Chapter18-1
神々の温泉郷
「もうそろそろ、来る頃じゃないか?」
ざざあっと水が激しく落ちる音が響く中、久はやや大きな声を上げた。
足元すぐには川があり、森が磨き抜いた美しい水が絶え間なく流れている。岩の上には沢蟹が子連れでとことこと歩いており、その岩にぶつかる水流が時々水しぶきとなり、宙を舞う。
「物語なんかで滝の裏に洞窟が、みたいなのはよくあるけど、本当に実在するんですね!」
久の横でゆいが答えた。ゆいも滝の音に掻き消されないよう、腹から声を出した。
既に、滝の裏の洞窟には、久、ゆい、ハチ、織葉の四人が揃っていた。
村長宅を後にした六人は、更に注意を払い、二人組になって村を適当に歩き回ったあと、時間差で滝の裏に入ることにした。
それで、残るはタケとジョゼの二人。四人は滝を内側から見ることが出来るという不思議な場所で、二人の到着を待っていた。
「しかし、この先に進むのかぁ。真っ暗すぎてちょっと腰が引けるな」
滝の反対側、洞窟へと続く方向を見て、織葉が冗談をめかす。滝は村側と洞窟側の二方向に流れており、洞窟の闇の中へ流れ込んでいる。
奥の方から水の流れる音が反響し、ごうごうと音を立てている。先は、全く見えない。
「おまたせー」
そこにジョゼの声が響いた。見ると、滝のすぐ横の隙間から、ジョゼとタケの二人が姿を現していた。
「よし、揃ったな。それじゃあ暗黒の洞窟を攻略するとしますか」
そう笑って言うと、久は右腕を前へと突き出した。その手首ではブレスレットが出番とばかりに光って見せた。
六人は水の流れ込む洞窟を、片手を壁につけながら、ゆっくりと進んで行った。
滝から数メートルは岩石で出来た天然の川岸のようなものがあり、その上を歩くことが出来たが、いつしかその道は無くなり、六人はざぶざぶと水の中を歩いて進んでいた。時には膝の上あたりまで浸かる水深の場所もある。
洞窟はやや曲がっていたり、多少の段差はあるものの、分かれ道などは無く、村長の言う通り一本道だった。常に緩やかな下り勾配で、水の流れは入り口と変わらず、しっかりとした流れを保っている。
「これは中々しんどいな。水も冷たいし」
先頭を行く久が膝まで浸かる水深を一瞥した。数十分と水に足をつけ続けていると、体温がどんどん足底から抜けていくのが分かる。
滝から流れ込む水は、きんとする程に冷たい。
しかし、座って休憩できるような場所も無いので、久は足を止めず進み続けていた。
「もう滝も見えなくなっちゃったわね。百メートルは来たかしら?」
ジョゼが一度振り返り、すぐに前を向き直した。入り口の滝はもう見えなくなっており、前も後ろも闇が迫っている。 幸い、六人集めたブレスレットは、十分な光量があり、前後数メートルは照らせていた。
誰かにつけられている様な感覚や、見られている様な嫌な感覚はなかった。もうリリオットにを発ったとばれているかもしれないが、この道を使って森に出るとは予想されていないだろう。
「ん? 滝か?」
先頭を行く久が足を止めた。全員もそれに従い、ブレスレットを着けている腕を各々前に出した。
見ると、目の前数メートルほど先で、川の流れが真下に落ちている。久はざぶざぶと滝のすぐ上まで進むと、明かりを頼りに下を覗き込んだ。
見ると、滝は四、五メートル程のものだった。
滝壺から川は更に左右に枝分かれし、二方向に伸びている。滝の前には狭いが、開けた広場のような場所があり、その先に、更に奥へと続く洞窟が見えている。滝を降りた後は、その先へ進んで行くようだ。
「久、どうだ?」
タケが久の横へ並び、同じく状況を確認する。
「水を行くのはここで終わりみたいだ。だけど一気に対岸までは飛べそうにないな。降りて向こう岸まで泳ぐしかなさそうだ。ちょっと先に降りて見てくる」
「分かった。気をつけろよ」
久は頷くと、軽い足取りで滝に飛び込んだ。直後、ざぱん! と着水する音。
ジョゼたち四人もタケのすぐ後ろに着き、下の方を伺っている。
数秒後、水面に久が顔を出し、滝の上を見ながら、頭の上で手を丸の形に組んで見せた。タケが親指を立て返事をすると、久は泳いで陸に上がった。
「滝壺は深いが、それ以外は大丈夫だ! 下に岩も無い! ちょっと真っ直ぐ泳げばすぐに足がついたよ!」
陸に上がった久が、頭をふって水気を飛ばしながら、滝の落水音に負けないよう、大声を張り上げた。タケは「分かった!」と大声で返事をした。
「聞いた通り、大丈夫だそうだ。オレは最後に飛ぶ。後ろの安全を確保しておくよ」
タケは後ろへと少し戻り、進んで来た方向を向いた。
「りょうかいっ。あたし、刀を縛り直すから皆先に飛んで」
織葉は腰紐を結び直しはじめた。
「それじゃあ先に跳ぶわ。下で待ってるね」
「お先ーっ」
そう言うと、ジョゼとハチが二人飛び込んだ。ざぶんざぶんと、二つの着水音が聞こえる。
「よし、それじゃあたしも飛ぶね」
腰紐を結んだ織葉はやや助走をつけ、滝に飛び込んだ。先程よりやや激しい音が鳴り、織葉も着水した。
「じゃ、じゃあタケくん。先に行くね」
ゆいは恐る恐る滝ぎりぎりまで進むと、軽くジャンプして飛び込んだ。
ざぶぅん。
ゆいは足先から綺麗にまっすぐ落ちた。
先程まで足にだけあった冷たい感覚が、一瞬にして全身に回る。ゆいは水中で両腕両足をくるくる回して、前に進んで行く。久の言う通り、滝壺は思った以上に深い。
(よし、足がついた)
しっかりと目を閉じているゆいの足に、岩の感覚があった。ゆいは息を整えながら、まだ水中に浮いたままの片足を、一歩前に出した。
(んんっ⁉)
前に足を踏み出そうとしたその瞬間、岩の上の片足が滑り、ゆいは水中で思い切り体勢を崩した。
前のめりになるように倒れ込み、体がもう一度滝壺の方へと押し流される。いきなりのことに口から空気を吐き出してしまった。
体内に水が流れ込み、空気を失ったゆいを、一瞬にして滝壺の底へと連れ去った。
(んんんっ! 息が、いきができない……っ 溺れ、る!)
必死に水面に手を伸ばしても届かない。
滝壺に押し寄せる水量が、ゆいの足首を掴むように、下へ下へと押し込む。
どちらが上で、どちらが下か分からない。苦しい、苦しい、苦しい。
暗転し回転していく冷たい世界の中で、ゆいの唇に何かが触れた。




