第一の町モーウヌスノ/03
ミルを縛るものを呪いと言うのなら、ダルの中で蠢くものを呪いと言うのだろう。
「お兄ちゃん…、もう終わりにしよう。」
懇願するミルの声は兄のダルには届かなかった。徐々にダルはダルでなくなっていく。この場に居るものは誰もそれに気づかなかった。場の雰囲気に飲まれ警戒心が無くなっていたのだ。魔術師さえも。
「これは一体…っ!?」
老人を引き連れ現れた魔法治癒師と剣士は何が起きたのかわからないと言ったように少女らを見つめていた。老人は悲しそうに杖を頼りに二人の元へ。
「…すまなかった。」
涙が床へ落ち、染みを作る。老人の目から涙が零れ落ちたのだ。胸を締め付ける痛みともう子供達とは暮らせない悲しみが入り混じる。皺だらけの顔はもっと皺だらけになり、涙で汚れ、老人は泣き崩れた。
「…お父さん。」とミルは微笑みながら老人に手を伸ばした。
老人の腹を手が貫く。何が起きたのか、老人は体を貫通する手を見てどっと血と共に汗が噴き出す。ミルの手は老人には届いていなかった。
「……俺は、嫌だ。」
手を引き抜き、老人は倒れる。引き抜かれたダルの手は老人の血で染まっていた。咄嗟に魔術師が受け止め、その手の持ち主に向けて魔術で攻撃した。老人の血で作られた蔦はダルを壁に拘束する。ミルは甲高い悲鳴を上げ、ダルと老人を交互に見た後、老人に駆け寄った。
「突っ立って無いで傷を塞げ!それでもお前は魔法治癒師かッ!」
だが魔法治癒師は血を見て卒倒しており、魔術師は使えない人間だと舌打ちをする。
「ガースト、お前はディスティーを連れ戻して来い!」
「は、はい!」
声が裏返っている剣士は青年を連れ戻しにこの場を去った。残っているのは魔術師、精霊、魔法治癒師、老人、少女、青年ダル。
「フィロ、お前は──」「もう手遅れよ。」
精霊の言葉に少女は愕然とし、その場にへたり込んだ。この出血量では傷を塞いでも助からない、魔力の無駄だ。
「死んで当然さ、あのまま死んでいれば俺達は苦しまずに済んだ。あのまま楽に死んでいた。即死だったんだ、なのにこのジジイは俺達を生き返らせた。生き返らせるだけじゃなく、この世に縛りつけた。」
ダルは蔦を引き千切り、蔦は血に戻った。その血をダルは恍惚そうに舐め取り、口角を釣り上げた。
「そんな俺達を此処の町民は気味悪そうに見ていた。幽霊や化物を見るような目で見ていた。なあ、ミル…お前も嫌と言うほど体験しただろう?
その全ての元凶はこのジジイだ、全てこいつが悪いんだ。何も悪くない俺達が何でこんな思いをしなきゃならないんだ。理不尽だろう?可笑しいだろ?狂ってるだろ?」
「それでも…っ!どうして、どうして…!!」
ミルは泣き喚きながら、老人に縋り付いた。その行動はダルを苛つかせる。
「どうしてじゃない!!何でそんなジジイの為に泣くんだ、俺達を苦しめた元凶だぞッ!どれほど俺達が…俺達が……ッ!!」
「苦しめたって言っても…!!私はお父さんに会えて良かった、死んだとわかったとき…お父さんやお兄ちゃんに会えないって思って悲しかった!どんなに苦しめられても私は二人に会えて良かったの…、良かったのッ!!」
ミルの叫びにダルはたじろぐ。そして血が沸騰するような怒りが体を支配する。危険を感じた魔術師と精霊は老人と少女、魔法治癒師を担ぎ、外へと飛び出した。
それと同時に吹き上げられた強風に宿屋は轟音と土煙を上げて崩れ落ちる。
ダルは瓦礫の中央で佇んでいた。月の光に寄って顔に影を作り、その表情は見えなかった。見えなくともわかる。ダルは怒りに狂っていた。このままでは町民も殺しかねない。
剣士に連れられ戻ってきた青年はこの状況に若干驚きながらも、荷物を異空間に突っ込んでおいて良かったと場にそぐわない呑気な考えが頭の片隅にあった。
「ギュシラー、援護を頼む。」と青年は剣を抜く。
「何するつもりだ。」「もうこの男は魔物だ。」
青年の言葉と同時にダルは唸り声を上げながら体が膨張し、破裂した。ミルは悲鳴を上げ、ダルに近づこうと歩き出すが精霊の手によって止められる。血が辺りに吹き飛び、その血はまた一箇所へと集まって体を形成し始めた。
「魔物…ッ!?」
魔術師の目は驚愕の色に染まる。形成し終える前に倒そうと距離を詰めるが同時に体が重くなっていく。魔王の魔術と同じ感覚。青年は地を蹴り、男だった魔物を真っ二つに切り裂く。
呆気ない終わり方に青年は目を細めたが、そんな終わり方があるわけなかった。辺りに吹き飛んだ血が青年を突き刺そうと、血は針のように鋭く尖り青年目掛けて突き進む。その最中精霊と目が合い、精霊は笑った。
青年は安堵しつつ魔物の核は何処かと探す。針は青年に迫りつつあったが鎌風が吹き、針は血に戻ったがその間に男の体は形成され赤黒く臓器丸出しの魔物になって佇んでいた。
体勢を立て直し辺りに飛び散った魔物の血を凍らせ、魔物の足を封じる。だがそんなのでは数分とも持たない。口元は愉快そうに歪められ、鋭利な爪を自身の頬に突き立てる。痛みを感じないと言ったような顔で肩を揺らし、高らかに笑い始めた。
青年は考える。この魔物は核を壊さない限り生き続ける。その核とは一体何なのか。見る限り魔物の体には核は無い。
「…まさかな。」と青年は冷や汗をかきつつ、魔物と距離をとった。
「ギュシラー、呪いは二人同時にかけられたのは本当か?」
「……ああ、そうだ。」
魔術師は青年の考えを感じ取った。それは悲しい答えとも呼べるだろう。
「その少女が核だ。」
青年は酷く冷たい声で言い放った。何も出来ずただ佇んでいた剣士が口を挟もうと口を開くが、青年に気絶させられその場に倒れた。その行動を精霊は黙って少女を見つめていた。
「…何して──」
氷が砕ける音が響く。青年は振り向くが視界には魔物が広がっていた。だが魔物は血に戻り、青年の顔を血で汚す。
「危なかったね、ディスティー。」
少女は精霊の手によって切り裂かれ、夥しい血が染み込む地面に倒れていた。
「ミ、ル…よ……、ダ…。」
老人は最後の力を振り絞って、空に手を伸ばした。そしてその手は重力に逆らうことなく落ちて行った。
「忠告したのにも関わらず、貴方達は実に愚かだ。」
悲しみに暮れることも許さないと言った声で言葉を発したのはあの男。
「…俺は関与していないが、町民に被害が加わらないように対処したつもりだ。」
青年は冷やかな目で男をノックス騎士団を見た。
「対処したと言うのは関与したと言っていると同じですよ、勇者よ。」
「ドゥムッ!」と魔術師は声を荒上げ、男を睨みつけた。
「……貴方はギュシラーではないですか。こんなところで会うとは思いませんでしたよ、我が弟よ。
ふむ…弟と同じ名とは思っていましたが、面影が無いので弟とは思いませんでしたねえ。
紹介が遅れました、私はドゥム・クロートザック。ギュシラー・ブルーノの兄です。」
血潮に染まった十字架を背に背負った男は笑った。
「…何の用だ。」
「そんな警戒しなくても良いですよ、勇者よ。貴方達には危害を加えることは禁止されていますから、手は出しませんし貸しませんけどもね。
単刀直入に言おう。この件に関わるなと言ったのは私達が追っている呪術師の手がかりになると踏んで忠告したものです。もうご存知でしょうが、私達が追っているのは呪術師ホーリー・セイクリッド。
…まあ手がかりになるほどのものは得れませんでしたがね。
手を貸さないと申しましたが、貴方達がその呪術師について情報を逐一報告してくれるのなら手をお貸し致しましょう。」
わざとらしい溜息を吐きながら男は青年に手を差し出す。
「断る。」と青年は一言だけ言い、男の手を叩く。
「お前みたいな人間は信用ならない。他を当たれ。」
男は一瞬目を細めたが、残念そうに手を引っ込め笑った。
「そう言いますが勇者よ、貴方は誰も信用しない人間。交渉決裂ですね、それでは帰らせて頂きます。…修復は終わったようなのでね。」
崩壊したはずの宿屋は元に戻っており、老人や少女の亡骸が見当たらなかった。視線を男に戻せば、そこには誰も居なかった。幽霊のような騎士団だと青年は苦々しく剣を鞘に収めた。
「…ディスティー、お前はあいつらのこと知っていたのか?」
元通りになった宿屋。あれから老人と少女の亡骸を探したが見つからず、明日旅立とういう話になった。明日は早い。青年は布団に潜るが魔術師は尋ねた。
「拉致られたからな。」
青年は躊躇うことなく言ったが魔術師は飛び起き、どういうことだと喚きながら青年から布団を引き剥がした。
「…?別に驚くことじゃないだろ。森で昼寝してた所を拉致られただけだぞ。」
面倒臭そうに青年は体を起こし、剥がされた布団を身に包む。呑気に欠伸をする青年を見て、魔術師は怒る気が失せた。
「詳しくは明日の道中話す。」と青年は呟き、布団に潜った。