第一の町モーウヌスノ/02
鋭く尖った耳。頬には刺青のような紋様。翡翠の髪を肩まで垂らし微笑んでいる。
「私はペリドート。シンギと契約している精霊よ。」
「…精霊って言うのはもう少し小さい姿でブンブン飛び回るのかと思っていた。」
「それは妖精よ!」と精霊は青年の頭を叩き、そして撫で回した。
「早速だが"お前の力を貸せ"。」
精霊の首のチョーカーが光る。
「力を貸せって言うけどね…。人間の姿になるのは相当な魔力を消費するのよ。」
精霊は青年の膝の上に乗りながら、意地悪そうに口角を上げる。
「全部見てたけどマリーって子を操れば何とかなりそうよ。その子に私の魔法をかければ呪いのことも探れるかもね。」
貧相な胸だが精霊の胸が青年の顔に当たっている。この状況で魔術師に居なくなっては困ると青年は思っていたが魔術師はこの場を去ってしまった。
「ディスティーはどうして勇者になろうと思ったの?」
青年は答えず、目線を下へやりナイフを見つめている。
「教えてくれたって良いじゃない。人付き合いが苦手なのは変わらないのね。」
腕を背中に回し、精霊は青年の首元に顔を埋める。精霊から匂う懐かしい香りに青年は顔を上げるが、思い違いかとまたナイフを見つめた。
数十分後、魔術師は魔法治癒師を担ぎ戻ってきた。
「さっさとやってくれ。」と魔術師は青年から精霊を引き剥がし、精霊の前に魔法治癒師を降ろした。魔法治癒師の耳の裏に指先を当て、精霊は聞き慣れない言語で唱える。
「はい。これでオッケー!」
気絶していたはずの魔法治癒師は
立ち上がり「さあ行って来い、マリー!」と精霊の一声で何処かへ行ってしまった。
「…何したんだ?」
「あいつの魔法の基盤は使役だ。それから派生したのが操作。」
「……さっぱりわからん。」
青年はそう言い残し、背後に広がる森へと足を踏み入れた。
風が吹き上がり、葉が空へと舞う。だが葉は地面に落ちる。そして砕け散った。
「……微妙だな。」
青年は呟いた。青年の魔術は未熟で精度が低い。水や火の魔術はまだ使えるぐらいだが、空間魔術は違う。異空間に出し入れ出来たのは二、三年前だ。戦闘に使える状態ではない。
パーティの人間との力試し、魔術師との試合で使ってみたが全然駄目だった。魔術で作り出した氷のナイフを背後に回らせ飛ばしてみたが簡単に防がれてしまった。矢を移動させる時もそうだ。自分の前に空間を捻じ曲げた穴を開け魔術師に向けて移動させたが、あれは相当な魔力を消費する。
青年の魔力は人並みより少し多いと言ったぐらいで高度な魔術を扱うには不向きだ。
こんなのでは魔王に挑む前に死んでしまうだろう。そんなことが青年の頭に過った。だが──
「……。」
氷のナイフが幹に突き刺さる。だが液体に戻り、幹に穴を開けただけだった。
「良いこと教えてあげる。」
風となって突然現れた精霊は言った。どうして此処にと青年は眉を寄せる。
「……黙ってくれないか。」
「前は可愛かったのにー。」
「…何を知っているんだ?」
「全てよ。」と精霊は断言する。だが青年ははったりだと目を細めた。
「貴方の過去を知ってる。簡単に言えば記憶を読んだ。」
「…ッ!」
過去という単語に青年は反応する。やっぱりというように精霊は肩を落とし、溜息を吐いた。
「あの子が死んだのは貴方の所為じゃないわ。あの人の所為でもない。悪いのはあの子。」
「お前に…ッ!!」
青年は怒気を含んだ目で憎々しく精霊を睨みつけた。会って間もない者に何がわかると言うのだ。唇を噛み締め、ぶつりと唇が切れる。
「…落ち着きなさい。私は客観的に述べただけよ。」
精霊は切れた唇をなぞり、そして唇を重ねた。唇を離せば青年の唇の傷口は塞がっていた。
「一人で何でも抱え込み過ぎ、少しは周りにその荷物を持って貰いなさい。」
風が吹き、精霊は消える。唇の感触はまだ残っていた。
──
青年は目蓋を開ける。いつの間にか眠っていたらしい。もう陽が落ちている、いやこれは陽が落ちた暗闇じゃない。
体を動かそうと捩るが動かない。両手両足を拘束されているらしい。拉致。こんな男を拉致して何の意味があるんだと、青年の頭で疑問が渦巻いていた。
「目を覚ましたか。」と男の声が響く。
「この件から手を引いて欲しい、勇者よ。貴方には魔王を倒すという使命がある、此処で道草を食っていては困るのだ。」
この件とはあの少女の呪いについてだろう。心当たりはそれしかない。
「…俺はその件には関与していない、言うのなら魔法治癒師に言え。」
青年は手首を動かしながら言った。この縄なら切れそうだ。
「なら貴方がお止めください。」
「それは無理な話だ。魔法治癒師には剣士がついている。」
「無理?そんな馬鹿な事を仰らないで下さい。貴方は一瞬でその剣士を倒したのでしょう?簡単に説得出来るはずだ。」
「生憎だが俺は頭が悪い。もし魔法治癒師達が俺と対峙するなら俺は躊躇なく殺すだろう。だが旅の序盤で仲間が減るのは避けたい。だから止めることは出来ない。」
両手両足の縄を凍らせ、思い切り力を入れ氷を砕く。異空間から愛用していた剣を取り出し、男に向かって剣先を向ける。
「流石…と言うべきですね。」
青年は顔に被らされた麻袋を脱ぎ捨てた。そこで見たものは数十人の騎士達。
「…何者なんだ。」
青年は問う。男は兜を取り、片膝を地についた。
「…世間からはスペクトルなどと呼ばれておりますが、我らはノックス騎士団。神聖なる領域、カエルム教会の騎士団でございます。」
耳慣れない単語に青年は首を傾げる。余計に訳がわからなくなり、顔を顰める。
「……教会の騎士?」
「…私達の事はこれぐらいでいいでしょう。私達は存在していないのだから。」
男は立ち上がる。後を追うように舞う砂塵。男は柄に手をかけた。
「勇者よ、貴方は止められないと言った。貴方に止められなくとも"貴方"には──」
男の話が止まった。その代わりに響いた金属音に落下音。男は前方に倒れ、今度は両膝をつく。
「……勇者と言うのは名ばかりではなかったようですね。」
男の両足は氷によって地面に縫い付けられていた。同様に騎士達も凍らせられている。男の顔は苦々しく歪んでいる。男は皮肉を言ったようだったが青年は何も感じなかった。
「騎士と言うのは名ばかりだったがな。」
卑怯な真似をと青年は目を細め、この場を去った。太陽は沈んでしまい、辺りは暗闇に包まれていた。遠くに微かな光が見える。どうやら此処は町中らしく宿屋の前の通りだ。
「シンギ!ディスティー見つけたよ!」
背後から精霊が現れ、肩が僅かに上がる。やはり不意打ちは慣れないようだ。
「お前…何処に行ってたんだよ!」
「…森で昼寝。」
先程の出来事は言わなくても良いだろうと思いながら青年はこっそりと愛剣を異空間に入れた。
「お前な…、いや…それより色々聞き出せたぞ。」
魔術師は額に手を当てながら溜息を吐く。精霊についてはニヤニヤと笑っていたため、青年は目を逸らした。
「……は?」
老人に直接聞き出したらしく、真意はわかった。何とまあ理解し難い。
少女と青年を縛るものは呪い。だが老人から聞いた話では奇跡。呪いを奇跡と思う人間は普通は居ない。尚更訳がわからなくなる。
「にしても…呪術師がホーリーって……。」
「…詐欺師の何かだろ。」と青年は溜息を吐く。
「呪いをかけられた本人達は余計な事をなんて思っているだろうな。…奇跡、呪いを望んだ老人は死んだ子供に会えて嬉しいだろうがな。」
グラスが割れる。その音は青年達を誘い、扉を開く。グラスを落とし割った人間は青年ダル。顔は青白く、まさに死人の顔だった。
「大丈夫か?」
魔術師はダルの背中を摩る。体は震え、握り締めた手の指先は赤みは無くなり白くなっていた。
「…今の話を聞いてたんだろ?」
青年がそう問えば、ダルは顔を上げた。
「し…死んでるって…、俺達が…!」
まさかと魔術師は目を見開き、背中を摩る手が止まる。
「ずっと…ずっと変だと思ってたんだ…!」
ダルの目から涙が零れ落ちる。その目は安堵と絶望が入り混じっていた。
「お兄ちゃん…っ!」
騒ぎに気づいた少女はダルの元に駆けつけ、心配そうに顔を覗き込む。ダルは少女に縋るように抱きつく。嗚咽する声がくもぐる。涙は少女の服を濡らし、染みを作る。染みは徐々に広がっていく。
魔術師は耐えられないと言った目をし、精霊は何か考えた様子で少女達を見つめる。青年はその様子を見て、昔の事を思い出していた。あの親しかった友人の事を。
青年はこの場を立ち去り、宿屋を出た。そして直ぐ思い知る事になる。この行動は正解だったと。
──