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No.7・チョコレート警報、仁科 秋

仁科にしなあきは、チョコレートを食べすぎる子供だった。

もともとは甘いもの好きからはじまったことだが、その中毒症状は、自宅にチョコがなければ非常用にとっておいた無糖ココアの粉までこらえきれずに摂取してしまうほどだ。


・・・いつも持ち歩いている個包装チョコが、もし授業中にでもなくなれば、貧乏ゆすりで机がおどり出してしまうかもしれない。

(そもそも皆は、なぜカカオを定期的に摂取せずに、落ち着いていられるのかしら?)


仁科は目の前が真っ赤に染まり、気が狂いそうなほどの欠乏状態が襲ってくるごとに、黒いカケラを口にほうり込んでいた。

そういえば、ミルクティーも足りない・・・

上質な飲み物はチョコほどではないが、それでも体の奥からジワジワとわき上がってくるような欲求がある。

あっ、アイスクリームも・・・


ただの間食好きではないか、と世間に言われることもあるが、仁科はとんでもない、と怒る。

ポリシーがあるなら、脂はつかないのだ。

一日二食、彼女はその合間を好きなもので補っている。

体の欲しいままにまかせるスタイルだったが、美観にきびしいため、外見は予想外に大人びていった。


「・・・彼氏、待ってるの?」

耳が腐るようなセリフでナンパされるようになると、少女は自分を知る時期になったのだろうか。

まだ他の同級生みたいに、夢中な恋をしたいと思ったことはない。

しかし、中学からの電車通学で、たびたび男子から告白を受けて、新たな道を歩み始めたのだった。


まだ中2の終わりだったため、仁科は容貌以外の恋愛に、ビジョンを持ってはいない。

本当に異性を知るのは、数年後に付き合った相手に体を許したあとで、彼女はどこまでも平穏なデートを愛した。

・・・時は、そのようにゆっくりと過ぎてゆくはずだったのだが・・・。

仁科は、やはり普通の美しさではなかったらしいのである。

「けっこう、つまらない子だったよ」

大人になっていくにつれ、相手もレベルが上がってしまったため、彼女は見た目ほどではない女だと、寝ると捨てられることが続いていったのだった。

(・・・私は、これまでずっと自分を磨いて来たんだ。退屈な人間なんかじゃない)

そんな風に、焦ったまま外見を磨いて、仁科はどんどん己をなくしていく女性になってゆく。

それからも友人の目を基準にして、羨ましがられる男を探して歩いている間に、ずいぶん時間が経ってしまった。


「・・・あの子、まだ結婚してないの?」

小学生の幼さが描いていた、キビキビとした才女に成長した仁科は、ただ自分は間違っていないと信じていた。

「みんな、婚期に差があって当たり前なのに、なんで見下したがるんだろう」

女性として、私は男に愛されるようにやってきたんだ。

みんなよりも、たくさん良い男もつかまえてきた。

だけど、子供を産むにはむずかしい年齢に入るころになって、どうして誰も自分を見てくれないんだ。


勤めている会社では、「君のキャリアに見合う相手は、もっと若くて綺麗な子が入れ食い状態なんだから」というような嘲笑が流れており、街のどこにも居場所を感じられなくなっていた。


(育児に取りかかれなかった女って、一番大事なことができなかったってことなのかな・・・)

その時の仁科は、泣きたくなるような気持ちで、毎日昼休みに近くの公園に向かっていたと語る。

都心にあるオフィスの、正面に広がった運動公園では、いくつか人の来ないベンチがあったのだ。

トイレの裏手にあるせいか、敷地も広いこの場所では、あまり好んで選ばれることはない。


・・・いつだったか、雑誌か何かで、10年間不妊治療してあきらめたとたん子供ができたって話があったなー。

膝の上にちょんと弁当を置いて、彼女は澄みきった空をながめている。

(どうなんだろう。つらい道を共に歩むパートナーがいるのと、快適な一人旅は、ふり返った時どっちが幸せに感じられるのかな)

彼女はそんな思いで、瞳をかすませていた。

「・・・」

気持ちのいい木陰で、ふいにのどがふるえそうになったが、以前のように気にかけてくれる男性もいない。

自分なりに頑張ってきたつもりだったが、どうやらもう付き合いを望む相手には、見向きもされなくなってしまったらしい。

ーー ?

そのとき、下を向いていた視界に、細い子供の足が見えているのが分かった。

顔を起こして声をかけようとしたが、うまく表情を作ることができない。

仁科は目を何度かぬぐった。

「・・・お父さんか、お母さんは一緒じゃないの?」

言葉をかけると、少年はこくこくと首を動かしている。短めの髪なのに、おさげのように輪ゴムで毛をくくった、ちょっと面白い男の子だった。

ラケットを二本持っているので、誰かはまわりにいるだろう。

しばらく見回して、じっと待ってもみたのだが、まだ小学生でもなさそうなこの子を気にしている人はいない。


「放っておいてもいいのかしら・・・」

彼女は食事をとろうとしたが、目の前をラケットがゆらゆらしていては、どうにも落ち着かない。

バドミントンの相手がほしいのか、彼は必死にシャトルを打ち上げようとしていた。

「ゆうき!」

しかたなく立ち上がろうとしたら、仁科の後ろから男性の声が聞こえてくる。「トイレに行った時は、お父さんが出てくるまで待ってるって約束しただろう?」

30代の後半くらいだろうか・・・家庭的な雰囲気の男だったが、どこか奇妙な感覚を覚えた。

(この人は・・・)

いつか会ったことがあるのかしら、と懐かしいような気持ちでその相手を見つめる。

男性は、同世代にしてはめずらしく、彼女の整った容姿を見ても少し眉を動かしただけだった。少年の手をとり、押しつけるようにゲンコツをしている。

新鮮な思いで、仁科は変に意識するでもなく、妙なアプローチもしてこない男に謝られていた。

「注意してるのに、すぐ知らない大人に寄っていったりするんですよ」

柔らかな話し声に、きっと妻と幸福な家庭を築いているんだろうな、と彼女は目を細めていた。

また弁当を食べようとベンチに腰をおろしたが、男の子はなぜか、ちょこちょこと周りから離れない。

「こら、ゆうき。・・・すみません、母親がいないもんだから・・・」

「!」

おかしなフラグが立ちそうだと思い、仁科は困ったように肩をすくめていた。

(いくら好感を持てる男だからって、こんなタイミングで出てくる縁っておかしいわよね)

そんなふうに考えていたが、ついさっき、握りしめていた願いを自由にしてやったとたんかなった、という妊娠話を思い出したばかりではないか。

なんでも良い方に考えるくらいしか、もう自分には道が残されていないんだ。

彼女は父親とあたり障りない話をしながら、黙ってそばに立っている男の子の頭に触れていた。

「ちょっと変わった子ですね」

あまり目の前で言う言葉ではなかったかもしれないが、仁科の手をうれしそうに求めている少年は、どこか中性的な感じがしている。

「ええ、なんか女の子がほしがるような玩具をねだられたり、とにかく奇矯な行動をする子なんですよ。無理に好きなものを変えさせるのも、どうかと思いますし・・・」

「そうですか ーー」


仁科はうつむいて、しばらく考えを巡らせていた。

「でも、最近では嗜好の性差が埋まってきてるものもありますよね。学校や、色んな組織ではまだまだ大変そうですが」

そうですねえ、と父親はため息をついて苦笑していた。

少年がまたバドミントンをしに行ってしまうと、ああそうだ、と腰のポシェットに手を回している。

「昼食をとられていたんですよね。これ・・・デザートにいかがですか?」

小さく細い棒のような包みを、手渡してくる。

それをまじまじと見つめた彼女は、「これ、もしかして"テメル"のチョコですか?」

驚いて尋ねていた。

「さすがに女性の方はすごいですね」

男は恥ずかしそうに、デスクワークが多いものですから、と唯一の嗜好を語っていた。

さきほど、この相手が近くのビルに勤めていることは、それとなく話題になっている。

仁科は心が気まずく揺れるのを感じた。

これは踏み出していい"物件"とは言えない。

しかし、はじめに彼と出会ったとき、ふっとどこかの知らない家で、昔のように笑っている自分が見えてしまったのだ。


(わたしは今まで、多くの異性を見下す言葉を繰り返してきた・・・。

自分が発したものは、ちゃんと現実となって返ってくるものだ。基準以上の男性から、私は知らないところで同じようにされてきたのかもしれない)

まだあやふやなままだったが、今度こそ成り行きで進んでみてもいいと思った。

これまでは、周囲のパートナーと比べてばかりで、自尊心が満たされるまで足をふみ出そうとしたことはない。

やがて、その男と昼休みに公園デートをするようになって、彼女は少しずつ考え方がなつかしい頃に戻っていくのを感じていたのだ。


ーー 私はたぶん、ずっと前に、こういう恋がしたかったんだろうな。

もう取り戻せない過去は、かすかな痛みとなって、胸に残ることになる。

週末に会う彼の息子とは、なんとか仲のいいままでいられた。

・・・おのれが得られなかったものは、せめて大切な誰かのものであってほしいと、素直に思いたい。

仁科ははじめて、自分以外の人間に、あたたかい未来を願うようになっていた。



・・・過去の級友のなかでも、かなりの容姿を手に入れていた彼女だったが、その結婚は平凡なものになる。


子宝にはもう一人恵まれ、その隙のない美しさから更年期を過ぎても仁科に浮気の誘いは絶えなかったが、彼女が家庭を忘れることはなかった。

”外見を楽しむためだけに声をかけてくるような男性は、けっきょくこちらが孤独を確認する相手でしかない”


そういう結論だった彼女が満たされたのは、優しさをはじめて信じさせてくれた、夫が求めてくる、朝方の穏やかなセックスだけだったのだ。








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