第八話「偽りの空」
仄視点
暗雲のように重く垂れ込める空の下で、妖一族の総本家である「殻津家」は賑わいを見せていた。
地方に散らばった一族の流れを汲む者たちが集まったのである。総出で迎えるは華長の選定式。一族の長を決める儀ともなれば、大がかりだった。
そして今回は二人。通常であれば一人の候補がそのまま襲名となるのだが、御三家の意見が分かれたこともあり決定的な答えは見出されず、この選定式典である条件を達成した者が華長になれるという、未だかつてなかった儀式の形となった。その物珍しさも相まって、参加者は多くなったという。
儀式用に作られた真新しい衣装を身に付けた自分が映る姿鏡。
数日前までこんなことになるとは思ってもいなかった。
母がまだ生きていた頃、母と共にあの家で過ごし消えるのだろうとぼんやり思っていた。
母と共に過ごした時条家とは、御三家のひとつ。
一族から疎まれた母娘を受け入れたのは、母と幼馴染として育った人がいたから。
穏やかな時も、一歩家から出れば変わる。優しいか興味がないかで接するのは人間、無視されるか冷たい視線を向けるのは妖。いつしかそう区別できるようになった頃、母に尋ねた。
「母様。どうして妖は母様と私をあんな目で見るの?」
立っていた母は目線を合わせるようにしゃがみ、わかりやすく教えてくれた。
そう、本当は私こそが望まれない子供だったということを。
以来閉ざした心に触れてきたのは、御三家のひとつ蒼山家の長子である連だった。
ことあるごとについてくる彼には、最初から全てがお見通しで飾る必要がない。少しでも妖らしくと気を張らなければいけない中、それは単純に嬉しい。
「仄。あっちは準備できたみたいだよ。行こう」
当たり前のように差し伸べられた手にそっと手を重ねる。
過去の記憶に引きずられている暇はない。まだ闘う力を手に入れていない今は、ただ上を目指すしかないのだから。
「あなたはあの子のそばにいなくていいの?」
少し前を歩く頭一つ分高い背に問いかければ、ほんの僅かに振り返り微笑んだ。
「君が心配することないよ。今は儀式に集中すればいい」
「……誤魔化さないで、蒼山連。あなたが話題を逸らそうとする時、何かを隠そうとしているのなんてわかってるわ。あの子をどうしたの?」
「……どうしたと思う?」
繋がれていた手が離れる。向き合った連の口元には笑みが浮かんでいるのに、目は細められ何の感情も灯っていなかった。黒い瞳が覗き込むようにじっと見つめ、思わず息を呑んだ。
「君が僕をわかってくれているようで安心したよ。あんな子供よりよっぽど頭の巡りはいいから、好きだよ」
目の前を塞ぐように突っ張られた腕。そして囲うように壁際に追いやられ、逃げ場のない状態にただ彼を見上げることしかできない。これは母が天へ還った日の状態に似ているようで非なる形。
だから――だから彼はあの時二人の華長、と言ったのだ。最初からそのつもりはなかったというのに。
「それがあなたの本性なのね」
やっと紡いだ言葉は震えてしまい、代わりに彼を睨む。いつでも応戦できるように指先に力を溜めていく。
「急く必要があるかしら」
「僕にはあるね。おそらく君にとっても邪魔な存在じゃないかな。知ってるだろ? 八鬼を」
最後の言葉にドクリと鼓動が強く打ったような感覚が走った。
「妖を管理するっていう天の使い? まさかそこまで一族が落ちぶれているの?」
「華長だった君達の母親が気付いたんだ。彼らが見落とすわけはないと思う」
『八鬼』――それは妖一族の誕生と共に天界よりつけられた、一族を監視する者達。
妖が力を暴走させ人に危害を加えたり、妖達が衰退化を辿る時に現れ一族を跡形もなく抹消するという存在。それは初めから無かったこととして処理されてしまうという。
天界へ還ることもできないとは、一族の誇りどころか存在の否定という事態に陥る。
「……それはわかったわ。でもあの子がいない限り反発もある。分離や内部争いとなればそれこそ彼らの対象になってしまうわ」
「仄……情でもわいた?」
それはそれは面白そうに声をたてて笑う彼。混乱していた頭もそれを見て冷えていくようだった。
ひとしきり笑い終えると彼は近づき、耳元で囁いた。
「あの子は今頃森にいるんじゃないかな。初めての外だし、きっとうかれてるだろうね」
「蒼山連」
名を呼ぶのと同時に彼の首元に爪先を突き付ける。力により長く伸び鋭利になった先を見て彼の顔も少し引き攣っていた。
燃えるように体が熱く、それでも冴え冴えとした頭はひとつの道を選択した。
「ひとつ言っておくわ。あの子に同情はしても助けようとは思わない。許せないのは勝手に動き、卑怯な手段を選択したことよ」
「……君は曲がったことが嫌いだったね。でも今はそんなこと言ってられないだろ?」
「私があの子を蹴落としたと言われるのよ」
「そんなに変わらないじゃないか」
とっ、と離れた彼は肩を竦めた。
「君は“闘う刃がほしい”と願った。それだけでいいと。そのための最短の道を用意してあげたんだ。約束は違えてない」
悪びれた様子もなくそうのたまう彼を置いて、再び歩き出す。
鈍色の空は変わらず、生温かい空気が頬を撫でる。まるで誰かに触れられたようで背筋に走った悪寒を無理矢理振り払い、気を引き締めた。
しかし、脳裏に浮かぶ森の光景は儀式の最中も消えることがなかった。