Chapter15-1
深森に煌めく銀月
「見事な働きだ。やはり君は優秀だよ」
大きな手振りでわざとらしい拍手をする雹。賞賛の表情をとる雹だが、目はこれっぽちも褒めてくれていなかった。
「一体、何の話? 働きって、何を言っているの?」
わざと賞賛を送る雹へ食って掛かる。
今の雹の態度は、ゆいの心を逆なでするこのこの上なかった。杖を構え、先を雹へと向けたまま口を開く。震えを声に表さないよう、恐怖を飲み込んで雹に訊き返した。
「何を言う。この場所を見つけたのは他でもない君じゃないか! 劫火煌月の隠蔽を見破り、見事杖までの道を示した。私には出来ないことだ」
「あなたには出来ないって……。もしかしてあなたは、私がこの場所を見つけ出すと知って、ずっと待っていたの⁉」
「ほう。流石は天凪の優等生だ。ほら、あそこを見てごらん。君の問いの答えだ」
ゆいの声にも一切動じない雹。
雹は、右手をゆっくりと肩の高さまで上げ、人差し指を立ててゆいの後ろを指さした。
「……」
これは罠なのか。そうでないのか。雹が指差した先は、眼球の移動だけで見ることが出来ない。少なくとも、頭を後ろへ向けなければならない。
そんな大きな隙を、この人の前で作っていいのか。ゆいはもう一度雹を凝視したが、動く気配が無いように見えた。肩まで上げた腕も先程の位置で止まったままだ。
ゆいは体と杖を雹に向けたまま、視界から消える最後まで雹を見続けながら、頭を後ろへと向け、雹が指差した場所へと視線を向けた。
「⁉ あ、あれが――」
どうして今まで気付かなかったのだろう。雹の指さす先、ゆいの視線の先に、赤く光を放つ、黒い棒状の、何か――
「あれが、劫火煌月……」
ゆいの頭上、二十メートルほど上空。
空洞内のほぼ中心に浮かぶ、赤い魔力を溢れさせる黒き長杖。
遠目からで詳細は見て取れないが、複雑ながらも流線型を保つ、美しいフォルムが見て取れる。そうでありながら、その杖先は枯れ枝が生えているかのように、刺々しい形をしている。
美しさと危なさが共存する不思議な形。あれが、右に並ぶものが無い魔法使いの武神の最強の杖、劫火煌月――
「これで分かってくれただろう?」
ゆいは惹きつけられるように、劫火煌月に目を奪われていた。いつしか体ごと杖の方に向いていたが、ゆいはすぐさま雹の方へと体勢を向け、杖を構えた。雹は先程と同じ場所に立っていた。
「そして――私が今から、何をするかも」
雹は左手をローブの右裾へと手を入れ、そこから中杖を取り出した。二本の枝が蔦の様に巻きあう形の中杖。その杖先には、濃い紫色を放つ、闇のクリスタルが宿っている。
「っ!」
声こそ出さないが、奥歯に力が入る。
分かってはいた。ここで敵と遭遇すると、何をしなければいけないのか。杖を握る手に力が入る。
「宣言通りだ。今夜、魔力を司る月を奪う」
「そんなこと、させない!」
杖を両手で握るゆいと、片手で軽く握った雹。
魔導師と魔術師。似て非なる魔法使い二人が、同時に杖を構えた。
「行くぞ」
ゆいを甘く見ているのか。雹はわざわざ自分の踏み出す瞬間にそう告げ、地面を強く蹴った。
舞い上がる土。動き出した勢いで揺れる炎。雹は地面から僅かに浮いた状態で、スライドするようにゆいへと向かって来る。瞬間移動を瞬時に繰り返すような小刻みな動きだ。
(この動き、河川敷の時と同じ……!)
狭い空洞内。相手との距離は決して遠くない。
そして、眼前に迫りつつある敵、氷室雹。河川敷で織葉と戦った敵と、挙動はほぼ同じだ。
河川敷での戦闘は、あれだけの場所があっても回避行動に苦を感じた。このような狭い場所では、尚のこと厳しくなる。
ならば、ゆいがこの場所で取れる行動はただ一つ。
(相手の攻撃を、防ぎきる!)
真っ直ぐにこちらに迫ることなく、細かく小刻みに移動を繰り返しながら距離を詰めてくる。その姑息な手段をゆいは逆手に取った。
ゆいは雹から視線を外さずに、前に構えた杖を自分の正面で垂直に持ちなおした。相手がまっすぐ迫って来ないなら、その分時間がある。その時間があれば、呪文を詠唱し、より強力な魔術を行使できる――!
「凍れ氷壁、立ちふさがれ猛吹雪! 氷・壁・堅・鋼。我が眼前に、厚き氷の守護となれ!」
「防ぐつもりか。面白い!」
距離を詰めながら、雹は呪文詠唱に入るゆいを凝視する。
今、この場は劫火煌月から溢れる魔力に満たされ、ゆいも雹も同じだけ魔力量が増幅している。攻撃力も防御力も、また然りだ。
決して油断はできない。だが、一学生に負けることはない。雹は完全に相手を下に見ていた。
油断などではなく、明らかな答えだった。雹はそれほどの実力を持つ魔術師だった。
「ならば、こちらも手を抜くのは失礼だ。行くぞ、霧島」
小刻みに動きながら、左手に握る杖に魔力を送る。紫のぼんやりとした光を杖のクリスタルが放ち、その光が、ゆっくりと浮き上がって、何も持っていない雹の右手へとまとわりついた。
右手に絡んでいく禍々しき光。その光は手の中でぐにゃぐにゃと形を細胞の様に動きながら変えていき、雹の右手に長さ一メートル程の、全身を黒に染めた両刃刀を作り出した。
全てを吸い込む黒の刀身。命だけでなく、魂や心と言ったものまで抜き去りそうな黒だ。
(形成魔法……!)
呪文を行使するゆいの目に、黒い剣が目に入った。
鋭い切っ先と刀身がゆいの口を躓かせようとしたが、なんとかそれを堪え、舌を必死に滑らせた。
ゆいの防御展開が早いか、雹の一突きが早いか。どちらが勝ってもおかしくない。
ゆいが早ければ勝負はさらに長引き、雹が早ければその時点で勝負が決する。
「いくよ、シオン! 結晶防御、フリージングフォースっ!」
「ふんっ!」
ギィィン!
耳を刺す高周波な音。雹の突きたてた漆黒の刀は、ゆいの前に立ちふさがる、氷の結晶の形をした防御壁によってその動きを止めた。
ゆいの防御壁に突き刺さる雹の刀。その切っ先は、寸分の狂いなく、ゆいの心臓を指した。
間一髪。ゆいの発動が勝っていなければ、勝負は初撃でついていたどころか、心臓を一突きされ、命を取られていた。
「流石は天凪の教え子だ。こうでなくてはつまらんからな!」
そう言い放った直後、雹は手から握っていた剣を手放し、即座に後ろへとバックステップで距離を取った。
手から離れた黒い剣は、ゆいの障壁に突き刺さったまま動かず、重力の法則にしたがって落ちることは無い。
その刀身を半分ほど突き立てたままだだ。
「何を――」
雹の不可解な行動に疑問を持った、その瞬間だった。
バァン!
強大な風船が目の前で爆発したかのような強烈な爆音が、ゆいの耳いっぱいに響き渡った。
雹が刺し残していった黒い剣が爆発したのだ。
あまりに至近距離での爆発に耳がくわんくわんと、耳鳴りと共におかしなことになってしまう。
爆破の衝撃はゆいの氷の障壁では防ぎきれたが、音までは防げない。鉄壁の防御力を誇る防御結界の、死角を突いた見事な作戦だった。更に――
「っ⁉ 視界が! やられた!」
柄から切っ先まで真っ黒だった雹の剣。間違いなくあの剣を構成しているのは闇の魔力だ。
その魔力で作られた剣が爆発したことで、剣を構成していた闇魔力が黒いインクの様に、ゆいの防御壁にべったりと貼りついてしまっていた。




