Chapter18-5
「だぁーっ。気持ちいいな!」
ハチが大きく伸びをし、大の字に浮かんだ。
男三人は早々に体と頭を洗い終え、大浴場外の露天風呂に浸かっていた。岩で組まれた大きな露天風呂で、広さは十メートルはあるだろう。
風呂のすぐ横には灯籠や小さな木々が植えられた和の庭園があり、その場所から竹の筒が風呂へと伸び、熱々のお湯を絶えず流し続けている。源泉かけ流しと呼ばれる種類の温泉だ。
風呂の横には木製の座り心地の良い椅子や、竹製の寝床もある。風呂は塀で囲まれており、その向こうには青々とした竹林。皆まっすぐにしゃんと天に向かって育ち、きりりとした笹の葉をたくさん蓄えている。
「ふー、生き返るぜ」
「あぁ。足が延ばせる風呂なんて久々だ」
久もタケもぐーっと伸びる。旅の道中、様々な悪路を突破してきたせいか、体には無数の小さな傷が出来ていた。
体を洗っていたときはややしみていたが、もう気にならなくなっていた。
「しかしさ、こんな場所があるなんて驚きだよ。武神さまも風呂に入って癒されるだなんて、俺達とあんまり変わらないのかもな」
久が手ぬぐいを頭の上に乗せ、タケにそう言った。
「それか、武神様がお風呂というものを作り出したかだな。久、ここが風呂の原点なのかもしれないぞ」
「そいつは面白いな!」
タケも悪戯っぽく笑いながら、そんな仮説を立てた。
いつもの一つ括りの髪を下し、眼鏡を外したタケは、何だか新鮮だ。美形女子と言っても通るのではないだろうか。
空は日暮れが進み、西へと落ち行く太陽が、竹林に強烈な西日を差した。
すると竹林は黄金の煌めきを放ち、まるで一本一本が黄金の柱の如く、黄金色の竹林を生み出していた。微かな風に揺れる笹の葉一枚一枚も金箔のように光を放ち、目を刺すほどの眩い光を放っていた。
「凄い景色だ……」
「あぁ、魔法の竹林――いや、神の竹林だな」
久たち三人は太陽が西日を失うその瞬間まで、その竹林を眺め続けた。
◇ ◇ ◇ ◇
男三人は黄金色の竹林をたっぷり見つめてから風呂を上がり、籠に入っていた白い浴衣に着替えて一階の大座敷で涼を取っていた。
縁側よりの畳の上で休憩していると、竹林から流れてくるやさしい風が座敷に流れ込み、心地よく火照った体を冷やしてくれる。
夜風は体に良くないとは言うが、この地の風は別物のような気がするから不思議だ。
「あら? 久とハチもここにいたのね」
そこにジョゼたち三人が続けて現れた。同じく白い浴衣に着替えている。
男の帯は青緑色で、女の帯は赤紫色だ。
三人の髪はしっとりと濡れ、頬は少し赤い。軽く汗ばんだ肌は、なんだか色っぽい。
「あぁ。部屋に上がる前に一服しようってなってな」
久は床に置いていた空の瓶を持ち上げて見せた。瓶の内側は薄く白い色。どうやら空の牛乳瓶だ。
「オレはコーヒー牛乳にしたぞ」
「あれ! タケいたの⁉」
突如、久の横にいた長髪の金髪の人物がジョゼに話しかけた。
全くジョゼは気が付いていなかったが、そこにいたのは髪を下したタケだった。
「最初からな。気づいてないことに気づいてたぞ」
首の動きに合わせ動くタケの長髪は、女性の物と相違ない。思わずゆいと織葉は見とれてしまった。
「タケさん、別人じゃん……」
◇ ◇ ◇ ◇
六人は座敷で各々水分補給をし、少し談笑したあと自室に戻った。
ユーリスは夜に包まれ、竹林の上にはかすかな雲もかからない銀月が上っていた。笹は僅かに揺れ、川のせせらぎにも似たさらさらとした音を立てている。
部屋に戻ると、夕食の準備が済まされていた。座卓の上には人数分の四角いお盆が置かれている。
赤塗り黒縁のその盆の上には、白くふんわりと炊かれたご飯、筍のお味噌汁、お漬物。山菜の炊き合わせと焼き筍、そして川魚の塩焼きが綺麗に並べられていた。
六人は一つ一つ竹で作られた箸を手に取ると、誰一人米粒ひとつ残すことなく平らげた。こう思えば、しっかりとした夕食を取ったのはセピスで天凪校長と外食したとき以来だ。
夕食を平らげ一息つくころには、心地よい夜風の吹き込む静かな夜が訪れていた。
空は濃い藍色のヴェールに包まれ、そこに金砂をばら撒いたかのような無数の星々が天高い位置で輝いている。
ユーリスと言う不思議な場所のせいだろうか、いつもよりも多く星が見えている。
久とタケは二人、部屋のベランダにいた。二人は低めの欄干に手を乗せ、夜風を感じていた。
頭上高いところには星々がまたたき、建物の下には提灯の賑やかな赤い光が揺れている。耳を澄ませば、一階の座敷からは、笑い声のようなものも耳に入ってくる。
「久はさ」
唐突にタケが口を開いた。
食事前に軽く括ったタケの長い髪が、風で左に流れている。
「ん?」
「久はさ、その、今の状況をどう感じてるんだ?」
歯切れが悪い、気がする。
「うーん。そうだなぁ」
と、曖昧な返事で場を繋ぐ久。
久はタケが自分に問いかけているこの質問が、今の状況を指しているのか、それとも最近起こった全てを指しているのか、どちらかを考えていた。
(いや、違うな)
久は質問にあるタケの真意を見抜いた。
タケはそのどちらかではなく、久自身の今の状況を聞いているのだ。
「やっぱり不安さ。ここまで先が見えないのも初めてだからな。でも、敵が本当に俺達を狙って何か起こそうって言うのなら、俺はそれを許さない。全力で立ち向かってやる」
久は首だけを部屋へと向けた。
そこには、敷いた布団の上で寝転がりながら、楽しく話し合うジョゼ、ゆい、織葉。そして、その奥には浴衣をはだけさせ、片手を腹に乗せながら大口を開き、がーがーといびきを立てるハチ。
みんな大切な仲間であり、誰一人として欠けたくない。失いたくない。
「相変わらず久は強いなぁ。オレは最近、何だか踏み込みが弱くなったような気がするんだよ」
「タケはそれだからいいんじゃないか。しっかり見据えて無理をしない。安全を考えてくれてる。俺らを飛び出し過ぎないようにしてくれてるのは、いつも誰よりもタケじゃないか」
いつしか二人は部屋の方を向き、欄干に腰を乗せていた。
笹を揺らす心地よい夜風が、二人の髪と浴衣の裾を宙に流した。
「そう言ってもらえるとありがたいよ」
「何言ってるんだ。タケがいてくれてこそだよ。いつもありがとな」
久はタケの肩をぽんと叩き、右手をタケの前へと差し出した。タケもそれを見てにっこりと笑うと、その手をしっかりと握った。
お互い、握手を交わしたのはいつ以来だろう。
前はまだまだ子供だった筈だ。あの頃は同じような手をしていたが、いつしか久の手はしっかりとした厚みのある力強い手に成長し、タケはすらりと指の長い、繊細な手に成長していた。
二人は握手を解くと、簾を捲り、部屋へと戻った。
二人が戻って間もなくすると、部屋の中は就寝の空気になった。久がそのまま布団に寝転がったのが引き金だろうか。
女子会は自然に終了、解散し、三人も布団へと移動する。
誰かが言うわけでもなく、部屋の明かりが落とされ、途端、窓から夜の暗闇が部屋に流れ込んできた。
タケは一番窓側の布団へ寝転がり、眼鏡を枕元へ置くと、静かに目を閉じた。




