017
17話
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「アンスル」南西部 タガモラ丘陵 カズヤ
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試験日3日目 早朝。
馬に水と餌を与えるために、異空間から出た俺が洞窟の外の様子を確認したところ、昨日の昼からの雨は、今日になってもその勢いを衰えさせることなく降り続いていた。空を覆う雲の濃さから今日一杯は止みそうもない。
俺は外の様子をざっと確認した後、念のため”隠蔽結界”を洞窟の入口を塞ぐ天幕にかけ直す。この雨の中ならば、たとえ誰かが通りかかったとしても、ただの丘の斜面としか見えないだろう。
俺が洞窟内に引き返すと、”玄関ドア”のところにカリストさんが立っていた。
「おはようございます。もう起きてしまったんですか?」
「おはよう。十分休めたよ、問題ない。それより外の様子はどうだった?」
カリストさんの様子には別段睡眠不足という雰囲気は見られない。無理をしているということはなさそうだな。
「外は相変わらずの雨です。今日一杯は降り続きそうな勢いですね」
「そうか、しかし期限まではまだ今日を入れても5日残っている。無理をすることはないだろう」
カリストさんのその返事に、思わず口元が緩んでしまうのをこらえながら感謝の意を伝えることにした。。
「ありがとうございます」
「…いきなりどうした?」
「いえ、試験官にそんなアドバイスをもらえるとは思わなかったので。素直に感謝をしてみただけです」
俺の返答を受けたカリストさんは少し顔をゆがめて不満そうな口調でつぶやく。
「……私はあくまで公平な立場のつもりだ。今のは単なる一般論だ」
「ええ、それでも客観的な意見は助かりますよ。俺の一方的な感謝の気持ちです」
「……昨日も言ったがこの”施設”のことで加点も減点もないぞ。評価には一切手心を加えるつもりはない」
「もちろんです。俺としては”失格”も覚悟してましたら、その点で不満は全くありません。評価にについてもしっかり見ていただきたいと思っています」
「……」
そう、昨日カリストさんは”課題である『依頼書』の制限ルールに違反していない”という一点からこの異空間の使用については”評価対象から外す”というだけの温情措置で試験の続行を許可してくれた。
ただ試験官の立場としては俺の”感謝”の言葉を受け取ることが問題と感じているのか、ずっとこんな風なやり取りが続いているのである。
だから、ここは別の方面から感謝を伝えることにした。
「そうそう、風呂は24時間いつでも入れますよ。朝風呂はまた一味違いますから一度使ってみてください」
「……それは買収か?」
「まさか! むしろ今まで他人の意見を聞くこともありませんでしたから、改善案などの意見を聞きたいと思っただけです。試験とは無関係なことです」
「……そうか、客観的な第3者の意見は重要だな、うむ、それなら…いたしかたない」
「ええ、よろしくお願いします。風呂は”命の洗濯”とも言います。心の澱を洗い流して活力を取り戻すという効果もありますから」
「……そうなのか。なかなかに深いものなんだな、風呂とは」
俺の”主観”に偏った風呂の効果に感心しきりなカリストさんの姿を見ると、若干の後ろめたさを感じつつも、そのまま軽い足取りで浴室に向かう彼女を見送ることにした。
◇ ◇ ◇
「……おは…よー…」
みんなの朝食をミニオンとともに用意していたところに夢遊病者のような足取りのチェリーが食堂にやってきた。
「おはよう。どうした調子悪そうだな」
「……いや…朝は…いつもこんなものよ…」
そういうチェリーの目はまだ眠そうにぼんやりと半分くらいしか開いていない。
「眠いのなら、まだ寝ててもいいぞ。今日はずっと雨になりそうだから、ココに足止めになりそうだ」
「……そうなんだ…でも、寝すぎると…身体が重くなるから…しばらく我慢すれば……いつも通りになるわよ…」
そして朝食の準備を手伝おうとするのだがどうにも危なっかしい。俺は自分用に用意していたコーヒーをチェリーに勧めてみる。
「昨日の風呂上りに飲んだ”コーヒー牛乳”気に入ってみたいだから、これはどうだ? 熱いから気をつけてな」
チェリーは俺の差し出したマグカップを両手で受け取り、カップから立ち上る香りを深く吸い込む。
「……香ばしくて、いいにおい……」
そう言いながらチェリーはゆっくりとカップに口をつける。
「にがっ」
「ならミルクと砂糖で味を調整するといいぞ」
予想はしていたので、ミルクポットと砂糖瓶を差し出す。
「……先に言ってよね。…でも、なんか頭がスッキリするわね。これ苦いけど、鼻に抜ける香ばしさがいい感じ」
文句を言いながらも、そのままブラックでもう一口飲む。
「……苦いんだけど、起き抜けには丁度いいかもね」
口調も普通になったチェリーは、今度はミルクと砂糖を入れてコーヒーを楽しむ。
朝食のサンドイッチとスープとサラダのセットを出してやりながら、新しいコーヒー仲間となったチェリーに説明をする。
「南方の竜人国で取れる植物の豆を炒ったものだ。結構好き嫌いがあるんで、俺以外で気に入った人間はチェリーが初めてだな」
「そうなの? ねぼすけな、あたしには丁度いい感じよ。だいぶ目が覚めたわ」
そこで俺はネメアがまだ起きてこないことを確認してみる。
「そういえば、ネメアはまだ寝ているのか?」
「ん? ああ、あたしがこっちに来た時は、子狐たちと一緒にまだ寝てたわね。…本気で”お母さん”みたいだったなー、あれは」
その時俺の頭には昨日のネメアの姿がよぎる。”子狐たち”を両脇に抱えしっかりと支え、絶対に守り抜くという強い意志を感じる姿だった。
「ネメア……”子狐たち”に入れ込みすぎてるというか、無理してるように見えなかったか?」
「…言われてみると、そうかもね。…あたしも見捨てるつもりはなかったし、保護してあげるのは全然問題ないと思うけど、ネメアのは……本当の”肉親”になろうとしているみたいなかんじだよね」
(”肉親”か。チェリーの見立ては的を射ているな。確かにそんな感じだ。少し無理しすぎていないか注意して見ておく方がいいな……)
そんなことを頭の隅で考えながら、朝食を摂り終わったチェリーの様子を伺う。
「どうやら、昨日の疲労は完全に抜けてるみたいだな」
「ん? ああ、もう完璧よ!」
「それなら、コイツを渡しておくよ。ご要望のものだ」
そういって俺は、チェリー用の”ブーツの中敷き”を渡す。夕べのうちにチェリーに足型を取らせてもらい、作ったものだ。
「おおー。ありがとー」
うれしそうに受け取ったチェリーは早速自分のブーツに”中敷き”をセットし始める。俺としてはチェリーがこれをどう使うのか興味があったので質問してみた。
「頼まれたとおり機能はネメアのものと同じにしてあるんだが、それをどう使うつもりなんだ?」
「んー。あたしも試したい所なんだけど、外、雨なんだよね。…洞窟だとチョット狭いから無理かな?」
「どんな場所ならいいんだ?」
「そうだね。広さはそんなにいらないかな? できれば傾斜のきつい崖なんかがあれば言うことないんだけど…」
チェリーの要求する条件にちょうど合いそうな場所の心当たりのあった俺は彼女に教えてやることにした。
「それなら、いい場所があるぞ。この異空間に」
「え!! マジ?」
こっちだ、といって俺はチェリーを居住区画とは玄関を挟んで反対側にある実験棟に案内する。そこは半径10mくらいの半球状の空間で、部屋の中心には半径5m程の円形の広場があり、その周囲を囲むように3m程の高さの壁が立てられている。
ここは本来魔道具の動作テストのための空間で、万一の事故が起きた場合も耐えられるように頑丈な構造で作ってある。当然中心の広場を囲む防壁は爆発などの事故を想定した衝撃吸収型の分厚いものである。防壁の外側には実験室の外周に沿って回廊状の通路と共に実験の準備室や魔道具の素材や完成品の倉庫などのいくつかの小部屋に区切られている。
「どうだ? この防壁なんか、注文通りだとおもうが?」
「ええ、バッチリね! いうことないわ」
実験室の中を見回しながら防壁との距離を確認しつつ、ブーツの機能確認を行っている。彼女は何度か”中敷き”に魔力を通して、地面との”固定”と”解除”を細かく切り替えながら広場の円周に沿って、大きく前方ジャンプを繰り返す。
(踏み切りのグリップ力を上げるために”固定”使っているのか? 器用なもんだな…)
実際チェリーの身軽さは知っていたが、彼女は足りない筋力を魔道具で補うように、ジャンプをする時にだけ集中して力を使っているのか、今までよりも動きが格段に大きく遠くに飛べるようになっていた。
「すごいな。俺が想定した以上にうまく魔道具を使っているじゃないか」
俺は手放しの賞賛の声を掛けたが、それに対するチェリーの反応は淡白だ。
「ふふん。まだまだ、こんなもの準備運動よ! 本番はこれから!」
そういって、先ほどと同じく広場の外周に沿って走り出した。しかし、今度は突然直進したかと思うと防壁に向けてジャンプする。
「あぶない!!」
思わず叫びを上げた俺の言葉を無視するかのようにチェリーは防壁と衝突した。
いや、ぶつかったと思った瞬間、チェリーの体は防壁の上へとさらにジャンプしていた。それは一度では終わらず2度3度と続き、ついには防壁の上へ上へと壁を駆け上がっている。
彼女の動きはそれでも止まらず、今度は左に進路を変え、逆に防壁を駆け下りる。いやいや防壁の側面を地面とはほぼ平行に走っていた。体は真横に倒れ、地面にこすれそうになる直前に体を引き上げ、再び防壁を斜めに駆け上がっていく。
そうやってチェリーは円周上に立てられた防壁を上下に駆けながら一周すると、俺の目の前にジャンプして着地する。
「フゥ、どう? これぞ”忍法壁走り”なんてね」
「……」
チェリーの呼吸は乱れ、頬も運動によるものか興奮のためかは分からないが赤く上気している。
俺はあまりの想定外の状況にとっさに反応することも忘れ、彼女の顔を見つめたまま動けない。
「…ちょっとー、なんかいってよ! あたし一人だけ舞い上がってるみたいで恥ずかしいじゃない」
「……いや、あまりに驚いてな。グランドアンカーにこんな使い方があるとは思わなかった」
「まーねー。あたしも思った以上にうまく行ったんでちょっとびっくりかな」
チェリーのおどける姿に、少しは冷静になれた俺は、彼女の先ほどの動きを改めて検証してみた。
「…俺には無理そうだな、あの”壁走り”か? せいぜい、出来ても”壁上り”くらいか…」
「??なんでよ? やってみればいいじゃない? 意外にあたしみたいに出来るかもよ」
「イヤイヤ、いくら壁に”固定”されているといっても足の裏だけだぞ。どんな身体バランスしてんだよ」
「ええー。そっかなー? 結構勢いでまっすぐ走れたよ、壁って」
チェリーは簡単そうに言うが、重力に逆らって平行に体を保つことが、どれだけ大変なことか、分かっていないようだ。肉体の姿勢制御を行う筋力と体重のバランスが絶妙で、かつ優れた三半規管が備わっていないと、人間は簡単に重力の束縛を逃れることは出来ないと思う。
「まあ、チェリー自身が使えるというならば問題ないか。逆に使いこなせれば、かなりの武器になるだろうな。他人が早々真似できないことには、それだけの強みがあるだろうし」
「え?あたしそんな強くなれるなんて思ってなかったんだけど…」
いかにも”面白そうだったんで、やってみました。”といった軽い調子のチェリーに俺は若干の頭痛を感じながら噛んで含めるように説明をしてやる。
「あのな。戦闘において相手の頭上の位置を取ることがどれだけ優位になるかわからないか? 相手は上に向けて攻撃を打ち上げないといけないが、上にいる人間は、何かを落とすだけで攻撃になるんだぞ。しかも人間は頭の上への注意は忘れがちになるから不意打ちもしやすい」
「……いわれてみれば、なんかすごそうね」
「ああ、すごいな。特に森みたいに樹の多い場所なんかだと、隠密で身を隠しながら、頭上から一方的に不意打ちできるし、見つかっても樹の上を逃げ回れるから早々捕まることもないだろう。ある意味無敵だ」
「~~~それ! イイ! なんかあたし向き!!」
漸く、ことの重要性を理解したのか、どこか高揚したような表情で未来の自分の活躍の姿を想像しているみたいだ。
「しかし、そうなるとますます”投擲”を覚えたほうが効果的だな」
「あー、そうだよね! くー、あたし先見の明があるっしょ」
…たしか”投擲”を勧めたのは俺のはずだったんだが、チェリーの記憶ではそうなってるのか…。
まあ、それで本人のやる気が出るなら問題ないか。
「だが”投擲”は一応”スカウト”のスキルなんだが、チェリーはまだ”盗賊”だったな、クラスアップの条件はまだ満たしていないのか?」
俺の何気ない質問にそれまで元気だったチェリーの様子が一気に落ち込む。
「そー、なんだよね。もう結構長い間がんばってるんだけど、なかなかクラスアップできないんだ。なんでかなー?」
――この世界にはいわゆる"天職"という”世界システム”が存在している。
誰が作ったのかは定かではないが、神がこの世界の創造とともに創ったとする説が有力視され信仰の対象となってもいる。
ともかく”天職”は厳然と存在が認識されており、各人が持つおのおの”才能”によって、それに適した職業が”認定”される。その職業につくことができれば職業に関連する能力の”成長補正”が受けられ、通常の活動や訓練において、より短時間に大きな成長が達成できるのである。
剣士クラスならば”筋力”や”耐久”がより早く成長し、魔導師ならば”知能”や”器用”がより伸びやすくなるといった具合だ。
どの職業につくかは本人の自由だが、”天職”と”認定”されていない職業に就いたとしても、自分の能力を生かすことが出来ないため、仕事の効率や成功率が悪くデメリットしかない。
そして、クラスの”認定”がなされた場合のメリットのもう一つが、”世界システム”よってスキルの”習得補正”が付くということだ。つまり、クラスに関係するスキルは”より短期間での習得が可能”という恩恵が受けられるのである。
そのクラスでなくてもスキルの習得は可能とされているが、補正がないため習得期間と難易度に問題が出るのである。
ちなみに”天職の認定”はギルドの職業相談所にあるアーティファクト”魂の水晶”で認定され、その結果がギルドカードに記録されている。
ここで一つ問題なのが”魂の水晶”は就職可能な職業の”認定”はしてくれるが、目的の職業に就くための”条件”は教えてくれないのである。
運よくすぐ”認定”受けられれば良いが、”条件”を満たしていない場合は、自分に足りない部分を再検討しての再訓練の繰り返しが延々と続くことになる。
”魂の水晶”の判定自体はギルド員なら無料で受けられ、結果もごく短時間で出るのだが、クラスアップのための情報は経験則としてある程度共有化されているとはいえ、なかなか認定を受けられない者が多くいることは否めない。
「一応、今回試験の前にも”天職の認定”を受けてみたんだけど、まだクラスアップは出来なかったんだよね」
「…一度調べてみるか?」
「へ?」
そういい残して俺は収納倉庫から一つの魔道具を持ってきた。チェリーは俺が戻るのをそのままの姿勢で待っていた。
「じゃ、チェリーこの水晶に手を置いてくれ。それとなりたい職業を頭にイメージしてくれ」
「え? これ、”魂の水晶”とは違うの?」
「ああ、これはちょっと特別な水晶なんでな」
「んー、わかった、やってみる」
チェリーは俺の持ってきた水晶に左手を乗せると目を閉じた。
「……」
「…いいぞ、目を開けてみるといい」
「へ? ナ、ナニコレ!!」
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name チェリー・スプリング
Level 12
Class 盗賊 → スカウト
HP 34
MP 26
STR 5 → 6(-1)
VIT 6
DEX 11 → 12(-1)
AGL 15 → 12(+3)
INT 3
MGR 5
LUK 9
CHR 7
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チェリーは”宿命の水晶”の上に浮かんでいる半透明のウィンドウを凝視したまま固まっていた。
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《今日の魔道具》
●ブーツの中敷き
(上面)”脱水浄化”ᚾ 欠乏・ᛚ 水・ᛚ 浄化
(下面)”グランド・アンカー”ᛃ 地・ᚦ トゲ・ᛁ 固定
●”宿命の水晶” ᚨ 伝達ᚾ 必要・成長・ᛗ 人・ᛈ 発見・ᚢ 本能の力
使用者の現在のステータス情報に加えて、潜在能力の認識も可能にする。