旅立ちの日
少年の目の前で少女は食い殺された。
少年は友人を恨まなかった。友人は命の恩人。もう少し早く来ていれば少女は助かっただろう、だが命の恩人を恨むなど筋違いだ。
少年は魔物を恨まなかった。魔物は魔王の下部、そして理性を失っている。
少年は魔王を恨まなかった。魔王は人間がつけた二つ名、魔王を見た人間はいない。本当は存在しないのかもしれない。
少年はなら誰を恨んだ。自分を恨んだ、無力な自分を。
そして少年は拒むことは出来ず、村人の提案を受け入れた。
──
午前四時。ミルターニャ王国ではもう太陽が顔を見せている時間だ。だが太陽は顔を一向に見せようとしない。ミルターニャ王国は闇に覆われていた。それに逸早く気づいたのは二人だけだった。白銀の王と勇者ディスティー。
青年は中庭で空を見上げていた。最初は暗雲かと思っていたが違う、その正体は闇だ。
「勇者様。」
白銀の王は言う。その声に青年は振り向く。
「私と勇者様以外目を覚ましている人間は居ないようです。…直々に魔王がこの国を滅ぼしに来たようです。」
白銀の王は王族衣装の身なりには似合わない剣を手にしていた。
「…戦うつもりですか?」
「ええ…。私はこの選定の剣カリバーンに、神により選ばれた王。自国を守らねば王とは名乗れません。決して王に選ばれたとしても……。
ですが、私には自国を守れる力はありません。人の力を借りねばこのミルターニャ王国は守れません。
勇者様…どうか私に力をお貸し下さい。」
「そのために魔物と戦わせたんだろ。」と青年の口から零れ落ちそうになった言葉達を飲み込む。
「…言われなくとも。」
青年がそう言えば、白銀の王は微笑んだ。
魔王。それは人々の悪の象徴、だがそれは恐怖の象徴でもある。魔王を見たものは誰も居らず、どんな姿をしているのかも知られていない。
白銀の王は王から王へと受け継ぐウィガールを身につけプリトゥエンを左手に、そして右手にはカリバーン。
青年は白銀の王とは違い軽装のまま、剣を手にしていた。
此方は準備万全。魔王が現れても良いよう白銀の王は防御結界を張っていた。その行動は正解だった。白銀の王は前方に吹き飛ばされ防御結界は粉々に砕け散った。青年は魔王の気配に気づかず、振り向く。当たり前だ、魔王は闇。闇を捕らえることは誰にも出来ない。
青年は鞘から剣を抜き、魔王へと突っ込んで行く。魔王を覆い隠す闇を一度斬り裂き、また上へと斬り上げれば激しい火花と共に甲高い金属音が響く。そして鍔競り合いとなり青年と魔王の視線が絡み合う。魔王は漆黒の布を顔を覆い、片目だけ露出している。その目は青年を見て、一瞬目を細めた。
青年は魔王の力の緩みを感じ魔王の剣を弾く。そのまま腰を落とし首に狙いを定め、また上へと斬り上げる。魔王は避けきれず顔を覆う布がはらりと落ちた。
「…!!」「!?」
青年は目を丸め、凝視してしまう。魔王は闇で顔を隠そうとしたが不意に背中に衝撃が走る。その正体は白銀の王。白銀の王のカリバーンによる精魂を込めた一撃。
「魔王!!この国は滅ぼさせはしない!」
白銀の髪を揺らし怒り狂ったように叫んだ。青年はその隙に魔王へと斬りかかるが、魔王は炎を放ちその剣を防ぐ。剣を防いだ炎は青年へと襲いかかり間一髪で横へと避けたが、今度は白銀の王に剣を向ける。剣は闇を纏いながら白銀の王へ斬りかかる。
「カリバーン…ッ!!」
咄嗟に受け止めたカリバーンは折れてしまい、白銀の王はどうにかプリトゥエンと防御結界で魔王の攻撃を防いでいる。青年は空間魔術で白銀の王と魔王の間に移動する。攻撃を防ぎながら、白銀の王を魔王の攻撃範囲外へと移動させる。一気に魔力を消費したため体が重くなるのを感じたがそんなことは気にしてられない。
「ディスティー。」
魔王が青年の名を呼ぶ。そして青年の体は重力に逆らえず地面に叩きつけられた。立ち上がろうとしても立ち上がれない。"重力"はそれを許さなかった。
「…興醒めだ、命拾いしたな。勇者よ、そして名ばかりの王よ。」
魔王は闇に包まれ消えて行く。魔王が消えると同時に青年を地面に縫いつけていた重力は消えた。青年は短く息を吐き、立ち上がる。
「…大丈夫ですか。」
「……大丈夫よ、ありがとう。」
太陽は何事も無かったように二人を照らし、そして時計の長針が動き始めた。
──
午前七時。青年は魔王の事が頭から離れなかった。そんな心情を知らず魔法治癒師は青年の腕に抱きついている。相変わらず魅惑をかけようとしているらしく青年は嫌悪感を覚える。その様子を見ている剣士は青年を睨みつけていた。
この状況に耐え切れなくなった青年は立ち上がり広間から離れる。はあと重い溜息を吐く、そして感じる視線。その視線を辿れば小さな少女が草陰に隠れて此方の様子を伺っている。
「……どうしたの?」
そう青年が尋ねると驚いた表情でのそりと近づいてきた。少女の顔に付着していた土を拭う。少女は顔を真っ赤にさせ青年の服の裾を引っ張った。
「…お兄ちゃんは勇者さんでしょ?わたし見てたもん。」
青年は疑問符を頭に浮かべる。
「さっきのこと!まっくろと戦ってたでしょ!わたし見てたもん!!」
魔王との戦闘。だが魔王の力によって二人以外の時間は止まっている。その戦闘を物語るものは折れてしまったカリバーンのみ。
「お兄ちゃんはお姉ちゃんといっしょに戦ってた!」
「お、お姉ちゃん…?」
「おうさまはわたしのお姉ちゃん!!お兄ちゃんといっしょに戦ってた!」
この少女はどうやら白銀の王の妹君らしい。よく顔を見れば目が白銀の王にそっくりだが、少女の髪は白銀ではなく黄金だった。
「わたしとやくそくして!ぜったいマオウをやっつけるって!」
少女は青年の小指に小指を絡まる。指切りだ。
「やくそくしないとわたしがお兄ちゃんをやっつける!」
強引に約束をさせられるが青年は笑っていた。指切りしたと思いきや少女はポケットからバングルを取り出し、青年の左手首に嵌める。
「これあげる、話はそれだけ!ばいばい!」
少女は走り去り、一人残された青年は嵌められたバングルを見た。少女の姉である白銀の王は魔法使いだ。魔法使いは魔導師や魔術師と違い、その力の源は血だ。あの少女にも魔法使いの血が流れている。下手したらバングルに魔法がかけられているかもしれない。そんなことが頭を過ったが青年は直ぐ消し去った。
礼も言えず、名前も聞き忘れた。だがあの少女とはまた再会するだろう。きっと青年も少女も思いもしない場所で。
──
午前九時。出発の時間がやってくる。前日に選んだ馬にそれぞれ荷物を持たせ、門扉の前に居た。パーティ唯一の女である魔法治癒師の馬を見れば、何だか同情してしまう。
「…魔法治癒師、荷物が多過ぎやしないか。」
魔術師がそのことに突っ込む。
「もうっ!ギュシラーさんってば魔法治癒師じゃなくて名前で呼んで下さい!」
魔法治癒師は頬を膨らませ魔術師を睨む。これ以上魔術師は関わりたくないらしく黙った。剣士がフォローを入れていたが聞きたくないと顔を逸らしていた。
そんな様子を青年は横目で見ながら馬の手綱を触っていた。青年が選んだのはぱっとしない馬だった。毛色は良いとも悪いとも言えず普通。だがこの馬は他の馬とは違う何かを感じた。
後から聞いた話だが、この馬は王宮に育てられた死んだ勇者候補が大事に飼育していた馬だった。スリロス。これが彼の名前だ。
「これから宜しく、スリロス。」
愛撫しながら名を呼べばスリロスは嘶く。嘶きに釣られるように金管楽器の音色が響く。鐙に足をかけ鞍に跨る。
門扉が開く。門扉の向こうには大勢の人々。好奇の目に晒される。青年は全く良い気はしなかった。パーティの面々を見れば魔法治癒師は目を輝かせ、剣士はにやけそうになるのを抑え、魔術師は嫌そうな顔でフードを被っていた。青年は首の布を鼻背まで覆う。
手綱を引き、そして群衆が作る一本道を駆け抜けた。