気まぐれ
再掲
春夜・榊原しとぎのどちらが書いたのかは直接投稿者までお問い合せください
また感想をここに書くでも、本人に直接でも、伝えてもらえれば二人で喜びます
どちらが好みだったか、だけでもいいのでぜひ一言ください
気まぐれだった。今日は久しぶりに早めに会社を出られて、柄にもなく少しテンションが上がっていた。だから最近訪れていなかった、学生時代によく走っていた近所の川の土手を、散歩しようという気になったのだ。別に駅近くのデパートなどに行ってもよかったのだが、今日はそんなうるさい場所に行きたい気分ではなかった。
懐かしい青春の思い出の場所だとはいえ、もうかなり薄暗い時間なせいで、記憶の中の朝の涼しい雰囲気とはまるで違っていた。いや、涼しいことには涼しいのだが、爽やかさがない。懐かしがろうにも感情移入がしづらかった。
ちなみにこの川は県境にもなるほど大きい川で、整備された河川敷は、普段は青少年らのために、災害時は避難場所とするために、かなり広く使えるようになっている。今の時間では、片付け中の少年らも疎らだが。
今の時間といえば、夕焼けがぎりぎり見られなかったことが悔やまれる。学生時代、帰り道のここからよく夕日を眺めたものだった。特に、冬のよく晴れた日には富士山も見え、とても景色が良かった。
しかしこの川に架かるこの橋は昔からあまり好きではなかった。自分でも理由はよくわからないが、古いせいで塗装が剥げていることだったり、暗い時間に通るとなんとなく不気味な雰囲気が出ていることが、今思えば大きな要因だったのだろう。その頃は今よりずっと繊細な女の子だったのだ。
土手の向こう側へ出たいのだが、この橋は道路を横切るには車通りが多すぎる。待つのも待たせるのもあまり好きではない。橋をくぐるため、土手から河川敷に下りた。
何度も言うが、これは気まぐれだ。つまりは偶然だ。というか最初から全てが偶然だった。このしがないOLが仕事を早く上がったのも、直帰せずに寄り道しようと考えたのも、その寄り道をこの道にしたのも、それがすべて今日であったことも、全ては偶然だ。運命、は言い過ぎであろうが、この時しがないOLの耳に届いた声の主からすれば、言い過ぎではなかった。
声といってもOLには、ラジオの雑音にしては高すぎる音だ、という風にしか聞こえていなかった。しかしそれで十分だった――彼らが出会うには 。
OLが不審に思って見た先にあった物は、暗闇に隠れた半開きのダンボールと、そこからちらりと見える小さな耳だった。OLが聞いた音はその猫の声だった。一日中必死に鳴いていたのか、猫の可愛い鳴き声ではなく喉の潰れたガサガサな雑音みたいな声だった。OLは反射的に近づいて、覗き込んで、しゃがんだ。猫は丸まった状態のまま、力なく鳴いていた。
ここでOLは考えた。自分は優しい方だと自負しているこのOLは、とりあえず頭に「保護」の字が浮かぶ。「飼う」にしても「病院に連れて行く」にしても「保護施設に連れて行く」にしても、少なくとも今夜は子猫を家に招くことになりそうだが、そこには問題があった。賃貸に一人暮らしのこのOLは、同居人の同意がいらない代わりに、大家の同意が必要なのだ。もっと言うと「ペットは禁止」だった。大家とOLは、悪くはないが良いとも言えないくらいの関係性なので、良くはしたくとも、わざわざ悪くなるようなことはしたくない。しかしこの猫は素人目でもかなり衰弱して見えて、自称優しいOLでなかったとしても、普通の神経をしているなら、とてもじゃないが放置はできない。と言っても、衰弱した猫の手当ての仕方など誰にも教わったことがないし、ペットを飼った経験もない彼女にはなんの勝手もわからなかった。
これだけの理由を並べると「保護」するメリットはほぼないようにも思える。しかし逆説的に言うならば、ここで見捨てれば後悔は一生付き纏うだろうというデメリットはある。それだけでもOLは、猫を「保護」する大きな動機として行動ができた。いや、それだけではなかった。なによりこのOLは「犬より猫派」だった。これも動機と呼ばずしてなんと呼ぶ。
しゃがんでからリアルな時間にして一分弱。しがない気まぐれのOLは、運命的な出会いをした子猫を、ダンボールの中に敷かれていた毛布に包んでこの場を去った。
この日の次の日に、彼女と大家が言い争ったとか、猫を病院に連れて行ったらすごく懐かれていて連れて帰るしかなかったとか、その猫が立って歩いたとか、月が恋しいと語り始めたとか――そんな後日のことはまあ、ここまでの話が面白くなかったのだから、これからの話も面白くないだろうと勝手に決めつけて、これ以上創造するのはやめることにする。
以上、気まぐれOLと幸運子猫の、なんの変哲もない面白くないお話。続きはきっと誰かが創造してくれるだろう。気まぐれに待つとしよう。
これを読んだ相手方の感想「私のよりも暗めだね」