Chapter18-3
いつしか立っていたその地面を見ると、星の図形を複雑に組み合わせたような文様が彫り込まれていた。
何が起こったのかさっぱり頭がついて行かない六人は、誰かが号令を掛けたかのように、一斉に振り返った。
だが、そこには今まで歩いてきた道どころか、森すらなかった。
後ろにあるのは、あの原生林に似つかない、竹林の壁。
広場は直径五メートル程で、目の前には横木の一本しかない、鳥居のような門が立てられている。
とても古い門だ。その横木には、いつから掛かっているのか分からない、古ぼけた横向けの旗が一枚。「温泉郷ユーリスへ、ようこそ」と見事なまでの達筆で書かれている。
久たちは何が起こったのか全く理解できずにいたが、とりあえず広場からでて、鳥居のような門をくぐった。
くぐった先には上へと続く、緩やかな石畳の階段がある。十数段ほどしかない緩やかな階段を昇り切った先、
久たちはとうとう秘境、ユーリス村を目の当たりにした。
そこは、屋台のような小さな露店がいくつか立ち並ぶ、集落のような場所だった。
竹で編み込まれた壁に、大きな大きな葉を乗せた屋根。縁側のように突き出た家の表側には、見たことも無い工芸品、食器や雑貨、野菜に果物、そして、湯浴み着や浴衣が売られている。
またある露店には、漬物のような発酵食品。またある店には、温泉卵と温泉饅頭がずらりと並んでいた。
村の用水路と言うべきだろうか。そこは竹で出来た網でふさがれているが、そこから温かな湯気が立ち上っている。
先程森の中で気付いた硫黄のような香りは、間違いなく久たちの足下を流れるこの湯から生まれていた。
「これは、間違いなく温泉街だな……」
ここまで来て誰も口を開けずにいたが、とうとうタケが言葉を漏らした。タケの予想以上に、ここは温泉郷だったのだ。
「あぁ……」
久も呆気にとられた声を出す。古ぼけた温泉宿が一つあるだけかと思いきや、予想を上回る賑わいだ。よく足を運ぶ茸神社にどこか雰囲気が似ている
六人はきょろきょろと辺りを見回していたが、各店の前に座っている人たちは、特に久たちには驚かず、「いらっしゃい」と、優しく微笑むだけだ。
この場で浮いているのは、チーム久だけだ。
「あの、すみません」
「はいはい、どうしたね?」
ジョゼは、最寄りの店、温泉饅頭の露店の男性に声を掛けた。
見た目初老くらいの男性は作務衣を着、煙管を咥えながら、店前の椅子に腰かけていた。
「私たち、森を歩いていたら急にここに辿り着いたんです。ここは、ユーリス村なんですよね?」
座っている男性に、ジョゼは屈む体勢を取って訊ねた。
それを聞いた男性はにこりと笑う。笑みに合わせ、咥えていた煙管が下へ傾いた。
「間違いない。ここは温泉郷、ユーリスだよ。あなた方、温泉に入りに来たんだね?」
「えぇ、まあ」
ジョゼが曖昧に返事をしたが、男は気にかけていなかった。男は咥えている煙管を手に取ると、ジョゼの後ろを煙管で指した。
「あそこにまだ上に続く階段があるだろ? あの上がユーリス村の温泉宿さ。ここは言わば温泉街の商店街と言ったところだよ」
全員が煙管の指した先を見る。
露店通りの先、確かに、自分たちが先程上がっていた階段と同じ、石造りの階段がある。先程よりも勾配のきつい階段だ。その先、竹林の隙間から、僅かに屋根のようなものが見え隠れしている。
「あなたたちはゆげを越えてきたんだよ。いきなり辿り着いたことに疑問を抱くのは当然のこと。宿で全て女将が教えてくれるよ」
そう言うと男性は煙管をもう一度咥えた。ジョゼは階段から視線を男性に戻すと、教えてくれてありがとうと、頭を下げた。
「構わんさ。また落ち着いたら露店街に足を運びにおいで」
男はまた優しい笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇ ◇
六人は温泉饅頭の店主が教えてくれた通り、露店街を通り抜け、階段を昇り始めていた。
露店の数は見えているよりも多く、様々なものが売られていた。
木材を加工した下駄や、竹細工、駄菓子など、まさに観光地ならではのラインナップがずらりと並んでいる。
露店の中で何人かの浴衣着の人たちと出会うこともあった。他のお客さんたちだろう。階段を上っている時も、上から二人降りて来た。
そして――階段の上の方へと近づくたび、秘境、ユーリスの温泉宿の姿が明らかになっていた。
原木を柱に扱う、立派な家屋――。宿の大きさは三階建てくらいだろうか。目の前には、やや赤み掛かった特徴的な風合いを漂う、和風建築の建物が鎮座していた。
正面に玄関口を構え、左右には大きな縁側が広がっている。
壁は古ぼけた鳥居のような朱色と、漆喰の柔らかい白。屋根はしっかりと瓦が葺かれ、軒下からは簾が垂れており、風に優しく揺れている。
縁側の内側は座敷になっていて、ここからでは何十畳あるのかすら分からない。
所々の場所に先客たちが座布団を広げ、団扇で胸元を扇ぎながら談笑したり、涼を取っているのが見える。
前に突き出た立派な玄関はどこか荘厳ながらも、旅の客を迎え入れる優しさのようなものを感じ取れた。
見慣れた温泉の紋が書かれている藍色の暖簾が掛かっており、中には立派な一枚木、無垢版で出来たついたてが見えている。
六人は玄関へと向かい、暖簾を捲った。
「こんにちは。どなたかいらっしゃいませんか?」
タケが宿の中へ声を掛ける。
「ようこそ、いらっしゃいました」
すぐだった。ついたての後ろにあった廊下の先から、薄紫色の着物を着た女性が現れ、玄関に正座すると、丁寧に頭を下げた。
「黒慧様御一行の皆さまですね。ようこそ、煙亭へ。お待ちしておりました」
もう一度、深々と三つ指をついて頭を下げた。綺麗に結われている黒髪と、赤い簪が目に留まる。
「え? どうして私たちのことを?」
頭を下げる女性に、久が歩み寄った。
女性は姿勢を直し、久の質問に答えた。
「はい。この村に入る前から、存じております。ですが、このような場所では気も休まりません。お先にお部屋へご案内いたしましょう」
女性は着物を僅かにも崩さず、上品に立ち上がった。
六人は一度顔を見合わせあったが、とりあえず宿の中に入ることにし、履物を脱いで玄関を上がった。
床に敷かれた竹細工の涼しげな敷物が、六人の足底を揉んだ。この僅かに波打つような感覚が心地よい。
思わず擦りつけるように立っていた六人を見た女性はくすりと笑うと、廊下の先に手を向け、六人を部屋へと案内した。




