Chapter19-4
「くそっ! ここで崖かよ!」
延々と同じ木々たちが続くその景色は、全員の目に錯覚を覚えさせていた。
足元も根や草木で覆われ、見通しが悪い。何処までも続く木々の中に突如崖が現れたかのように、六人のすぐ先、足元数十センチ先に、下までは五十メートル以上はあるだろう崖が行く手をいきなり阻んだ。
「近くに蔦も木も無い、この崖は飛べないわ!」
「ゆっくり降りるしかないが、影の奴らが黙ってる訳ないな!」
えい、くそっ! と、盗賊二人が投げ捨てる言葉の代わりに、手裏剣を放った。
高速回転し細い枝を何本か巻き込みながら、二枚の手裏剣は二人の影に直撃。その姿を消した。
「久くん! あいつら、どんどん増えてやがる!」
「あぁ。これは、まずい……!」
織葉と久は武器を構え、進んで来た森を見据えた。
ゆいのお陰で後ろとの距離はかなり離したが、こっちが止まっている以上、必ず追いつかれる。速く次の手を打たねばならない
「この高さは流石に飛べない。久くん、このまま崖沿いに進むしかな――」
「織葉! 目の前だ!」
「え? うわっ!」
織葉の剣士の反射神経が、僅かに早かった。
織葉が久に提案するため、僅かに視線を久に向けたその瞬間だった。織葉の目の前に、影が現れた。
追いつかれたのではなかった。影は間違いなく、織葉の足元から現れた。
両手にナイフをもったその影は、織葉を切り裂く体勢のまま、織葉の一太刀で両断された。
そして今までと同じように、音も無くその場から消えた。
「何が、どうなってやがんだ……?」
手裏剣のポーチに手を掛けながらも、ハチは驚きを隠せなかった。
これでは逃げるも隠れるも意味が無い。分かっているのは“倒せる”と言うだけ。
しかし、数は圧倒的。素性も得体も知れない多勢の敵を前に、ハチは青ざめた。
脚を半歩下げれば、崖の縁でかかとが浮く。踏みこみをする地面すら確保出来ない。
こんな場所で先程みたいに突如敵が数人現れたら。ハチはこの場を凌ぎきる自信がなかった。
「た、タケくん!」
「こ、こいつら、こんなに一気に……!」
悪い予感は外れた。大外れだ。
突如数人どころの話ではない。一瞬にして、音も無く六人の両側に、溢れるほどの影が地面から生えるように現れた。
森が、黒く染まる。胸と目に開いた不気味な穴だけが僅かに、その向こうの木々の幹を映している。
目だけくり抜かれた表情のつけようのない顔が、笑った気がした、直後。
影は、一斉に襲い掛かった。
「――ぐっ⁉ ぁあっ!」
「ハチっ!?」
久は影を払い除け、右を振り向いた。
そこには、どの影が放ったのか分からない弾丸を右肩に受け、後ろに体勢を崩すハチの姿があった。
肩から噴き出す鮮血。
苦痛に耐える表情をしながら、ハチが右手に構えていた手裏剣は放たれる事なく手から離れ、足元へぼとりと落ちた。
「ハチ⁉ ハチぃっ!」
ジョゼが手を伸ばす。
必死に伸ばしたジョゼのしなやかな腕は、何とかハチを掴んだ。
だが、その体勢とこの地形ではもう、どうにもならなかった。
「きゃぁあああああああああああ!」
「ジョゼっ! ハチ!」
久はジョゼに手を伸ばしたが、それはもう遅すぎた。
久の視線の先にいた二人の盗賊は、崖下へ真っ逆さまに落ち、消えてしまった。
ガギンッ!
「わあああっ!」
久が崖下に目を取られた、ほんの一瞬だった。
織葉とゆいが、薙刀を持つ影に、横薙ぎの一撃を喰らい、宙へ浮いた。
足場は、ない。
「織葉! ゆい! 危ない!」
「た、タケさんっ!」
タケが織葉の手を握った。
織葉はゆいの手を握っていた。
だが、そこにも足場は、ない。
「タケっ!」
「ひさっ!」
今度は何とか、久は宙を舞うタケの手を掴んだ。
四人はお互いの手首を握り、宙へ放り出された。
先程まで立っていた地面は、足を延ばせばまだ届く距離だった。
だが、その地面の高さは自分たちの目線と同じになり、そして、すぐに数メートル上のものとなった。
落ちていく!
その感覚を覚えたのは、もう十メートルは落ちた後だった。
崖の上に置き去りだった全員の意識が落ち行く体に戻るのに、数秒は掛かってしまった。
「きゃぁああああああああ!」
我に返ると、久の聴覚に叫ぶ声が響いた。
手を掴んだ先で、ゆいと織葉が泣きながら絶叫していた。
その声は、体の奥底から何もかもを放出してしまうような、危険な叫び。声と共に、精神が削れていく。
「ひさっ! 下に見える崖から生えた、枝を掴めるか!」
激しい落下速度で服をばたばたはためかせながら、タケが下へ首を向けた。
目を見開くと、ぶつかる風で目が痛む。
だが、久は確かにタケの言う通り、眼下に崖から生えている一本の木を捉えた。
そしてその先。いわゆるこの崖の下――
そこには白い濁流を激しく崖と岩肌にぶつけ、ごうごうと音を立てながら激しく流れる、極めて水量の多い河川が見えてしまった。
大きな岩が川の中にごろごろと転がっており、落下すれば間違いなく命は無い。即死だ。
久は最後のチャンスに賭け、空いている片手を、どんどん迫りくる木に向かって伸ばした。
(頼む! 届けぇえっ!)
肩、肘、手首の関節を目一杯伸ばして広げた久の手に、幹がぶつかった。
その、ほんの僅かな一瞬、久の抜群の反射神経が開いていた手を閉じさせ、力いっぱい崖から突き出た幹を掴んだ。
「ぐっ! ぐおおおおおおおおっ!」
太くは無い頼りない木が、四人分の体重と落下エネルギーを受け、大きくしなった。
「ぅ! ぅぁぁぁっ!」
言葉にならない、絶叫の隙間から漏れ出たような、ゆいの叫び声にもならない声。
四人は、今度は強く上に引っ張られるような引力を痛烈に感じ、少し上下にぶらぶらと揺れたあと、その動きを止めた。
掴んだ木は大きくしなりはしたが、折れはしなかった。
だが、それもいつまで持つか分からない。四人分の重さでたわんだ幹は、いつ折れてもおかしくはない。
そして、久の腕も折れそうだった。
先程までとは違い、腕に掛かるは数人分の体重。久は、その片手で三人分もの体重を引っ張り、堪えていた。槍使いの太い腕には血管が浮かび、パンパンに張っている。
耳には全てを飲み込むような、濁流の激しい音が響く。
どどうどどうと、それは龍の呻き声にも似た音だ。気付けば眼下十数メートル下にまで川は迫っている。
崖から生えていた木は、自分たちが思っていたより低い場所にあった。
「さ、三人とも、無事か……?」
「だ、だいじょう、ぶ」
「へ、へーきだよ」
タケで姿が上手く見えないが、確かにゆいと織葉の声が久に届いた。
「た、タケ? 大丈夫、か?」
「あ、あぁ…… 久、すまない。左肩が、いかれたみたいだ……お前を、掴めない……」
「タケ! そんな!」
タケと久を繋ぐ左手と左手。タケの左肩は木を掴んだ時の衝撃に耐えきれず、関節が壊れた。
体を支える骨が外れかけ、激痛がタケを支配する。
久の掴んだタケの腕。その腕につく掌は、もう久の手首を掴めていなかった。
「久っ! タケぇっ! そこにいるのっ⁉」
「ジョゼ⁉ ジョゼ、どこだ! どこにいる!」
大きな声ではない。何処か近くではあるが、確かにジョゼの声が久の耳に届いた。
「私は崖に――ハチの、ハチの意識が無いの!」
久は握る腕の力を一切弱めず、首を崖に向けた。
するとそこには、かなり上から一直線に下方向に引っかかれたような削れた跡。そして――
「ジョゼ! そこか!」




