No.10・私は絵本になりますか、保谷 優花
美しくない人間は、一代で幕を下ろさねばならない。
保谷優花は、その信条のもとに生きてきた。
外見の美醜は人の選べるところではなく、人生の豊かさの分かれ道であり、そこには無慈悲な喜びがある。
醜い者の生に人は無関心で、美しいものが命を終えるとき、そこには余韻と追随が生まれる。
けっして冷たい選択がなされたわけではなく、そんな風な遺伝子の傾向に、浮き足立って左右されているだけかもしれない。
けれど美しくなく、かつ意思の強い人間は、醜い場所にも美学を見出そうと、必死に正当化をくり返してきた。
「俺たちにも、強く生きる権利はあるだろう ーー」
だがそれはウソだ。
男はそれですんでも、その外見醜い遺伝子を継いで生まれた女は、拷問のような人生を歩むことがある。
ときに魂すら歪められるような言葉と仕打ちを受け、早くに命まで絶ってしまうこともあるのだ。
幸い、自分が通うこの学校に、己のほか致命的な風貌の者はいない。
保谷はそんな人間を見つけたとき、意識の共有をはからねばならないのだった。
(ねえ・・・私たちは、未来に自分の苦しみを、繋いじゃいけないのかもしれない)
それは極刑のような宣告だった。
自らの痛みを追体験する子孫を、増やすわけにはいかないという、少女なりの覚悟がそこにあったのである。
「しかし、このクラスになってから、ちっとも自分はなじられなくなった気がするな・・・」
どうしてなのかは分からないが、彼女は、物足りないような気持ちにまでなってしまう。
これまで教室の雑用なんかは、まるで当たり前のように、すべて押しつけられてきたのに。
・・・みんな、私にかまうヒマがあるなら、傲慢な当人の欲を押し通す努力をしているようだ。
保谷はうんうんと、一人で頷いている。
これは自分に与えられた、ひとときの休息なのだ。今の身体で一生を終えたとき、外見上の業は終わるのであり、もう生まれ変わらなくていいか、あったとしても次の人生は楽に生きられる器が用意されている。
ーーそうして、彼女もまわりの級友に引きずられるように、夢を目指しはじめたのだった。
…やがて転機がおとずれたのは、30歳を過ぎた頃のことである。
それは、一つのちっぽけな対談だった。
絵本作家として、保谷がなんとか道を歩み始めたとき、ある誌上で映画監督と知り合うことになったのだ。
若くして、愚直な物作りができる男で、俳優などよりよほど実直な役が似合いそうな好青年だった。
今まで自分に親密さを寄せてきた男性などいなかったのに、なぜか彼と話が合ってしまい、次に会うときの約束までさせられてしまう。
「たぶん、作品に求めているものが近いんだ。注ぎ込んできた時間は違うだろうけど、出会ったタイミングはベストだと思う」
何やら押しかけ気味に、食事で口説かれるようになってしまった。
こわばった笑顔で、「私は結婚をしないと決めています」と保谷は答え、自分の家庭には幸福が生まれないことを伝えた。
「ダメならそれでいいじゃないか。式も後回しでいいし、クリエイターとしての変化で、新しい仕事につながるかもしれない」
男はどこまでも軽く、ハッキリとものを言うタイプだった。
保谷は離婚の準備を整えてから、婚姻届にサインをすることにる。
自分でも信じられないような気持ちで、キッチンに立つ日を迎えることになったのだった。
家事もわりあいこなせる旦那で、プライバシーをおたがい越えることはなく、確かにベストかもしれないと、彼女は日々自宅のアトリエに入りながら思っている。
・・・だが、そこにまた妻としての禁句がやってきてしまうのだった。
「ーー 子供はどうするの?」
それだけは断らねばなりません、と彼女は鉄の意思を見せなければならなかったが、旦那は優しかった。
しかしセックスも優しく、おまけに相性が普通じゃないらしかった。
彼が上手すぎるのかと、幾度も気をやらされながら遠い意識で質問したが、なんか君が違うんだよ、と馴染んだあとも責め続けられることになった。
幸福すぎる生活。子供は知らぬ間にできていた。
どちらも旦那似の美形になりそうだったが、問題は隔世遺伝にある。
おそらく孫は醜い。
保谷《旧姓》は、それだけが心配でならなかった。
子供が、善と悪、美と醜のみでものを考え、相手を否定しないように育ってほしい・・・。みんな横はつながっていて、そのつながりが対面に来たとき、敵のように映るだけだ。
・・・忙しい日々を、母は子供といっしょに過ごしていくことになった。
姉弟の二人は、よく夫をからかってまとわりつている。
ーーいつか、過去をふり返っても痛みのこない日は、自分にやって来るのだろうか。
保谷は、ある時、うめくように夫に己の外見についてたずねていた。
「今ごろなに言ってるの?」
彼はまあ好きだけど、と答えている。
あまりに率直すぎて、まったく頼りになる返事とは思えなかったのだが・・・。
「そりゃあ、見た目はどこまでも評価としてついてくるだろう。けどキミは、美の一面の価値にこだわりすぎなとこがあるよ」
僕の作品が、唯一勝ってるとこじゃないかなあ、と彼は口元を曲げる。
「まわりの反応だけで生きてる、自分の人生にしか興味が向かない簡単な美人は、それなりの場所に収まるもんだ。
綺麗でもさっぱり結婚できない女性、言い方は悪いけど、何でこんな容貌の人があんな好条件の男と一緒になってるの? みたいな夫婦。
それこそ、結婚よりも優先して精神を充実させることに邁進している、他人と己に厳しい高潔さの人間もいる。
・・・君は、ずっと自分を見つめつづけて答えを出したんだろう?」
彼女は、静かに涙を落としていた。
「わたしの子供の頃のような思いを、もう誰にもしてほしくないの」
「でも、人は遅かれ早かれ許す、という行為をしなくちゃならない。恵まれた場所にいる人でも、みんな欲でいっぱいいっぱいじゃないか」
「だから醜いものが、美しいものを許さなくてはならないの?」
「やがて大きくなるものが、小さいままでいるもののことをさ」
「そんなの誰にもわからないじゃない!」
「けど君は、幸福を受け入れる器を、そうやって大きくしてきた」
「・・・また知ったようなことを言う・・・。勝手に決めつけるのはやめて」
「もういいよ面倒な話は」
「ダメ! 今日はしないわよ!」
腰にまとわりついてくる旦那を突き放しながら、とりあえず自分だけは救うことができた保谷だったが、これからも子供たちのために、絵本という仕事に向かうことでいいのだろうか、とベッドの中で考えていた。