Chapter21-3
中央研究所は、久たちがここに辿り着いた時より、騒然としていた。
部屋の中央に浮かぶ数十メートルのクリスタルは青く光を放ち、その魔力が壁側に取り付けられた、制御盤のようなものへ次々と流れていく。
その前では局員が手を嵐のような速さで動かし、息つく間もなく制御盤を操っている。
空中に浮かぶホログラムのような画面には、多くのグラフや数値が絶え間なく動いている。恐らく皆、ヘリオへの対策をしているのだろう。
久たちは極力仕事の邪魔にならないよう、部屋の中央、クリスタルに寄れるところまで寄った。
そこでなら通行の邪魔にも、作業の邪魔にもならずに済む。
「そういえばさ、リリオットではどうして転移が出来たの? かなりの魔力が必要だって聞いているけど」
忙しなく動き回る人たちから視線を外したジョゼがゆいに問う。
「あの時、微かに劫火煌月の魔力を感じたの。多分、あの近くに身を潜めてたんだと思う」
ティリアの言う通り、杖は自らを隠す場所を変えていた。それが運よく、あの断崖の近くだったようだ。
「準備、始めるね」
ゆいは一つ呼吸を整えると、杖を横に持ち、意識を集中させた。
ゆいの蒼い魔芯が輝きを放ち、それが杖の魔力と溶け合うのが分かる。部屋に充満したクリスタルの魔力を存分に吸い取り、その力で杖との共鳴を更に更に強くする。
転移魔法は転移先のことをある程度知っていなければならない。イメージを掴めなければ転移は成功しないどころか、どこか分からない場所に飛ばされることもある。
結果として砂漠にばらばらに転移してしまったが、ここリノリウムのことをほとんど知らなかったゆいがここへ転移できたのは本当に運が良かったと言えるだろう。
しかし、今回の転移は違う。
ゆいは今回の場所、ライグラスへは行ったことがあるのだ。過去に一度、学園の校外実習で、ライグラスに生息する魔法植物を採取しに足を運んでいる。
数年前のことで細部まで記憶はしっかりしていないが、目を閉じ集中すれば、あの一面に広がる赤い岩山と、強く照りつける太陽を思い出すことが出来た。
ゆいの足元に小さく生まれた紫の魔法陣は、非常にゆっくりと、その大きさを増していく。ゆいの魔力共鳴が強くなればなるほど、魔法陣は強く大きく成長する。
直径を三メートル程まで広げた魔法陣は、その成長を止めると、ゆいを主軸にするように、土星の輪のように回り始めた。
立体魔法陣だ。上位の魔術になると、魔法陣は平面でなく、このように立体化し、術者の周りを回転する。その輪の数が多ければ多い程、その魔術は上級魔法とされる。
一人、魔法陣の中で髪を靡かせるゆい。
星色の銀の髪は蒼の流れ出る魔力を一杯に吸い込み、青白く輝いて見せる。
愛杖リューリカ・シオンは、そのクリスタルをより一層煌めかせ、主人の期待に応えようと、優しいながらも強い光を放っている。
ゆっくりと回転する魔法陣の輪は、六人を包み込むほどの大きな円となり、その成長を止めた。
「準備、完了だよ」
額に微かな汗を流し、ゆいが展開の完了を告げた。誰が言う訳でもなく、六人は手を取り合い、一列に並んだ。
「よし、それじゃあ行こう。ライグラスヘ!」
久が士気を高めるため、一層の声を張る。全員が拳に力を込め、一様に力む。
「短い間でしたが、本当にありがとうございました!」
転移魔法の光が泡となって溢れだし、視界が光に包まれていく。
主任とその横にいた何人かの局員は、久たちが完全に消えていなくなるまで、深々と頭を垂れていた。
◇ ◇ ◇ ◇
脚は地面に着いているのに、頭だけが大きく揺さぶられるかのような、居心地の悪い揺れが六人に襲う。
三半規管を狂わせるようなひどい揺れと、歪む世界。世界は白の点滅を繰り返し、時に数メートル落下したかのような、腹部を凹ませる感覚に苛まれる。
頭が回り、目の奥が弾け、喉に渇きが走ったその刹那、一瞬のブラックアウトの後に、全員は先程までとは違う地面を踏みしめていることに気が付いた。
「つっ……」
目を開くと、リノリウムと変わらない強烈な日差しが六人を指した。
次第に着色されるその世界は、見慣れたどこまでも続く青空と、見慣れないどこまでも続く赤い大地が織りなしていた。
「転移、完了――」
視界にはちゃんと、自分を含め六人が揃っている。気絶もしていない。
成功だ。大きく息を一つ吐くと、ゆいはその場に倒れ込みそうになったが、それに気付いた織葉がゆいを支えた。
「ゆい、大丈夫か?」
「うん、平気。上手くいって安心したら気が抜けちゃった」
ゆいは支えを外してもらい、もう一度大地の感触を踏んで確かめた。
赤茶色の岩肌が、どこまでも続いている。
眼前数メートル先は深い谷で、その向こうには起伏の激しい岩山が連なり、いくつもの断崖を作り上げている。植物は殆ど生えておらず、所々に多肉植物が顔を見せている程度だ。
日差しもきつく、じりじりと肌を焼いているのが分かる。
「でも、村に直接は転移出来なかったね」
「いや、上出来だよ。こうやって六人、普通なら何時間と掛けて行かねばならないところを、瞬時に移動できてる。ゆい、難しい魔術をありがとうな」
タケがゆいの横へ立ち、肩を一つたたく。
ユーリスで転移魔法を学び、まだ数日と経っていないのに、この精度だ。タケはゆいの実力に脱帽していた。
「ほんと凄いわよ。それに、いきなり村の中でなくて良かったかもしれないわ。いきなり村に転移すると、それこそ雹達に嗅ぎつかれるかもしれないもの」
「ジョゼの言う通りだな。下手に村の中央なんかより、ずっと安全だよ。えーと、今この場所は……」
久は上着のポケットの手を突っ込み、小さく折り畳まれた地図を取り出づと、地図上の目印を探しながら、なんとか今の位置を探り当てた。
「村はこの先、まっすぐ北に行ったところだ。まずはこの谷を越えないとだな。ゆい、ノートの方はどうだ?」
「えっと、ちょっと待ってね」
ゆいは長杖を軽く握り、魔力素子化の呪文を解いた。すると杖のクリスタル部に埃のような魔力が集まり、次第にノートを形成していく。
杖のクリスタルが輝きを止め、実体化したノートが浮かび上がる。
ゆいは手に取り、ページを開こうとした、その時。
「きゃっ!」
何かが、風の如き速さで動き、ゆいの手からノートをひったくった。
ゆいのか弱い手は反応しきれず、空を摘まんだ。
「お前、何すんだ!」
何があったのかすら分からないゆいに、織葉の怒り声が届いた。
見ると、自分の目の前数メートル先で、ハチが潰すようにノートを片手で握りしめていた。
顔は、伏せたままだ。
「は、ハチくん……?」
ゆいの驚きを隠せないその声に、ハチがぎりりと奥歯を噛みしめ、犬歯を剥き出しにした。
「ハチ? どうし――」
「黙れ! 誰もその場を動くな!」
久の声を、ハチが掻き消した。
どこかの岩山にハチの怒号がぶつかり、いくつもの声を反響させた。
「俺は……俺は! こんなくそみたいなノートにっ!
振り回されてたまるか! 何が力だ、何が能力だ! こんな、こんなただの紙にッッ!」
俯いた顔を上げ、ハチは五人を睨み付ける。
怒号を張り上げ、より一層、ノートを握りつぶす。
「ハチ、お前、何が――」
「黙れ黙れ黙れ! お前らに、お前らに俺の何が分かる! 何を知ってる! いつまでもいつまでも、仲間面しやがって!」
あまりの怒りに、全員が圧倒される。
これは、織葉に向けるような単純な怒りではない。ハチの心の奥に潜む、溢れてはいけない感情が一気に溢れだしている。
「ハチくん! お、落ち着いてよ。どうしたの!? そんなに大きな声一一」
「でかい声⁉ 出させてるのは何でか、ちょっとは考えて見ろよ! ええ⁉」
「そんな……わからないよ…… ハチくん、怖い……」
ゆいはあまりのことで手から長杖を取り落とし、目じりに涙を溢れさせた。圧倒的な人の怒りと怒鳴り声を向けられ、泣いてしまう。
「お前っ! 何があったのか知らねえけど、言いすぎだろ! ゆいに謝れ!」
「……ハチ、一体どうした? 何か、何かあったのか?」
怒る織葉と、心配するタケ。タケはハチに歩み寄った。
長い付き合いだが、いきなり怒鳴り出すハチなど見たことが無かったし、ここまでの怒りも初めてだ。
「……タケ、お前は、俺が必要なのか」
ハチの鋭くきつい視線が、タケの眼鏡越しの鋭利な目にぶつかる。
タケは一拍の空きもなく、即座に答えた。
「当たり前じゃないか! 今まで、何だってチームで乗り越えてきた。ハチの力があったからこそ、乗り切れたことだっていくつもある。チームとしてじゃなくても、ハチは大切な仲間じゃないか」
「……は、力か。こんな力、もういらないよ。磨きをかけた技も、勘も……こんな力で救える世界なんて――」
ハチはノートを握りしめた手を、天高く伸ばした。
「もう、俺には必要ない!」
ハチの振り抜いた腕の速度は、タケの目でも追えなかった。
ハチは一瞬で体を反転させると、手裏剣を投げる動作とは程遠い力任せのフォームで、握りつぶした台本ノートを放り投げた。
丸められた台本ノートは僅かに回転しながら空を切り、眼前に裂けた谷底へ、吸い込まれるように落ちていった。
「このっ! 馬鹿野郎が!」
大きく踏み込んだ久が、ハチの襟首を思い切り掴みあげた。だが襟首を引き寄せられてもなお、ハチはその怒りに満ちた視線を止めようとしない。
「あんな紙切れに左右される世界なんてごめんだ。俺の力で救える世界なんて、そんなもんいらないんだよ」
久よりも背も低く体格も体重も軽いハチ。その小柄なハチが、軽く久を突き飛ばした。
両肩を強く叩かれ、襟首から手が滑る久。久は怒りの眼差しをハチに向けると、もう一度掴みかかろうとした。
「トロい!」
ハチは久の動きを完全に見切り、僅かなサイドステップで完全に躱した。
体重と力が載り、前のめりになる久。完全にバランスを崩した久を横目で見たハチは、ポーチからくるみ大ほどの大きさの、黒色の球を取り出した。
「ハチっ!? あんたっ!」
ジョゼがその動きを捕らえた瞬間は、もう遅かった。ハチはその玉を思い切り足元に叩きつけた。
バシュっ!
軽い爆発音とともに辺り一面に一瞬で広がる、濃い鼠色の霧。叩き付けたのは煙幕弾だ。赤い地面で炸裂したそれは、視界を一挙にダークグレーに染めあげる。
「このっ!」
久は瞬時に槍を引き抜き、大きく槍を捌いて煙を晴らした。
突風にあおられるように散って行くグレーの煙は、次第にその色を薄め、青空に吸い込まれるように流れ、消えていく。
「くそっ!」
そして、その消えゆく煙幕よりも早く、その場からはハチの姿が消えていた。足跡一つ、残っていない。
熱い風が一つ吹き、その場から煙を拭う。
取り残された五人は、ただ茫然と、赤い大地と微かに残った煙を見つめていた。




