Chapter19-3
下に真っ直ぐ落ちているのか、垂直にどこまでも飛び上がっているのか。
体の中心を主軸に、右回転。いや、左回転……前転かもしれない。
三半規管をゆっくり狂わせるような引力を感じる。
目に入る光は、瞼を開いても閉じても白い。嗅覚は何も捉える事が出来ない――いや、微かな何かの香り。
――水、だろうか。
かくん! と、全員の首が一度下に振れた。座りながら眠りに落ち、力が抜けて首が落ちるのに似た感覚。
「戻った、のか」
タケは眼鏡越しの目を見開いた。
六人は、湿度の高いうっそうとした原生林の中に立ちつくしていた。振り返っても、何もない。辺りを見回しても、逞しい木々たちと、それに絡み、揺れてぶら下がる網のような蔓の世界がどこまでも続いている。
耳には風に波が揺れこすれ合う音。チチチチと、鳥がさえずる声が届く。
「えぇ。転移したみたいね。ゆいちゃん、何か気配は感じる?」
「近くに何か魔力源があるみたい。そこからの魔力は感じるけど……その他には特に何も感じないよ」
ゆいは杖を握り、辺りの魔力の波を感じ取った。
ここは魔法の森だ。魔力源になりそうなものは幾つでもある。ゆいはそこからの魔力以外は、何も感じなかった。
「小紅さんは森が荒らされてるって言ってたけど、まだこの辺りは大丈夫みたい、だな」
「あぁ。警戒して進もう。とにかく森を抜けて、セピスまで戻ろう」
久たちのプランはこうだ。まずはとにかく急いで森を抜ける。
森は足場も視界も悪く、地の利も無い。この危険な場所からいち早く抜け出し、森から近いセピスまで急ぎ戻る。
セピスにはユーミリアス大陸鉄道の駅があり、そこから大陸列車に乗ってリノリウムへ急行する。と言う計画だ。
列車に乗れば、目的地まで数時間で到着する。またしても後手だが、リノリウムに到着するにはこれが一番早い。
「あぁ、急ご――」
「久! 伏せろ!」
途端、久は誰かに目一杯の突撃を喰らい、その場に倒れ込んだ。
地面の木の根が、久の横っ腹に食い込むんだ。
そして、先程まで久が立っていた場所。そのすぐ後ろの木に、何処からか放たれた矢が深く突き刺さっていた。
「は、ハチ⁉」
「久、大丈夫か!」
久にぶつかり、その場に伏せさせたのはハチだった。ハチは久に覆いかぶさっていたが、すぐに足をばねにして飛び上がり、即座に腰のポーチに手を掛けた。
「すまんハチ、助かった!」
即座に体勢を取り直す久。ハチの背中合わせになるようにして槍を引き抜いき、構えた。
全員が同じく武器を構えた。
二人一組になるように背中を合わせ、全ての方向を鋭く見渡す。薄く光の差し込みが弱い森の中、六人の目が光る。
「今のは何処から撃って来たんだ? 全く気付けなかった」
槍を両手に握り、切っ先とその先を強く見つめる。矢が放たれた方向には何もおらず、気配も無い。自分たち以外に、何かが近くにいる様子も、迫ってくる気配も無い。だが――
「音が、消えた……?」
森の中に聞こえていた風の音や、鳥の声が――全くない。
まるで気配を消したかのような、不自然で不気味な沈黙。広大な森や巨大な樹木たちが時を止めたかのように、動かない。
「うわっ⁉」
ギィイン!
織葉の焦る驚きの声に続く、鉄がぶつかり合う音。
全員が音速を超えるかのような速さで織葉の方を振り向いた。
そこにはなんと、刀を持つ、“影”がいた。
「こいつ、いきなり目の前に現れやがった!」
織葉の目の前に、厚みのない、まるで紙で出来ているかのような、薄っぺらい人型の何かが、武器を持って立っていた。
それは、人の形を成しているが、その輪郭はノイズが走っているかのようにぼやけ、境界線がはっきりしない。
全身は真っ黒だが、胸の中心部と目が白い――いや、その二つはくり抜かれ反対側まで穴が空いている。
織葉は間一髪だった。眼前ぎりぎりまで迫っていた刃を、なんとか抜刀し防いだ。
目の先数センチ前で、織葉の刀と影の持つ刀が拮抗している。
「こいつが影か⁉」
久が槍をくるりと回して突きの姿勢に構え直し、織葉に加勢した。久の言う通り、その襲ってきた人型は、まさに影だった。
「久、こっちにも来たわ!」
「くそっ、こっちからもだ! こいつら、どこにこんだけ隠れてたんだ⁉」
見ると六人は、四方を影に囲まれていた。
その数、十人。
幾ら樹木が乱立し死角が多くても、これだけの人数が隠れるのは不可能だ。だが、影は音も無く現れ、現に久たちを包囲しつつあった。
「こいつらっ!」
久は織葉と依然鍔迫り合いを続ける影に、槍の切っ先を突き刺した。
よく研磨された久の青鋼刀の刃が、紙を切り裂いたかのように、影をすっぱりと両断した。
(手ごたえが、ない⁉)
影は一撃で倒れた。
本当に紙を切り裂いたかのように、二つに斬れたその体は、力なくひらひらと舞うように地面にへたり込み、土に溶け込むようにして消滅した。
「久くん、ありがとう! でも、こいつら一体……」
織葉も消滅の一部始終を見て、驚きを隠せずにいた。
まるで空を斬り、空振った感覚だけを残し、影は消滅した。
「こいつら、実体がない! なのに、物量のある攻撃を繰り出せるのか⁉」
「久くん! この黒い人たち、地面から生えてくる! 影から生まれるんだ!」
ゆいの目は、その瞬間を捉えていた。
影は森の地面に多く存在し過ぎる影の一つから、ずるずると這いだす様にして生まれ出て来ていた。
全て同じ形、黒い体にぼやけた輪郭。
そして、くり抜かれ向こう側の除く目と胸の穴。全ての影が、様々な武器を手にしていた。
「くそ! 倒せるみたいだが厄介だ! みんな、一先ず逃げるぞ! もう少し見通しの良い場所まで離脱する!」
「「了解!」」
各人既に戦闘に巻き込まれていた。
何処からともなく現れた影の存在。久はこの場で長居し先頭に持ち込まれるのは危険と判断し、全員に離脱の指示を飛ばした。それに従い、全員が敵との距離を作りながら、全力で森を駆け抜け始めた。
「えいくそ!」
織葉は刀で影の一人を弾き飛ばすと、隊列に加わって走り出した。
足元悪く、全力で走り抜けられない。
顔や体には、湿った布のような感覚に近い、蔦が何度もぴちゃりと貼り付いて来る。
「も、もう追いついてきた!」
手裏剣で牽制しつつ、しんがりを務めていたジョゼが驚愕の声を上げた。何と、ダッシュし離脱した数十メートルの距離は一瞬で詰められ、背後にはまたしても十数人の影が迫って来ているのだ。
「いや、追いついたんじゃない! すぐ後ろで生まれたんじゃないのか⁉」
「くそ、なんなんだよ、こいつら!」
タケの推測に、久は毒を吐く。迫りくる陰には感情も表情も無く、魔力の波も感じられない。その見た目通り、薄っぺらい存在だ。
しかし、皆一様に武器を手に取り、間違いなく自分たちに照準を合わせている。
武器も様々で、巨大な斧を持ち木々をなぎ倒しながら進む者もいれば、この大陸では少し珍しい武器、銃やヌンチャクを両手に持つ影までいる。
パンっ!
発砲音は自分たちが思うより、ずっと軽く、違った音だった。
音に尾が引くわけでもなく、花火のような爆発音ともかけ離れている。
乾いた音だ。六人の耳に発砲音が届いたその刹那、低く聞き慣れない音がすぐ近くで鳴り、木に弾丸が食い込んだ。
「後ろは私が! ――シオン! フリージングフォース、お願いっ!」
辺り一面狙いも定めず乱雑に繰り返される乱射。
ゆいは後ろに杖を向け、呪文を唱えた。ゆいの杖は主に従い、六人を覆う程の氷の結晶の盾を、背後に出現させた。
「これで後ろは大丈夫!」
「すまない、助かる!」
後ろをちらと確認し、久が礼を言う。後ろでは次々と弾丸が氷に撃ち出されているが、ゆいの防御壁ではびくともせず、ひび一つどころか、命中した弾丸がひしゃげ、その場にぽろぽろと落ちていく。
(後ろは今のところ安全だ。だが、これ以上増えるとまずいな)
久は瞬時にこの先に起きるであろうことを想定し、逃げながらも思考を巡らせた。
(予定とは違う方向に走ってしまった。背後はゆいに任せられるが、側、前面が危ない。敵の数も増えてきてる。一度計画通りの方向に進路を――)
「久! 危ない!」
「え? うわっ!」
タケの怒号が思考の溝の奥から、久を呼び戻した。
はっと我に返り、前方をみると、そこには、道が無い。
道が無いのではなかった。地面がない。
久の足は目の前に突如現れた、切り立つ崖の縁、ぎりぎりでその足を止めた。




