8 なにも残ってないぞ、この邸
エリカと共に下見に行って驚いたのだが、旧コーセヌ伯爵邸は王都のど真ん中、貴族たちが邸を構えるエリアの中でもメインストリートに面していて、王宮の正門がすぐそこに見える場所に立地している。
コーセヌ伯爵家がいかに王家から信頼されていたかの証だな、きっと。
最後の当主となったあの巨漢野郎はともかく、歴代のコーセヌ伯爵家はダンダラス王国がどこかから攻められた時に王都を死守して王族を守り抜く役目を担っていたんだろう。
だからこそ、この国の人間はコーセヌ伯爵家のことをダンダラス王国の盾と呼んで特別な感情を持っていたんだと思う。
王国の鉾ではなく盾と言われるのは、建国以来進んで他所の国に攻め込まないというのを国是としてきた王家の信念を体現していたからだし、それは今の国王陛下の信念としてもちゃんと受け継がれている。
もし変化があったとすれば、国是じゃなくてコーセヌ伯爵家の歴代当主の方で、何百年もの歴史の中には己の武を誇って示威行動を取るような莫迦や、ナンパに精を出して槍よりも女の扱いに長けた阿呆が居たりしたそうな。
そのうち、問題のある子供が多く生まれるようになって、ついには世継ぎそのものが生まれなくなってしまったって話だ。
長く存続している家だから大小取り混ぜてたくさんの分家が存在していたので、跡継ぎの件が取り立てて問題となることはなかったものの、コーセヌ伯爵家としての求心力は間違いなく急降下していったんだろう。
そこに今回の問題児だ。
思うに、素行に瑕疵があると評されるぐらいならまだしも、国王の姪をあたかも自分の配下のように扱って我を通そうとするとか、貴族の本分すら忘れてしまった粗暴な男が当主になった時点で、件の伯爵家としては詰んでいたんじゃないだろうか。
そして、当主の悪行を見過ごすどころか、積極的に関与しては甘い汁を吸っていた分家が結構いたってことも今回の厳重な処分に至った理由の一つだろう。
と、コーセヌ伯爵家についての論評はそれぐらいにして、今日の本題の邸宅なんだが。
門扉がひしゃげて開いたままになってるよ。
結構頑丈な造りに見えるんだがな。
車寄せに続く道に飾ってあったんじゃないかと思う彫刻のようなものは、一部は持ち出されたようだがそれが出来なかったものに関してはブチ壊されてる。
ま、ミケランジェロ級の傑作が飾ってあったわけじゃ無さそうだから、石ころが置いてあるよりは幾らかマシ程度のものなんだが。
大玄関の巨大な扉は傾いだまま閉じなくなっていて、その先にホールの荒廃ぶりがよく見渡せる。
ていうか、よく壊せたな、この大扉。
破城槌でもなけりゃムリだろ、普通。
壁に掛けてあったはずのタペストリーは一枚も残ってないし、ご丁寧に家具の類まで見事に持ち去られている。
「これは…。想像以上の状態ですわね」
美少女が声を詰まらせながらようやくそう言った。
「これを盛時の姿に戻すのはかなり骨が折れそうだな。何より先立つものが必要だ」
「そちらの方は私が何とでもいたしますが、あまりに無残な…」
「ま、栄枯盛衰の見本みたいなものだな」
「他人事のようにおっしゃいますが、ここは既にオスカーさまのお邸ですのに」
「立地としては最高だし、広さも申し分ない。幸いなことに屋根までは盗まれていないようだから、取り敢えず雨露を凌ぐ分には何の問題もないな」
オレの個人的な見解だが、文化程度が中世初期の欧州に近いので、この世界の邸宅といえども窓はそれほど広くは作られていない。
紡績技術が稚拙だから、布の類はおそろしく高価なんだ、これが。
だから、おそらく邸中の衣類なんかも根こそぎやられてるだろうな。
ま、巨漢野郎が着てた服なんぞ着たくもないし、サイズも合わないとは思うんだが。
第一、複雑なデザインがあるわけじゃないしゴワゴワだけどな。
美少女と二人で中に入ってみたんだが、そこも盗賊の仕事後みたいな感じだ。
目ぼしいものは何も残っちゃいない。
というか、よく放火されなかったなと感心しているくらいだ。
城塞じゃないから基本的に二階は無いんだけど、その代わり地下部分がわりと広い。
基礎的な構造は石造りで、内装だけが木で出来てる。
石の扉じゃ開け閉めできないもんな。
で、地下へ続く階段を下りて行ったんだが、何故かこっちはそれほど被害を受けてなかった。
なんでだろうと考えていたら、美少女が答えを教えてくれた。
「昼日中にこんなことをする方はあまりいらっしゃらないかと」
なるほどな。
真昼間の今でさえ地下は暗くて視界が悪い。
街灯があるわけじゃないこの世界では真夜中も地下室も変わらないと思うんだが、どうもそれだけじゃなさそうだ。
地下部分の一番奥からなんだか気味の悪い声が聞こえてるんだよ、今も。
「あの、オスカーさま」
震える声でオレの名を呼んで胸にしがみついてくる美少女。
クソっ、いい匂いするじゃねぇか。
「なんだ」
「オスカーさまは私のことを守って下さいますよね」
暗闇だから美少女の顔が見えない。
惜しいな。
きっとそそる顔してるんだろうな。
いやいや、邪な事考えちゃダメだろ、オレ。
「暗闇で何も見えないな。せめて明かりが有れば」
「あっ・・・」
そう言うと、美少女は何やら呟いていたがホワッと優しい明かりが頭上に灯った。
「忘れてました。光魔法で明るくするの」
お前なぁ。
可愛くなけりゃシバき倒してるところだぞ。
「あぁ、よく見える。助かるよエリカ」
「オスカーさまの手助けが出来て光栄です」
「で、なんでまだその体勢なわけ」
「だって、声が。聞こえるでしょ、オスカーさまにも」
ふんふん。これか。
獣が唸るような、人が苦しんでるような…。
これって、人の声じゃないのか。
じゃ、助けに行かなきゃ。
だって、オレって勇者なんだし。
「人が苦しんでるみたいだな」
「獣が潜んでるということはないですか」
「そういうのもあるかも知れんが、取り敢えず確かめに行かないとな」
「あ、あの…」
「エリカはここで待っててもいいぞ」
「え、ウソ、こんなところでですか」
「怖いんだろ」
「うぅっ。でも、私が一緒に居ないとオスカーさまは明かりがない状態で進まなければならないですよ」
「仕方ないだろ。怖がるエリカに無理強いは出来ないし」
「優しいのか優しくないのか、判断に困ることをおっしゃらないで下さいませ」
「なんだ、それ」
「もうっ。私はオスカーさまの妻となる身です。足枷などになりたくはありません」
そう言うと、美少女はオレの背中に回ってしがみ付いてきた。
控えめな胸が主張してるぞ。
「このまま進んで下さればオスカーさまの視界を確保できます」
震えながら言うことか、それ。
可愛いけど。
「じゃ、離れるんじゃないぞ」
「何があっても離しません。えぇ、離しませんとも」
美少女の魔法で照らされながらオレたちは地下の一番奥、突き当りにある扉の前までやって来た。
やはり、声はこの中から聞こえているようだ。
「開けるぞ」
「はぃ…」
「明かり、頼むぞ」
「はぃ…」
「行くぞ」
「はぃ…」
可愛いったらありゃしない。
いや、雑念は捨てよう。
控えめな胸が心地いい。
扉を開けて中へ入ってみると、やはり人の気配がする。
やがて美少女が作り出した明かりに照らされて中の様子が分かるようになった。
「なんだこれは」
思わずそんな言葉が口をついて出て来た。
人が三人、壁に縛り付けられていた。
いつからそんな状態だったのか、三人とも自力で立てないほどに衰弱していて、縛られている革紐に半ばぶら下がっているような状態だ。
「これはいかん」
言うのと走り出すのが同時で、美少女を連れていることを忘れていた。
「ぁ…」
小さな声が聞こえたが、今は許せエリカ。
ローエングリンの槍で壁に縛り付けている革紐を順に切り落として三人を開放していった。
小さな明かりの中でも分かるほど三人とも瘦せ細って呼吸も荒い。
美少女も合わせて四人も一度に動かせないから誰を最初に運ぶべきか迷っていると、美少女が震える声で懸命に訴えて来た。
神槍を使えばきっと四人で移動できます。
だそうだ。
なるほどな。
オレは痩せ細った三人をローエングリンの槍の柄の部分にくの字になるように掛けて肩に担ぎ、美少女の手を引いて急ぎ足で明るいところまで戻った。
初めて握った美少女の手は小さくて柔らかだった。
いや、それどころじゃない。
医者…といっても、医療と呪いの区別がついているかどうかも怪しい世界だ。
頼りになるのは、やはり魔法らしい。
だから美少女に尋ねてみた。
「こいつらを、取り敢えず死なないようにしてやれるか」
「はい。オスカーさまがそうお命じになるのならそうしますが、全快させることも難しい事ではありません」
そうか、教皇領の最高の魔法使いも及ばない治癒魔法の天才だったな、この美少女は。
「ならば治してやってくれないか。ここでこうしていた理由が聞きたい」
「畏まりました。オスカーさまの御意のままに」
美少女がよく分からない呪文を口にすると、襤褸切れのような三人の体を虹色の光が包んで、すぐに消えた。