出席番号1番 ・ アスペルガー、久能 麻衣子
その学校には、一人の天才がいた。
同級生たちからはいつも、「苦悩する女」とからかわれた少女は、のちに変わった人生を歩むことになる存在である。
医者によっては、
「それは病気ではなく、ただの傾向だよ」
などと語られることもあったが、彼女にとってそのアスペルガー症候群は、間違いなく己の一生を悲しみで彩らせることになったのだ。
ーー たいていのウワサなどでは、空気が読めない、迷惑な子供だという反応が返ってくるだろうか・・・。
彼女もその例に漏れず、能力を偏らせた、独自の色が濃い子供なのであった。
・・・会話は鉄砲を撃ちまくるようにバラけ、ドラマ最終回の話をしている女子の横で、トットコはな太郎の一話を語り始めたこともある。
『まあね・・・。あの子はいつも、あんな感じだから・・・』
邪気はないために、それほど嫌われてはいなかったが、脇腹を突然刺すような会話の始め方が敬遠をさそい、自分もまざりたかった真剣な相談からは、すべて除外されてしまう。
「・・・」
少女は己を勘違いし、寂しがっていた。
(わたしの個性は、たぶん世の中のムダなんだろうな・・・)
自分が持って生まれた欠点を、才能だということに気づくには、まだあまりに視野が狭かったのである。
・・・成長した先にある、人生の喝采まで、しばらく彼女はそんな考えで学業を終えていこうとしていた。
「ね、久能さん。 なんとか、その変わったところを生かして、表現とかする仕事にでも就いたら?」
そんな風に、はげましてくれる友人も、少しはいたようだ。
他人とは生きられないタイプってのは、だいたいそれを補う能力を秘めているもんだよ。
それを聞いたとき、久能はわずかに救われたような気になったものである。
かねてからの問題でもあった、病的に好きなものに入れ込むクセを、なんとか仕事に生かせないだろうか。
アインシュタインも同じ病を抱えていたという話があるように、エネルギーを一分野に集中させるのは良いことかもしれない。
久能は、それ以来稀有な力を発揮して、子供のころから変に没頭していた一つ、室内器具のデザイン会社に就職したのだった。
・・・もう少し重度に発症していれば、一角の人間にもなれたのだろうか・・・。
そんなことを思う日もあったが、しかし彼女は、『孤独な家具』シリーズでプチブレイクし、己の苦しみがさらに大きなものなら、生きていられなかったことを理解しているのだった。
「― ああ、久能さん。郵便でーす」
「あら、どうも。 いったい誰からかしら」
かつての偏狭な少女は、それなりに満足しながら、ゆったりした仕事をこなすようになっていた。
― その一通の報せは、そんな穏やかな日々の中、実家の庭に合うデッキチェアを作っていた時に、もたらされている。
『お前は、普通の暮らしができる人間では、決してないのだ』
再びそれを思い知る事件は、ほうっておいても向こうからやって来たのである。
「なに、これ?
裁判員・・・候補者名簿に、登録?」
大人になった久能が出向くことになったのは、当地でも特に注目されていた、スクープ裁判らしかった。
「・・・これはもしかして、テレビでやってたやつなの?」
そのきっかけは、省庁をすでに引退している官僚の話に始まっている。
当時の政治談合で、料亭に落としていた高額経費が、接待の美しい女性に流れていたという、まだ認知されていなかった料亭癒着”娼館化”スクープだ。
・・・マスコミはこれでもかと騒ぎ立て、和装女性の足を割られた姿に、民心は怒りふるえたのだが、いちばんの問題は裁判員にされた人々にある。
すでに退いていたにもかかわらず、皆が元代議士の力を恐れ、それは求刑どころか、話そのものがうやむやになってしまいそうだった。
― そう、ただひとり暴走する女性が現れるまで、公判はどこまでも弁護側によりそって進行していたのだ。
「いや、罪は罪でしょう」
久能麻衣子は、もちろんアスペルガーKYを抱えたまま暴走していく。
彼女は、なんとか裁判員席の一つで、空気を読もうとする努力だけはしていた。
・・・しかしいくら待っても、税金で仲居とやりまくっていた政治家の話しか、出てこないではないか。
彼女は、自分の将来もまったく計算する頭もなく、ただ直列思考で検察の2倍半の量刑を叩きつけたのだった。
『伝説の』 裁判員。
ふつうの人には、未来を犠牲にして身を切るように思えたその先導に、称賛の嵐が舞った。
かつての少女はうろたえ、そのストイックな仕事ぶりまでが暴露されると、『孤独な家具』シリーズは大変な反響を呼ぶことになる。
(みんな・・・。
家庭から自由になりたい人は、こんなにいたんだ・・・)
誰かと、深くつながっていたい。
どこかで、幼いころからの望みを叶えたような彼女だったが、自分が病におかされていたという事実を知るのは、晩年のことになった。
あるテレビ特集で、アスペルガー症候群という存在を知り、涙を流してホッとするのだが、(自分が病だという事実を知ることが最大の救いになる、稀有な疾患)それはまだずっと先の話になる。