2 ちょっとした冗談じゃないっすか
俯せの姿勢のまま痙攣を続けている巨漢を無視して、オレは美少女に話しかけることにしたのだが。
とりあえずオレがやったことは、このなんたらいう国の鉾とか楯とか自分で言ってた、自称国家最高戦力の男を一撃で沈めたということだけだ。
そんなに強いとは思わなかったけどな…。
美少女が幾分自分を取り戻したのに比べ、初めから巨漢に鼻薬を利かされていたであろう衛士たちの混乱ぶりは酷いものだった。
取り敢えず、そこに転がっている巨漢がこの場に居る衛士たちにどう思われているかよく分かって面白いな。
皆が手に持つ身の丈を超える木の警棒で巨漢の体をつつき回していたが、まったく意識を取り戻す様子さえ見せないことから、衛士たちのオレを見る目が恐怖に満ちて行った。
「おい、そこの衛士とやら。早くこのバカをどっかに連れて行け。目障りでしょうがねぇや」
声を掛けられてたまたまオレと目が合った運の悪い衛士は、硬直したまま動くに動けず剰え呼吸すら怪しくなったようで、段々と顔色が紫がかって来てついにはその場にぶっ倒れてしまった。
「あ~あ、何やってんのかねコイツは。衛士と言ったら要人警護のスペシャリストだろうが」
ぼやきながら、オレは更に目が合った衛士に同じことを繰り返し命令した。
ところが、今度はその衛士の顔色が怪しくなって全身が震え出してしまった。
仕方なく、オレは痙攣している巨漢の手から十字鎌槍を取り上げると、その場にいる衛士たちを眺め渡して言ってやった。
「全員でかかれ。早くしないとこの槍が動くかもよ」
言い終わるや否や、衛士たちは巨漢を引きずって行った。
おいおい、いくら普段の素行が悪いったって、ゴンゴン頭打ってるぜ、そのバカ。
ま、どうでもいいけどさ。
「あの…」
消え入りそうな声でオレに話しかけてきた美少女に振り向くと、おれは出来る限り怖くないような顔を演出した。
それが功を奏したのか否か、美少女はおずおずと話し始めた。
「改めましてご挨拶を申し上げます。私はダンダラス王国国王が姪にしてサンジェリス公爵が娘、エリカ・フォン・サンジェリスと申します」
ふむ。近くでよく見るととんでもない美少女だわ、この娘。
ギリシャ彫刻なんて目じゃないほど均整がとれた美しさだよ。
どうやったらこんな娘が生まれてくるんだろか。
オレがこの場に呼び出されたことよりも、寧ろそっちの方に興味が行っちゃいそうなんだけど、とりあえず今は我慢してこの娘の話を聞かなきゃな。
「ご迷惑とは重々承知しておりますが、このままでは我がダンダラス王国どころかこの世界すべてが魔王の手によって滅ぼされてしまいます。そうなれば私を含めて生き残った人間たちは魔王配下の魔族やモンスターの餌とされるか、或いは慰み者として一生を終えるしかないことになります」
「ふむ、それがイヤだからオレを勝手に拉致したと」
「いえ、決してそのような意図は…。いえ、そうですね。私たちの身勝手から勇者さまをこの場にお呼びしてしまったことに違いはありません」
「そうだよな。でさ、こんなとこに連れて来られて、オレどうすりゃいいの」
「できましたら、その…、魔王を討伐していただけたらと…」
「そう。ふーん。自分たちは安全なとこに居てオレに危険な目に遭えと」
「いえ、決してそのような意図は…。いえ、でも結果的にそうなりますね」
「うん。正直なのはいいことだと思うよ。でもさ、オレもバカじゃないんだからキミたちの言う通り動くわけないとは思わなかったの」
「それはその…。誠心誠意お願いすればきっと分かっていただけると信じておりましたが」
「なるほどね。でもさっきの大男はそうじゃなかったみたいだね。なんか別の思惑があったみたいだし」
「・・・・・・」
「もしかして、この国の人はみんな君と同じように考えてるって思ってたの」
「いえ、その、はい…」
「なるほどね。正直はいいことだ。でも」
正直者はバカを見る。
とは口に出さなかった。
「みんなの意思統一を先にすべきだったね」
「おっしゃる通りですね」
結局、薄暗いこの場所で話を聞くよりもっと他に部屋はないのかと聞くと、美少女は初めてそこに思い至った様な顔をしてまたもや詫びの言葉を口にした。
美少女の先導で薄暗い部屋を抜け出すとそこは深い森のような場所で、日は中天に差し掛かったところだったが、日光は木々に遮られて先ほどの部屋よりは幾分かマシ程度の明るさだった。
細い道が一本だけ続くその先は森の中に消えていくように見えてあまり気分のいいもんじゃなかったが、その感想はすぐに騒音に紛れてしまった。。
森に消えていくように見えた一本道の先から、大勢の人間の声と馬の嘶き、そしてそれらを搔き消すような馬蹄の響きが伝わって来た。
騒音が聞こえてすぐにそれらの正体が明らかになったが、オレとしてはどう見てもアーサー王と円卓の騎士、若しくはロビン・フッドが暗躍していた中世の頃の金属鎧に身を包んだ騎士たちのようにしか見えなかった。
あれって、戦場では大も小も鎧の中に垂れ流しだったんだよなぁ。
だって一人じゃ絶対脱着できるような代物じゃないし。
あ…、臭そう。
「あれはダンダラス王国第一騎士団の紋章です。やっと迎えの者が来ました」
そう宣う美少女は少し緊張の度を緩めたように見えたけど、オレとしちゃさっきの巨漢のことがあるからなぁ、そう簡単に信用はしないぜ。
やがて三十騎ほどの一団が全身鎧をガチャガチャ云わせながらこちらに近づくと、先頭を走っていた者が馬を飛び降りて美少女の前に片膝をついた。
「エリカさま、ご無事でございましたか」
そう言われても美少女には相手が誰か分からなかったようで、困惑の表情を浮かべていたが、それに気づいたその騎士は慌てて兜を取って顔を見せた。
うわっ、汗臭ぇ。
でも、糞尿の臭いがしないだけマシかな。
それにしても暑苦しい顔してやがるぜ、こいつ。
「まぁ、ロメンタル準男爵殿ではありませんか。そなたが何故第一騎士団に」
「はっ。先ほどサリンジェス公爵閣下の命によりエリカさまの護衛の任に就きました」
「そう。それで近衛騎士のそなたが第一騎士団を率いているのですね」
おいおい、話が見えねぇよ。
オレにも分かるようにしろってんだ。
その気持ちが伝わったのか、美少女はロメンタルと名乗った暑苦しい準男爵にオレのことを紹介してくれた。
「失礼いたしました、勇者さま。ここに控えますのはダンダラス王国近衛騎士団の中隊長ロメンタル準男爵でございます。そして、ロメンタル準男爵殿、こちらが召喚に応じて下さった勇者さまですよ」
そう言われたロメンタル準男爵はオレに向き直って改めて片膝をつき、自己紹介を始めた。
「初めて御意を得ます。わたくしはダンダラス王国近衛騎士団第三中隊長レットール・フォン・ロメンタル準男爵と申します。以後お見知り置き下されば幸いに存じます」
きちんとした挨拶されちゃったら、やっぱこっちもきちんと返さなきゃいけないよな。
ってことで、オレも自分の名を名乗らなきゃいけなくなった。
「ご丁寧な挨拶痛み入る。オレは…」
さて、なんて名乗ろうかね。
周りみんな横文字の名前だしなぁ。
っても、黒髪黒目で醬油顔ときてるから、いきなりそんな風な名前を名乗るのも不自然かも。
ま、いいや。
今、頭に浮かんだこの名前でいこう。
「オレの名前はローエングリン。オスカー・フォン・ローエングリンだ」
いや、ふとワーグナーのオペラが頭を過ったんだよ。
ついでにあの有名な結婚行進曲も。
タンタカターン、タンタカターンってやつ。
ま、もうそう名乗っちゃったからな。
そうすると、美少女も暑苦しい騎士も同時に驚いた顔になった。
「まぁ、でも、ダンダラス王家に伝わる神槍と同じ御名とは…」
「エリカさま、もしや伝承が現実となるのでは」
「えぇ、ええ、そうね。きっとそうだわ。あの神槍がこの世で再び目覚める時が来たのよ」
いや、ちょっと待てよ。
何のことだかさっぱりだぜ。
事情を説明しろってんだ。
「これは急ぎ国王陛下に謁見をお願いせねばなりません」
そう言って頬を紅潮させた美少女は言葉を継いだ。
「ロメンタル準男爵殿、騎士を一人お借り出来ましょうか。国王陛下にこのことを」
「もちろんですエリカさま」
なんだなんだ。暑苦しい騎士の方もなんだか興奮の体で麾下の騎士の一人を伝令として走らせやがった。
では参りましょうか、なんて言いながら美少女はオレの腕にしがみつくように体をくっ付けてくるし、騎士団は騎士団で最後尾に付けていた馬車にオレと美少女を押し込んで、それを護衛するような配置で走り始めやがった。
いや、ちょっとしたノリで名乗っただけなんだぜ。
スペオペとワーグナーを合体させてさ。
いや、悪気は無かったんだってば。
なんかあったらこいつらみんな、オレの敵になっちゃうってことだろ。
勘弁してくれよ…。