Chapter16-4
「ええ。あなたはその時、胸から下腹部まで切り裂かれた。そして――あなたを守ろうとした父親は、その時に……」
亡くなった。と、言えなかった。
その五文字の言葉は私の喉に思っていた以上に引っ掛かり、出てこなかった。
「そ、そんな……」
ゆいは思わず腹部に手を当てる。
この手の下、服の裏側には、あの傷痕が今でも大きく残っている。
突きつけられた父親の死。自分の体に残る大きな古傷。ゆいの受けるショックは大きいに違いない。
だけど私は話さねばならない。それが私に託された願いなのだから。
「あなたの容態も深刻だったわ。使われた刃物はただのナイフではなく、闇のクリスタルで鍛刀されていたの」
幼いゆいの上半身を、紙を断つように軽々と切り裂いたそれは、真っ黒な刀身を持つ、魔力を持つダガーナイフ。
現場に落ちていたそれは、盗賊職などが狩りで用いることもある、非常に殺傷力の高いものだった。
隣に座るゆいの顔が真っ青になり、瞬き一つせず、目を見開いて床を凝視している。
出来る事ならここで話を終えてしまいたい。
張り裂けそうになる胸の痛みを感じていながらも、私はさらに続けた。
「とても深い傷だった。それに加えて、切り裂かれた傷から闇魔力が浸食をし始めて、あなたの魔芯まで喰い尽くそうとしていたの。異常なまでの速度でね。どうやら、あなたとゆゆは対照的で、あなたは先天的に闇魔力に対する抵抗力が極端に低い。未だに闇魔力で大きく怪我をしてしまうのもそのせいだわ」
「そう、ですか。やっぱり、先天的なものだったんですね」
ゆいが辛うじて言葉を紡ぐ。
自分自身分かっている、闇魔力への極端な抵抗力。その低さの事実は、どうやら予想通りだったようだ。
「ゆゆも私も手を尽くしたわ。でも、どうしても浸食を止められなかった。閉じていく目、血の気が引いて冷たくなっていく顔――あの時、初めて私は死の恐怖を覚えたわ。どんなに魔力があっても、どんなに魔術が使えても、死には抗えない。と」
ゆいの顔が恐怖で白くなっていく。当然だろう。今話していることが、かつて自分の身の上に降りかかっていたなんて、想像すら出来ない。これだけ長く生きている私でも、死の淵に立ったことはない。それが普通なのだ。
その、普通でない事象に、ゆいは肩を震わせる。今、自分に命がある分かっていても、その震えは止まらない。
「だけど、ゆゆはあなたを助けたわ。禁忌の魔術、“悪魔の契約”をして」
その一言で、自らを凍らせたかのように、ゆいは震えを止めた。
だがそれは、安心して止まったものではない。
そんなこと、私は嫌でも分かってる。
「それって……自らの命を差し出して、相手を助ける、禁忌魔法、ですよね。でも、でも、それって――」
(分かってる。分かってるわ。ゆいが次に、何と言うのか)
「それを行えるのは、あ、悪魔、だけ、じゃ……?」
予想通りだった。
いや、最初から、これしかなかった。この道しか。
悪魔。
それは、人ならざる存在。
闇に生き、夜を好み、怒り、悲しみなどの負の感情を糧として、混沌と破壊を祝福する者。
生まれながらにして闇の魔力を自在に扱うことの出来る種族、悪魔は、神に唯一対抗する邪悪な存在であった。
太古、まだこの世に神と悪魔しかいなかった天地創造の頃、ユーミリアスは一人の神、植物と炎を司る、女神ユーミルの大地であった。ユーミルは花々や樹木を生み出す力を持つ自然を愛する心優しき神で、一本の苗木を持って、まだ名もなきユーミリアスに降り立ち、大地を創り上げた。
しかし、ユーミルは神としては非力であった。
そして当時、勢力を増しつつあった悪魔の軍勢の格好の的となってしまい、ユーミルは悪魔の軍勢の上陸を許してしまう。
心優しいユーミルは、赤子の手を捻るが如く、悪魔に簡単に蹂躙され、殺害された。ユーミルの死後、大陸は悪魔のものとなり、女神の愛した美しい大地は一晩のうち荒廃した。
時の流れまでもが破壊され、混沌を極めて数百年が経った頃、悪魔の大陸となっていたユーミリアスに、四つの風が吹き降りることになる。それが、四人の武神である。
それぞれの方角の風を持つ四人の武神の力は凄まじく、ユーミリアスに降り立つや否や、その力をもって悪魔の軍勢を次々と撃破。
栄華を極めた悪魔の時代が終焉を迎え、ユーミリアスは再び神の元へと戻った時、悪魔は力を失った。
そして、絶滅の一途を辿った悪魔の血は、王と、姫の家系の二つのみが残り、他は数百年の時が進む中で、全て滅んだ。
「その通りよ。あなたの母、霧島ゆゆは最後の悪魔の血、姫の血筋を引いていたの。だから、先天的に闇魔法を強く持ち、習得せずともよかったのだと思うわ。――そしてゆゆは、自分の人生の大半を差し出して、普通の人間として生まれたあなたを悪魔に覚醒させた。悪魔特有の力である、強力な治癒力でしか治せないと、ゆゆは分かっていたのよ」
進みゆく時代とともに進化のサイクルから外され、必要とされなくなった種族、悪魔。
その中で、姫の血を引く、高貴な血筋を持つ霧島家。そこに、人間として生まれた、一人の女の子。
滅びゆく運命には抗えない。霧島家はこの新たな生き方、家の在り方を心から祝福し、一人の“人間”、ゆいの誕生を、心から祝った。
もう、悪魔はこの世には必要ない。と。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
黙って聞いていたゆいが、たまらず口をはさむ。
今までになく目を真ん丸に見開き、口元に手を当てている。話の中で、どこよりも飲み込めない部分があるのだ。
私はそれが、何処だか分かっている。
「じゃ、じゃあ私は――“悪魔”なんですか……?」
私は、沈黙を作ってはならない。
ゆいの当然の問いに、静かに答えた。




