Chapter14-1
闇嵐の原生林
各々が動いていく間にも、止まることなく時は夜へ進んで行く。自然の絶対的な節理、時間。その動きだけは誰にも止めることが出来ない。
太陽は目を突き刺すような西日を放ちながら、その姿を半分ほど空の彼方に埋もれさせている。半円の太陽が、今日の最後の仕事と言わんばかりに、強く、眩しく光り輝いて見せているかのようだ。
刻々と進む時は美しいが故に無情だ。自然の絶対的な節理が生み出す美は、同時に非情さを孕んでいる。盾の表と裏の様だ。片方だけを使い続けることは出来ないし、片方だけを見続けることも出来ない。
夜が迫るリリオットに、ぽつぽつと明かりが灯りはじめた。ガス灯のような温かな光を放つ街灯も木材で作られ、電光部分にはクリスタルが使われている。
温かみのある街灯が次第にやんわりと光を帯びていく。住民の家の明かりも目立つようになってきていた。時は夕暮れから、夜へ移り変わろうとしている。
太陽が西日を差す様になってから、織葉は落ち着きが無い。腰かけている切り株から立ち上がったり座ったりを繰り返すなど、心がざわついているようだ。
全員の出発の準備はとうの前に整っているのに、肝心の情報がまだなのだ。村の入り口の広場でゆいの登場を今か今かと待ち構えているのだが、誰かが村の階段を下りてくる様子もないし、村のてっぺん、村長宅を見ても動きは無い。
苛立ちがつのり貧乏ゆすりをする織葉に、西日を受けた刀の鍔が反射し、目を突いた。
一般的に言われる夜という刻が、もう喉元まで迫っている。コンパスが正しい位置を示しだすのは時間の問題だ。
北へ北へ進んでいる雹たちだが、仮に杖が今、北に位置する方向に隠されていたとしたら。もうすでにコンパスは杖の位置を指し示しているとしたら――不安だけがどんどん募っていく。待つことしか出来ない辛さ、歯痒さが心を蝕む。
「あたし、ゆいの所に行ってくる」
織葉は踵を返し、同じくゆいを待つ四人に背を向けた。
「待て織葉。オレらが霧島の所へ行って何の力になれるんだ。まだかと急かすのか?」
一歩踏み出していた織葉を、タケが制止させた。
織葉は勢いよく振り返ると、ぎりっとタケを睨み付け、声を荒げた。
「違う! タケさんは心配じゃないの⁉ 一人で頑張ってるゆいのことも、もうすぐ夜だってことも!」
タケの制止に思わず頭に血が上る。
声を荒げ、揺れ靡く朱色の髪が、夕陽を吸い込んで獅子の如く金色に輝いている。
「織葉、オレたちが何の手伝いも出来ないのは事実だ。霧島が行っているクリスタルとの共鳴は、心を落ちつかせて集中しなければならない筈だ。オレらが唯一出来る事は、霧島にその静かな環境を作ってあげる事じゃないのか?」
タケも織葉を見つめ返す。目つきはきついが、決して織葉を睨んでいる訳では無かった。
タケは聞き取りやすい口調で淡々と織葉を諭すと、遥か遠く、先程まで織葉が見つめていた太陽を眼鏡越しに見つめた。
「それは……そうだけど……!」
タケだって、優等生過ぎる発言にうんざりしている筈だ。本当はこんなこと言いたくない筈だ。
織葉は分かっていた。だが、それに素直にうなずけない。
ゆいにとって一番いい状況はどれなのか。それを考えると、自分たちはここで待つしかない。待つしかないのだ。
頭では分かっているのだが、素直に受け入れられない。もどかしい気持ちが頭と心を支配する。
「織葉。俺らはここで霧島を信じて待ってようぜ。織葉が信じなくて誰が霧島を支えるんだ?」
織葉の心境を読み取った久がタケの横に並んだ。久も織葉やタケと同じく、出来る事なら励ましに行ってやりたいと思っている。
「そう、だね。あたし、ここで待つよ。あたしが一番ゆいを信じないと」
二人の言葉で覚悟を決めた織葉。久たちに笑顔を向け、元いた切り株へと戻る。腰を下ろし、先程と同じように太陽へと視線を向けた。
もう太陽は、先程と同じ場所にいなかった。
夜が来る。空は流れ出る水の如く、濃い青色が西に残った赤い空を侵略していく。森に吹き込む風が何故か大きく聞こえた。大麗樹を含む大小様々な木々の葉がざわざわと揺れる。その音に五人は思わず顔を上げた。
またしても間に合わないのか。葉を擦れ合わせる音だけが五人の耳に届いてくる。不安を掻き立てられる音だ。
「おーい! みんなー!」
その時だった。擦れあう音の中に確かに聞こえた人の声。この声は――
「ゆい!」
織葉の声が早いか、五人が声の方へと体ごと振り向いた。視線の先には赤いクリスタルを持った右手を天に向けながら、必死に村の階段を駆け下りてくるゆいの姿があった。
「ゆい、大丈夫か? 場所が分かったのか?」
ゆいの下りてくる階段の下へと駆け寄り、すぐに状況を把握する織葉。やや呼吸が乱れ気味のゆいに本題を切り出した。
「うん。時間掛かっちゃってごめん」
急ぎ足で階段を下りてきたのだろう。少し肩を揺らしていた。額にも少し汗が滲んでいる。
「霧島。長い間ありがとう。それで、杖はどこに?」
労いの言葉をゆいに向け、優しい表情で問うタケ。それに対し、ゆいは真剣な表情に変わった。
「それが、杖が見つかったのは北の森……。私たちが進んで来たところより、もっと深い原生林の中みたい」
一同の中に、風と共に吹く沈黙。
時は既に夜。空は完全に深い紺色に染まっていた。
「よりによって北の方向か……」
久が毒づく。杖の場所はよりによって雹たちが向かっていた北の方向だと言う。自分たちよりも杖に近い場所にいるのかもしれない。
「のんびりは出来ない。すぐに出発しよう。霧島、行けるか?」
突如強くなった風に前髪が鬱陶しく揺れる。久はゆいへ気を回した。
「大丈夫。いけるよ」
クリスタルをしまい込み、杖を呼び出すゆい。
軽く広げた右手にはぼんやりとした光の帯が出現し、形作ってゆいの手に収まった。手に収まった杖のクリスタルも、眼差しにそっくりな輝きを放っている。
「よし、それじゃあ――」
「おーい! 待って下されー!」
「ティリアさん!」
声の主を誰よりも先に見つけたのはジョゼだった。
ジョゼは先ほどのゆいと同じく、階段を駆け下りてくるティリアの姿を捉え、手を大きく振った。ティリアはその歳とは思えないほど軽やかに階段を駆け下り、六人の元へと駆け寄ってくる。風と走る勢いで白いローブと髭が靡いていた。
「みなさん、これを持って行きなされ」
駆け寄ったティリアは息切れ一つせず、ローブのポケットから六つのブレスレットを取り出した。
それは、編み込みのされた幅のある飾り紐の先に、光を放つ六角形型のクリスタルが結び付けられているものだった。
「綺麗……。ティリアさん、これは?」
ティリアからブレスレットを受け取ったジョゼがクリスタルを見ながら問う。
「なに、ただの明かりじゃよ。森の魔力で光る特性を持ったものでな。消えることが無い代物じゃ」
簡単に説明をしながら全員に手渡しをするティリア。
渡されたブレスレットは蝋燭やランプと言ったものより、遥かに光量が強い。
「北の森は暗く、迷いやすい。このブレスレットを明かりや目印代わりにして使っておくれ」
「ありがとうございます」
受け取り、手に巻いてから頭を下げる久。暗い森に入る時、明かり程頼もしいものは無い。それが小型で、消えないものとなると尚更だ。
「北の森の様子がおかしいのじゃ。夜なってから急に風が出てきたと聞いておる。杖が自ら危機を察し、近づけまいとしているのかもしれん。くれぐれも気を付けるんじゃよ」
北の森、劫火煌月があるとされるその方角の森林は、日が落ちてから急に風が出ているという。
まるで杖は全て分かっており、拒絶している。ティリアにはそのように見えていた。
「分かりました。明かり、ありがとうございます」
手に括り付けたブレスレットを見せながら、タケがティリアへ返答した。右手首にまかれたブレスレットが光を放って見せる。
「私にはそれくらいしか出来ん。皆、気を付けてな」
不安な表情が出そうになるが、それを必死に抑え、背中を押すティリア。これから私よりも辛い仕事をする六人の前で心配そうな表情は出せなかった。
「よし。出発しよう! 霧島、案内を頼む」
全員が手に巻いたのを確認し、出発を促す久。全員の表情が引き締まる。
「はい!」
力強く返事を返し。ゆいは先頭へ立って村の広場に背を向けた。五人もゆいに続く。
六人は振り返らず、広場から延びる橋を渡り、この村へ来た時と同じく、崖の階段を上って行った。
(皆、本当に気を付けてな。彼らにユーミル様のご加護があらんことを……)
その後ろ姿をいつまでも見守っているティリア。
階段の途中から姿は見えなくなったが、ブレスレットの放つ六つの光を捉えていた。
まるで上へ上へと上がっていく六匹の蛍。その光が森の中へ完全に消えてなくなるまで、ティリアは六人の背中を見続けていた。




