パンテラオ王国/08
「…また、か。」と目を覚ました青年は呟いた。血生臭さが充満するこの室内でこいつはよく寝ていれるなと青年は思いつつ、そして少年が居る事に驚いた。自分でも鼻が麻痺しそうだ。
頭から熱い湯を浴びれば凝固していた血が流れ、足元が赤く染まった。睫毛に水が滴り、やがて目に入る。最初は手の甲のみだったはずなのに紋様は鎖骨や胸辺りまで進みつつあった。一種の刺青に見える。寝呆けていた頭は漸く覚めた。適当に水気を取り、下だけ履いて出れば音で目が覚めたのか少年がソファで両膝を抱えて何か言いたそうに青年を見つめている。確実に何か文句を言いたいのだろうと隣に腰を下ろせば、重みにより沈んだ反動で少年が膝の上に転がり込んで来る。
依然少年は沈黙を保ったままで、こういう場合は頭を撫でれば解決するとカリスが言っていた気がする。
「俺とした約束、言ってみろ。」
ぐりぐりと柔らかい毛並みの頭を撫でてみれば漸く口を開くが心当たりの無い事を言われ、何となく思いついたものを言えば正解だと言うように少年は頷いた。
「……忘れてないなら、守れよ。」
刺々しい物言いのわりには腰にしがみつき、離れようとはしない。
「…切迫詰まってたからな。俺にも都合がある。」
「……勇者とか知らなかった。何で勇者なんてやってるんだよ。死ぬんだぞ。」
その情報源は分かりきっていた、十中八九ドゥムから聞いたのだろう。俺が勇者だと唯一知らなかった人間だ。だが勇者だと知ってもこの少年は態度を改めたりしない。そう青年は思った。
「…死ぬ人間にどうしてお前は着いて来たんだ。価値なんて無いと思うが。」
「…"時間は有意義に使え"だよ。俺の親の言葉、いつも言ってた。」と少年はぽつりと呟く。両親の口癖は"時間を有意義に使え"。彼らが言わずとも自分と接するのは有意義ではないと幼いながらも拙い頭で理解した、それと同時に愛されていないという事も。
「…俺と居る事が価値がある、とでも言いたいのか。俺には何も無い。」
「それは俺が決めること、俺があんたと一緒に居る事に価値があると思ったから。あんたが決める事は無い!」
「…勝手にしろ。」と諦めたように青年は頭を掻く。その様子に心底嬉しそうににやあと効果音が付きそうな程に先程まで硬かった少年の表情が緩む。こちらは困惑しているというのに一体何なんだと青年は首根を掴んで引き剥がし、ベッドの上に放り投げた。首に沿って立つ襟のついたインナーを身につけ、状況を把握するため部屋の外へと出るが気づけば少年が後ろから着いて来ていた。
ミルターニャの宮殿は新興したばかりに金や宝石を散りばめたように落ち着きがなく豪奢を極めていた。だがパンテラオの城は外観や城内を見れば厳格という言葉がよく似合い、成り上がりの国とは違う事がよく分かる。
外に目を向けてみれば月明かりを浴びて香りを放つ花々にそぐわない死臭が立ち込めている。生憎風は吹いていない。横からウッと呻く声は青年の帯剣用に巻かれたベルトを掴むが、青年は乱雑に積まれた魔物の死体を見つめたままだった。その視界の中で動いた影に瞬時に反応し、少年を後ろに隠しつつ取り出したダガーをその影に投擲する。それを弾いた金属音と共に口元から鋭い犬歯を覗かせ、カラスのような鳥の頭を持った人間で言う上流階級の者が着るような衣服を身に纏った人外の足元には青年の放ったダガーが落ちていた。
「何者だと問いたいのだろう。私はゴエティアの悪魔、序列七位のアモン。」
「…仲間の報復にでも来たのか?」と相手の動きに警戒しながら逃げる事を前提に考え、青年は数本のダガーを取り出すがアモンと名乗った悪魔は額に手を当てて意外にも待てと言った。
「我らの仲間はお前に殺されていない、寧ろ我らの仲間が世話になっている。その根本を調べる為にお前に話を聞きに来たのだ。」
想像とは違う返答に思わず眉間に皺が寄ってしまうが報復しに来たのならば寝首をかかれ、今頃此処に立っているわけが無い。
「…場所を変える。その方がお前もこいつの鼻も都合が良い。」
もう一つの気配を横目で見ながら目の前に居る悪魔も気づいているようで、すまないとだけ礼を言った。
「心遣い感謝する。あれはどうやら妖精だ。目的は悪魔ではなく人間のようだが…、早速話に入らせて貰う。ハルファス、フェネクス、ラウム、オロバス…これらの名に聞き覚えはないだろうか。」
悪魔は真剣な眼差しでベッドの上に腰を下ろした青年を見つめて問うがそのような名前に聞き覚えはないと首を横に振った。
「ならばホリィという名には聞き覚えはあるだろうか。」
「…ああ。リ…ホリィは俺の親代わりの人間だ。……どうしてその名前を知っている。」
「お前には申し訳ないがそれが根本。我らの仲間、ハルファスの力を奪った者の名だ。」
青年の記憶の中に居るホリィは文句を言いつつも最後には手を差し伸べてくれる心の優しい人間だ。だがホリィには不自然な箇所が幾らか存在する。あの兄妹に呪いをかけた呪術師や奇跡の代行者と慕われているホーリー・セイクリッド。ホリィはミルターニャやパンテラオでもなくカエルムエィスの王都から遠く離れた村で生まれ、そのため訛りが酷くよく名前を聞き間違えられると本人が嫌そうに顔を歪めながら話していたのはよく覚えている。そしてホリィで出会った場所で感じた禍々しい気配。あれがハルファスから奪った力というものだったのだろうか。それにモストロに頼んだ聖遺物の件についても。
「…悪魔の力を奪って何になる?」
「悪魔の力というのは簡単に言うと人知を超える強大な魔法。それは悪魔の身体でしか扱えぬ。ホリィという人間はハルファス自身の身体、力を奪い、弱体化させたハルファスの魂を人間の身体に縛りつけたのだ。それがお前の知るモストロという人間の身体を持ったハルファスだ。」
「…人間が悪魔の身体を奪う事は可能なの?」
青年にしがみついて後ろから様子を伺うようにアモンを恐る恐る覗いていた少年は寝起きのような掠れた声で青年も同様に疑問に思っていた事を口にした。
「契約にそれが組み込まれるならば可能、だがハルファスが契約に応じた形跡は無い。我らゴエティアの悪魔は契約に応ずれば集まった際にそれを伝えられる。故に我らですら理解のし難い問題に陥っているのだ。」
「…此処に来る前に俺は召喚陣に巻き込まれた。契約と座標が組み込まれていない、ただの陣にな。…それに似たもので召喚されたのなら形跡が無い筈だ。」
「……成る程、フェネクスもそのような事を言ってた。可能であるが悪魔本体と渡り合う事が人間如きに出来る筈が無い。否…計画的に練られていたのならば用意周到に抜かりなく準備をしていた筈だろう。ふむ…、そうなればハルファスにあの忌々しい聖遺物を集めさせていた事にも納得が行く。
だがそれを確かめるには根本の元へと向かわなければならない。」
皆まで言わずとも分かるだろうと言うように視線を此方に寄越す悪魔の目は据わっている。
「恩を仇で返すようだが私にはそれしか方法が無いのだ。我らの仲間に伝わる前に片付けなければ、ホリィという人間はもっと悲惨な目に合うだろう。」
「…何故態々俺の口から話すように仕向ける?魔法やら使って聞き出した後に始末すればリリィには伝わる確率が低くなる。俺を始末すれば魔王から何らかの見返りも貰えるだろう。」
このアモンという悪魔は何故回り諄い面倒なやり口で自分からホリィについて聞き出したいのか。
「魔族に分類される種族が誰でも魔王に従っているとは思うな。我らの王はあいつでは無い、我らの王はあの方お一人だ。我らはお前に今の魔王を早く討伐して欲しいと願っている。」
予想外過ぎた返答にグッと眉間に皺が寄ると共に青年は混乱に陥った。理解したのは悪魔達は単独行動をしており、戦いには興味が無いということだ。
「……語弊があるな、あれは魔王と呼ぶべき者ではない。魔王に成り代わったただの半端者だ。それに気づいた者達は我らと側近の不死の魔獣のみ。」
「…そうか。……リリィの居場所を聞き出して何をするつもりだ。」
目を細めて話をつけるだけだと言った悪魔は礼儀正しいとしても何処までも悪魔だ。もし強行手段に出るとしてもホリィの元に聖遺物があればこの悪魔に対抗する事は可能だ。ハルファスの身体を奪う際に使ったと推測される聖遺物をアモンにも使ったとしても生存率は五分五分。
「……モストロにも聞いているだろうが禍々しい気配がするノドゥス山の洞窟だ。そこじゃなければ何処かの町のランプ屋だ。…それ以外なら何処に居るのか俺にも分からない。」
「…礼を言う、そしてこれからも我らの仲間が世話になるだろう。」
仲間が特にフェネクスが暴れた際に見せれば収束がつくと紋章が刻まれた縦に長い長方形の黒箱を渡され、悪魔にしては人間じみた行動をする仲間思いの良い悪魔だと青年は思い、渡された黒箱を見つめていた。金のラインの入った高級感のある黒光りする革は滑らで、中身は何となく見てはいけないような気がして青年は直ぐにそれを異空間へと仕舞い込む。
きな臭くなってきたと青年は溜息を吐いた。
青年の腹の上に顎を乗せて、見上げる少年は寝るのかと問いかけ、青年は短くああと答えた。
「半日寝ておいてよく寝れるな。」
「……現実混じりの夢を見た所為で寝た気がしていない。お前も寝ろ。…十分な睡眠を取らないと成長が止まるぞ。」
青年は目蓋を閉じ、自分より高い心地良い温度が隣に寝転んだ。
<……スティア、この小僧を旅に同行させるつもりか?>
少年の頭を撫でてやっていればフェンの言葉が頭の中で響く。フェンの言う事はもっともだ。パンテラオに到着するまでは比較的魔物の少ない地帯だったが、カエルムエィスまでの道程は魔物の多い地帯を横断するため少年のような未熟な者では命を落とす可能性が高い。転送魔法とやらで道程を吹っ飛ばして行けば楽なものを、国同士の協定の所為でそれは禁じられているためそれは不可能だ。
<…カリスにでもこいつの事を頼んでみる。それが駄目なら……レコに頼み込む。>
少年の頭を撫でる手が止まり、青年は緩やかに眠りに落ちて行った。
あの夢を見る事も無く、久しぶりに熟睡出来た青年が起きたのは太陽が昇ったばかりの朝焼けが美しい時刻だった。染み付いた習慣は中々抜けない。もう少し臨機応変に出来ないものだろうか。
パーティから離れた際に自分の手から離れた荷物が昨日は気づかなかったがいつの間にか部屋に置かれており、そこから筆記用の道具を引っ張り出して異空間から日記を取り出した。正確な日数は分からないが約一週間程度書いていない。少年やブラドというガーディアン、そして魔王との対面、フェンとの再会。思い返せば考えさせられたものばかりで謎ばかりだった。オルクストーデンで行われている妙な実験や自分の姓であるバシレウス家について、そしてドゥムと魔術師の因縁。これについては魔術師の勘違いから起きているものだが、ドゥムはそれを訂正せずに知らないままで居て欲しいと願っている。
それについて考えた事を青年は日記に綴る。別に見られても構わないと思うがいざ見られてしまうと良い気はしない。そのため青年は共通言語ではなく、魔導書に書かれていた言語で日記を書いている。読めるのは自分と呑気に隣で眠るこいつぐらいだろうか。日記を書き終わり、本格的にやる事が無くなってしまった青年は何か思い出したかのように色が強く明るい青色の布で覆い貼られた本を取り出す。このコバルトブルーの本を読むのは都合が悪く先送りさせており既視感のあるこの妙な本を手に取ったが、これを受け取ってから妙な夢を見る事が多くなった気がしてならない。あの子供と黒騎士が現れる夢を。今まで夢を見た事は無かった。見ていたとしても忘れているだけかもしれないが鮮明に覚えているのは初めてで、夢と現実の区別が無くなってしまうほどに。あの本はフィラーリネが言うには謎が多くまだ解読されていない未開の文字。
何故そんな文字を自分が読めたのか。もしあの本に意思やそのような魔法が掛けられていたとしたら。特定の人物に読ませ、夢を見せる。
<…鳥。スティア、鳥が一匹此方に来る。丁度腹が空いた、食べても良いか。>
影から顔を覗かせるフェンは扉を凝視しており名前を呼んで、召喚してやれば嬉々として尾を振っている。長いふさふさとした毛は昔と同じで触り心地は変わらない。扉が開いて手から尻尾がするりと抜けて行くと扉の方向から女の悲鳴が上がり、青年は耳を疑うと同時に隣で寝ていた少年が飛び起きる。
「ム…、どういう事だ。」と襲い掛かっていた対象物から離れ、訳が分からないと言った顔で青年の前をうろつくフェンの背後には見覚えのある色の髪を乱れさせながら立ち上がった刺青が刻まれた頬をひくつかせる精霊が居り、横からは青年の腕にしがみつきながら恐怖心より好奇心が勝っているのかちらりちらりと少年が巨大な狼を覗いている。
「…フェン、鳥じゃなくて残念だったな。」
干し肉を口元に持って行ってやるとフェンは黙ってそれを口にする。
「……一体これはどういう事よ、どうしてあの山に居たフェンリルがディスティーに餌付けされてるわけッ!?」
「………頭の悪い奴だな、貴様。あの時の白髪男の肩に止まっていた鳥ならば私の話を聞いていただろう。女という物はつくづく頭の悪い食い物だ。」
青年とフェンリルを交互に見ていた精霊はフェンの言葉により一気に眉間に皺が寄り、殺気の篭った目でフェンを睨みつけた。説明はフェンに任せておけば良いと思っていたがこの一触即発の雰囲気の中では駄目だろう。
「…フェン、こっちに来い。」
精霊を一睨みした後に不機嫌そうに此方に近づき、精霊から離れた場所に座り込む。ベッドから降りてフェンの前に同じように腰を降ろせば先程まで立っていた耳は伏せった。だが精霊に対して唸っており、まだ機嫌は直りそうにない。
「…ディスティー、貴方は沢山聞きたい事がある。そのフェンリルの事、淫魔の事、どうしてシンギの兄と一緒に居た事も。全て話して貰うわよ。」
手甲を投げ渡され難なく掴めばやはりあの魔術は魔術師によるものだったようだ。
「……お前らには関係の無い事だ。」
「巫山戯ないで、こっちは貴方が居なくなって大変だったし心配してたのよ。それにガーストも目を覚ましてから突然魔物が現れて、イスラフィルって魔族に呼ばれ始めるし。二十年前より酷い。」
「…二十年前?」と聞き返せば精霊の顔は一気に青ざめて、口を滑らしたというように口元を抑えた。二十年前と口にした瞬間の精霊は精霊の面影は無く、老婆が話すような重々しい言葉つきで吐き捨てるかのように言葉を発した。
「俺達はお互いに知らない事ばかりだな。」
青年に問われ、答えられないでいる精霊に助け舟を出すかのように先程まで扉の向こうで寄りかかっていた聞いていた魔術師が現れる。魔術師の顔色は余り良く見えない。少々青ざめていた。
「ペリドートの事も含めてディスティー、お前の事もだ。そしてガーストやマリーの正体もな。」
彼らは剣士と魔法治癒師を除いて必要最低限の馴れ合いのみしかせずに旅をしていた。魔術師もその事について前々から考えていたが一方的に構ってくる二人の姿を見て気分を害した事しかなかった。それもそうしなかった理由の一つであるが大部分は彼が人と関わろうとせずに何処か一人でふらりと消えていく姿を見てからだった。初めの頃は人付き合いが不慣れなだけかと思っていたが日を重ねる度に彼は一人になりたいのだと感じた。ペリドートから聞いた話では"大人共に従っただけ"の理由で勇者になってしまったらしく、旅をする事に不服なのかもしれないとあの二人の様にグイグイと話に行くのに気が引けた。初めは話し掛けてみたりしたが常に無表情を保っているためその表情からは何を考えているか何を感じているのか一切読み取れずに徐々に必要最低限の会話のみになっていった。
<…スティアよ、この男はどうやら記憶の改竄が成されていないようだな。>
興味津々にフェンを伺いつつ彼の毛を触ってみようと手を伸ばしたり引っ込めたりしている少年の様子を呆れたように横目で見ながら声には出さずに青年に話し掛けた。
<…フェンに頼み事をしてもいいか?>
フェンにしか出来ない事だと言葉を足せば彼の尻尾はびくりと反応する。フェンはこの言葉に弱い。卑怯なやり方だなと自分でもそう思うが今から話すかもしれない内容はフェンにとって余り良い気はしない。それに彼の前で話すのは気が引けた。借りたままであった姿を見えなくさせる旧魔法が込められている魔法道具を少年に渡して使い方を教え、フェンは腹拵えをしつつ青年が頼んだ事をしっかりと遂行するだろう。その間に魔術師は精霊の力を借りて強力な結界を張り、外部からの干渉を遮断した。
「…それで俺の何を知りたい。」
温度を感じさせない視線は自分達と彼との間に隔たる壁を感じさせる。即ち此方側について興味は無いという事だ。パーティから一時的に離れる前は無表情の中にも柔らかさが見えていたが今はそれはもう無い。仲間とは思われていないようにも見える。
「無理に過去を聞き出そうとしてるわけじゃない、過去なんてものは人に言うもんじゃないしな。…俺はお前の事がよく分からないだけだ。何を考えて淫魔と手を組んでパーティを離れたのか、どうして俺の…いやドゥム・クロートザックと行動していたのか。それにあのフェンリルについても。」
「…剣士について聞かないのか、正体と言っていたが何か勘違いしているんじゃないか。」
青年はやんわりと向けられていた話の矛先を逸らして、魔術師が勘違いしている事を指摘した。案の定それは効果を表して彼はその話題に食いつく。
「剣士は魂が入れ替わっただけでただの人間だ。魔族じゃない。」
魔術師は口を開く事が出来ずにその代わりに精霊が「どうしてそれを知っているの」と逃しはせずに問い掛ける。
「此処に着いた時にカリスに剣士の居る部屋に案内された。…その時に俺の姿に化けた魔王に会って、剣士の事について聞かされただけだ。」
「……魔王とよく話が出来たな。」と驚くような呆れるようなよく分からない反応を示した魔術師は何処か遠い目をする中でカリブルディアと会話した際に彼の妙な反応を思い出した。
「戦いに来たわけじゃないと言っていたからだ。…相手に戦意が無ければ剣を向ける意味も無いだろ。」
「何を言っているの、相手は魔族。それに魔王よ!?下手すれば殺されていたかもしれないのに!」
俺が殺されても代わりに勇者がまた立てられるだけだ。二十年前と言葉にした精霊なら分からないとは言えない筈だ。昔の事を知っている口振りをするなら。だが精霊は何か言いたそうに黙り込んでおり、痺れを切らした魔術師は溜息を吐く。
「話が逸れてるぞ…、ガーストが人間なのは確かなんだな。……魂が入れ替わったとなればガーストの魂は此処に無い…、もう死んでるって事で良いんだな?」
青年は首を縦に振った。剣士は自分達を欺いていたり裏切ってはいなかった。内側から憎たらしい声が聞こえたがあえて答えなかった。
「…ガーストは一度死んで、生き返ってると聞いた。魂は今は魔物の腹の中だ。」
「…惨い事を。」と精霊は嫌悪を隠さずに苦々しく呟く。それが力を求めた代償だと言えばまた噛みつかれるため、青年は話を逸らさぬよう口にはしなかった。
「それも魔王から聞いたのか?」「…いや王女からだ。」
「…話すのはこれぐらいで良いだろ。……腹が減って、話す気も起きない。それに今、何時だと思ってるんだ。」
これ以上この話題を掘り下げられれば言いたくない事も言う羽目になりそうだ。また来ると言って部屋から出て行った二人を見ながら青年は溜息を吐いた。有難い事に魔術師は結界を解いては行かず、あの魔法道具を取り出して不慣れながら精霊や妖精の類が入って来れないように扉と窓に魔法陣を描く。ちゃんと出来たか分からないが気休め程度に一人になれるだろう。
青年はある時を境に一人で生きる事になった。鍛錬をしているか狩りをしているか星を見ているか、もしくは山に住む狼達と戯れているか。今思えばフェンが死んだ事実に目を背けようとして戯れていた気がする。だが寂しさは埋まる事は無く、次第に考えるのを止めた。それ以外にする事は無く、暇な時は仕方なく鍛錬をするか日当たりの良い場所で眠っていた。
周囲の事について考えるの事はあったが自分について考えるの事は無かった。何故自分には両親に関する記憶が無いに等しいのか。何故自分は村人から厄介者扱い、いやそれ以上に忌み嫌われていたか。俺は山から降りた事は殆どなく昔に興味本位で降りた事のみで村人とは接した事は余り無い。それなのにも関わらず嫌われていたのか、自分には思い至る節は無い。幼い頃に訳が分からなく泣いた事もあったがあの時はクルトが居た。
"あいつらと同じようにお前もあいつらを嫌えば、あいつらと同じようになる。あんな嫌な連中にはなりたくないだろ?仕返ししたいって思うなら反応しない事だ。あいつらが求める反応をしなければ、その反応は何処に帰っていく?本人だよ。ブーメランと同じもんだ。だから無視するんだ。"
この言葉は今でも覚えている。自分を救ってくれた言葉だ。クルトは俺の尊敬する人物で大事な友人だ。彼は今一体何をしているんだろうか。
腹が情けない音を上げて青年の思考は中断される。干し肉でも食べるとしよう。
「…スティア、まほうどうぐを止めてくれぬか。」
それから数時間後、子守を頼んだフェンが少年を連れて帰り、青年は二人に触れて魔法が解かれる。フェンの口周りは血に染まっており、彼の背中にはぐったりとした姿で少年が乗っていた。取り敢えず少年を降ろしてから血を拭き取ってやり、この様子だと腹拵えはちゃんと済んだようだ。フェンの毛並みを堪能したいところだが少々フェンが縮んだ気がする。気のせいだと思うがフェンが珍しく擦り寄って来るため然程気にしはしなかったが目を細めて自分に頬擦りするフェンの頭が一気に一つ分下がり、頭を撫でていた手は空気を撫でた。
「こいつ…大きくなったり小さくなったりして…、背中に乗ってる時にやるから酔う……。」
か細い声で喋りながら腹這いのまま青年とフェンの元に辿り着いた少年は力尽きた。
「……まだ力の制御が上手ではない。…体力や魔力が削られれば身体の大きさを保てなくなる。…悪かったな。」
片方の前肢で頭を何度か軽く叩くが少年は反応もせずに床に伏せっている。
「……疲れてるなら小さくなっても良いんだぞ。」
ぽんぽんと膝を叩けば一瞬眉間に皺が寄り、膝の上に乗ってくる事はせずに青年の隣で小さくなって座り込む。昔に戻った気分だがそれを言えばフェンは悲しむだろう。
「……フェン。フェンとはもう会えないと思ってた。夢の中で出てきた時は嬉しかったし悲しいと思った、だけどフェンが現実だって言った時は悲しいなんか何処かに消えたよ。」
「また会えて嬉しいよ。」とそう伝えれば彼は「…私もだ。」と一言のみでフェンは目蓋を閉じた。