており、その筒の中はやんわりと光を放つ謎の液体で満たされている。
全ての槽の上は同じくガラスで蓋がされているが、その蓋の上には管のようなものが何本か取り付けられており、管は天井に取り付けられた一際大きな配管に合流し、真っ直ぐどこかへ向かっている。
広間は不気味なまでに涼しい。保冷庫のような温度だ。何かをこの槽で保存しているのか。
それとも実験か。不吉な考えが頭をよぎる。
肌にまとわりつく不気味な怖さを振り払い、歩を前へとすすめた。
左右どこ見ても景色は変わらない。部屋の端まで続く、ガラス筒の行列。
俺はいつしかポーチに手を掛け、いつでも手裏剣を抜ける体勢を取った。
そんな警戒色の映るオレの目に、またしても階段が映った。
(いや、階段じゃないな。段差の上に大きな培養槽があるのか……?)
捉えた段差は階段ではなかった。
数段の段差になっており、その上に一際大きなガラスの筒が同じように鎮座している。
ここまで気配を落とし、警戒したのはいつぶりだろう。
一歩ずつ慎重に進んで行く。筒の隙間から突如何か現れてもおかしくない雰囲気だ。
――かさり。
慎重に進んで行く俺のハイカットブーツが、何か踏んだ。軽い音が鳴り、若干足を取られて滑る。
「これは……」
俺が踏んだのは、いつここに置かれたのか分からない、古い古い書類だった。
何枚かの紙がまとめられ、段の上に落ちている。
(報告書、極秘……?)
書類の上に大判に押された赤の判子。
そこに刻まれた文字を読み取り、俺は書類を拾い上げた。上から何枚かを指で弾いて捲り、書類に目を落とす。
「錬禁計画第二十五次報告……、クォーツとオニキスの進捗状況?」
書類には聞いたことも無い単語の羅列がいくつも並んでいた。文章として読めても、中身は全く理解できない。
拾い上げた書類を元の場所に置いた。
すると、全く気付かなかったが、その場所には他にも何枚もの紙や書類が散乱していた。手に取った書類の他に、いくつも乱雑に撒かれたかのようにあちらこちらに散乱している。
らしくも無く一つ身震いをすると、階段を上がり切った。
そこには自分の背の三倍はあるガラスの筒があり、同じように液体で満たされている。天井に見えていた太い配管は、この筒の上に繋がっていた。
今まで左右に並べられていた筒に比べると、こいつは大きい。縦横は倍ほどあるんじゃないだろうか。
眼前に置かれている筒の違いは大きさだけかと、俺は瓶を凝視した。
すると一つ、違う点を見つけた。
ガラス筒の下側に、文字が彫られている。
「Quartz……クォーツ?」
どこかで見た単語。
(そうか、さっきの書類か)
俺はもう一度、その書類を手に取ろうと、階段を一段降り、石床へ視線を落とした。
その時、一枚の写真の入った紙が、書類を探す俺の目に入った。
自分の左下に落ちている、白黒写真が表紙の書類。
俺は、何の気なしに、その書類を拾い上げた。
『錬禁計画第三十二次・最終報告書 クォーツ』
そう書かれた書類には、まさに今、俺自身が立っている場所の写真が表紙を飾っていた。
何も入っていない今と同じ筒の横に、白衣を着た何人かの人間が立っている。
(クォーツ……)
そして何の気なしに、その書類を開いた。
痛んだ書類は縁が折れて何枚かが重なり、一定のリズムを刻むことなく、バラッバラッとページが捲れていく。
そして、指先に引っかかるように開いて行く書類は、最後のページで動きを止めた。
「な、なんだよ、これ……」
自分でも両目が見開いていると、すぐに分かった。
今の俺の顔は、ものすごく滑稽だろうさ。
最後のページは、表紙と同じく、白黒の写真が中央に配置されていた。
瞳孔が見開く感覚を、俺は初めて感じた。
書類を持つ片手はがたがたと震え、それは次第に全身に広がり、気付けば俺はその場に倒れ込んだ。
「なんで……どうして……」
手から、書類が滑り落ちた。
開いたページが上を向き、床にそのまま落ちた。
「どうして筒の中に――」
「俺がいるんだ!」
錬禁計画第三十二次・最終報告書 クォーツ。
その最後の写真には、筒の中で眠る、『緑千寺八朔』の姿があった。




