第一の町モーウヌスノ/01
第一の町、モーウヌスノ。複数の馬蹄の音だけが町に響いていた。空には星が無数に瞬いているが、地上の明かりは一軒のみだった。
「活気に溢れてるって聞きましたけど……。」
一行は馬から降り、民家らしき建物に向かう。よく見てみるとそれは民家ではなく宿屋で、看板には掠れた文字でラバーンド宿屋と書かれていた。だが営業しているのかしていないのか判断出来ないほど古びており、今にでも崩れそうだ。
「すみません。部屋は空いていますか?」と剣士が扉をノックする。軋み音を上げて扉が開き、老人が顔を覗かせた。青年は妙な違和感を感じながら、スリロスから荷物を降ろし背負う。
「…ああ、空いておる。はよ、入りなされ。馬は儂らで馬小屋に居れておこう。」
「…ダルよ、客人を案内せい。ミルよ、馬を馬小屋へ。」
現れた青年と少女を見て、老人は奥へと消えて行った。
「四名様ですね。すみません生憎…部屋は二つしか空いていなくて……男女混合の部屋になってしまいますが…。」
「あっ、私は大丈夫です!この人と同じ部屋で良いですので!」
魔法治癒師は剣士の腕に抱きつき、剣士は照れたように頬を掻く。
「では、此方です!」とダルははにかんだ。
外見とは違い、部屋は真新しかった。青年はベッドの隣りに荷物を降ろし、ベッドに腰をかける。魔術師は何か結界を張っているらしく詠唱している。
魔術は不思議だ。詠唱を必要とする人間も居れば、不必要な人間も居る。青年はそんなことを思いながら、その様子を見つめていた。
『食事は午前八時と午後八時となります。それでは何かあったら呼んで下さい。』
青年はダルの言葉を思い出し、時計を見る。今は午後十時、従って食事は無い。
「なあディスティー、此処の壁は薄いらしい。」
「…だからどうした。」
「剣士は魅惑をかけらている。そんな男が女と同じ部屋だぞ。」
魔術師は真面目な顔で話すが青年には何の話かよくわからず、頭は疑問符に埋め尽くされていた。
「……だからどうしたんだ。」
「下手したら煩くて眠れん。」と魔術師は頭を抱え、体を丸めた。青年はベッドに寝転び、天井を見上げる。
「何か変じゃないか?」
「……お前の言いたいことは大体わかっている。此処の宿屋には結界と共に魔術がかけられてる。あの青年にも、あの少女にもな。…詳しくはわからないがあの二人にかけられているのは呪いの類いだ。お前が嫌なものを感じるのはその所為だ。」
「呪い…か……。」
青年は独り言のように呟き、目蓋を閉じる。
「呪いは解くのは可能だが、解けば術者も対象者も死ぬ。下手すれば解こうとした者にも呪いが飛び火する。俺ら魔術師には手が出せない魔術だが、それを得意とする呪術師なら問題無いな。」
「魔術師や呪術師、魔法使いに魔導師…色々種類があるけど俺には全て一緒に見えるんだが……。」
青年がそう話せば、魔術師は立ち上がった。
「違う、違うぞ…!全然違う!いいか?魔術師や呪術師は誰にでもなれるが、魔法使いや魔導師はその一族の人間しかなれない。
魔術師は名の通り魔術を扱う、魔法使いや呪術師もそうだ。魔導師の場合は全てを扱う。」
「魔法使いや魔導師の一族ってどれくらいあるんだ?」
「全部で四つ。東のグァンガン、西のケーニヒ、南のレックス、北のカローリだ。昔はもっと多かったらしい。最近姿が見えないバシレウスも入れるなら五つだ。お前は──」
魔術師が何か言いかけたところで突然扉が開く。目蓋を開き、青年は起き上がった。
「お風呂の用意が出来ました。…男女別という形になりますが御了承下さい。」
少女ミルだった。
「…それと少し貴方達にお話したいことがあるんです。御時間宜しいですか?」
ミルが部屋に足を踏み入れると同時に扉が閉まる。呪いの話だろうと魔術師は青年に目配せをする。
「…用件は何だ?」
「……貴方達に頼みがあるのです。私達を縛るものを解いて頂けないでしょうか?」
「無理だ。お前を縛るものは呪いだ、安易に解けば確実にお前と術者は死ぬ。下手すれば解こうとした人間も死ぬ。」
「大丈夫です、私は五十年前に死んでますから。この世に未練なんてありません。」
驚いたように青年は目を開くが、魔術師の顔は強張った。
「尚更無理だ。」
「何故ですか。」
「時間が経てば経つほど呪いは効力を増す。呪術っていうのは基本魔力が高い人間、呪術師のみが使う魔術だ。その術者より魔力が高い人間が正確に解けば大丈夫だが、魔力が低ければ話にならない。
俺は高いほうだがお前にかけた呪術師には及ばないだろう、よって無理だ。」
魔術師は静かに言い放った。何もそこまで言わなくていいだろうと青年は思ったが、言葉にする気は起きなかった。一度だけ同じようなことを経験したことがあるからだ。
「…何が──」
「人を助けないで何が勇者だ、何が魔王盗伐パーティだ。」
ミルの言葉を遮り青年は言った。ミルはどうしてという顔で青年を見る。
「…大体同じことを言うつもりだったんだろ?」
「ならどうして助けてくれないの!?こんなにお願いしてるのに…ッ!!」
少女の悲痛な叫び。言葉が落ち、波紋が広がる。端へ、端へと。青年は少女の叫びに、いや自分勝手な願いに苛立ちを静かに覚えた。
「君は五十年前に死んだ。なら何故、呪いをかけた。呪いって言うのは人を不幸にするもの、そう俺は思っている。」
「何が…何が言いたい!人の気持ちも知らないで!!」
花瓶が罅が入る。音を立てて崩れ、破片が床に散った。
「生きるのに疲れた、生きるのが苦になった。父親は老けていく、だが自分は変わらない。そのことに恐怖を覚えた。」
ミルは体を震わせ、青年を睨みつける。部屋の壁や天井が軋み、木屑が落ちてくる。
「……話は、これで終わりです。お風呂は午前零時までに入って下さい。それでは失礼します。」
扉が閉じるまで青年は少女の小さな背中を見つめていた。
ラバーンド宿屋の風呂は至って普通の風呂だった。男湯には剣士の姿はなく、帰りに女湯から魔法治癒師と共に出てきたことは触れないでおこう。
青年はベッドの横に置かれてある机で日記を書いていた。魔術師はベッドに寝転がり、すでに寝に入っている。あの少女の呪いについて話も触れもしなかった。まだ旅を始めて一日目。呪いという飛び火は避けたい。
日記を書き終わり、青年は溜息を吐いた。隣から聞こえる妙な鳴き声。ちらりと魔術師の方を見れば、目が開いていた。
「…安眠妨害をする奴らを排除しても良いか。」
魔術師の目は血走っている、本気で言っているようだ。
「俺は気にしてないが…、結界でも張れば良いんじゃないか?」
「それは良い案だ。」と呟く。壁に手を翳して結界を張れば、魔術師は毛布に潜った。そして青年も眠りについた。
──
午前六時。青年は起床時間だ。窓の外では朝市が開いており、人集りが出来ていた。食糧調達と思ったが、青年の場合は十分に調達してある。パーティの人間はどうだろうか。荷物の量からして殆ど用意してないだろう、魔術師を除いて。寄り道や餓死してもらっては困る。青年は財布を手に部屋を後にした。
彩り豊かな野菜達や魚達が並ぶ朝市。活気と人に溢れ、呼び込みの声は四方八方から聞こえてくるほどだ。青年は人の波に乗り、目的の店へと向かう。その店には長期保存出来る野菜や果物が売られている。次の町には最短ルートで行っても最低三日以上はかかる。三日分購入しとけば大丈夫だろう、青年は一先ず購入した。
帰りに林檎なども購入し馬小屋に寄る。スリロスは鼻を鳴らして前掻きをしていた。餌箱には牧草は入っていなかった。まだ餌は与えられてないようだ。青年はスリロスと他三頭に牧草を与え宿屋に戻った。
部屋に戻ると魔術師は起床していたが朝に弱いらしく、目が半開きだ。
「勇者様、起きてますか?」と魔法治癒師はノックもせず扉を開け、青年は顔を見て微笑んだ。
「朝早くすみません、少し相談があって……。」
魔法治癒師は話し始める。話が進めば進むほど魔術師の目は開いていき、最悪だと頭を抱え込む。一方青年は逡巡した素振りを見せ、頬を掻いていた。
「…何故勝手に引き受けた?」と魔術師は問う。魔法治癒師は二人の心情など知らず、笑顔で答えた。
「私達は人々を助けるために魔王を倒すべく旅をしているんですよ?助けを求める人を放置して旅を優先するなんて、どうかしてます!
それにミルちゃんは泣いて私に頼んできたんです!それを断るなんて出来ません。」
俺には無理だと魔術師は青年に視線を送った。青年は溜息を吐く。だがその行動を魔法治癒師は肯定と解釈したらしく「私、頑張りますね!」と部屋を出て行った。
「……なあ。」「…ああ。」
二日目。最悪な形で幕は上がる。剣士は魔法治癒師に協力するだろう、昨日の行為で魅惑の威力は上がっている。魔術師と青年は顔を見合わせ、重い溜息を吐いた。
「後二日。此処に滞在するのは後二日だ。二日以内にどうにかしろ。」
午前八時。青年を除く三人は食事を取っていた。
「…俺は止めるつもりだったが、ディスティーが決めたことだ。文句を言うならあいつに言えよ。」
スープを口に運びながら魔術師は言う。魔法治癒師はフォークを持つ手を震わせ、目を輝かせた。
「言っておくが俺は手を貸さないぞ。」
魔術師は食事を終え、席を立った。向かうは青年の所。口ではああ言ったが下手したら此処で仲間が減ってしまう可能性がある。戦力にはならずとも少しは役に立つはずだ。
「これからどうする、ディスティー。」
青年の背後に生い茂る木々。宿屋を遠く離れた町の外れ。
「…呪いは簡単に解けないんだろ。術者を叩けば、縛りは解けるのか?」
青年はナイフを投げた。投擲したナイフは魔術師の横を通り過ぎ、柵へと突き刺さる。
「一度かけてしまったものは術者を消しても解けない。簡単なものなら解ける可能性もあったがな。」
ナイフを引き抜き、青年に投げ返す。青年は叩き落とすようにナイフを掴んだ。
「あの少女は死んでいるって言ってたよな。」
「…まさかとは思うが術者が駄目なら少女を消すなんて言わないだろうな?」
太陽光が刃に反射し、青年の顔にその光が当たる。
「……冗談だ。一回死んでいても、今は生きてるからな。」
「ならいいが…。」と魔術師は樽に座った。
呪いという漠然としたものをどう解けば良いのか。どういう意図で呪いをかけ、どんな効果をもたらすのか。後者は大体はわかっているが、前者がよくわからなかった。
「ギュシラーの魔術で何か探れないのか?」
青年がそう言えば魔術師は溜息混じりに話し始める。
「魔術は万能じゃない。俺の魔術では出来ないが精霊の魔法なら出来るはずだ。」
「精霊?」
「力試しとして試合を行った時に見せたもの。あれが精霊だ。」
魔術師は適当に枝を拾い、地面に魔法陣を描く。その行動を青年は不思議そうに見ていた。
「こっちの方が手っ取り早いんだ。いきなり呼び出したら機嫌が悪かったりするしな。」
魔術師は魔法陣に息を吹きかけた。魔法陣は鈍く光を放ちながら、その姿を浮かび上げる。
「こんにちは、ディスティー。」
翡翠の髪を靡かせながら精霊は微笑んだ。