第七の町セヘプテムタ/08*
少年トレースを主人としていた人形アルサは魔族である淫魔の手の中に落ちた。書類で提出された情報以上に人形アルサは凄まじい。情報はあるとしても実戦となれば使えないものが殆ど全てである。フィラーリネはこの人形アルサについての情報は書類を通して知っていた。強さは勿論だが、彼には素質は見え隠れしているが魔術の教養は無い。何故そのような少年がこれほどまで強い力を持った人形を作り上げれたのか疑問を持っていたのは確かだったが、それを口にする事は無かった。それが協調性というものである。社会、いや特に此処のように日々問題を抱える所ではそこで働く者は問題を起こさぬように、問題を孕んでいたとしても産み落とさないようにしていた。フィラーリネは人形アルサの精密に練られた魔術を分厚い防御壁で防いでいたが、その防御壁でさえ小さな罅であったものが大きな亀裂となり簡単に砕けていった。
その攻防を繰り返している内に微かに聞こえたディスティーの礼と共に「俺との約束はどうするんだよッ!!」と寝ていた筈のトレースの荒げた声。生徒の安全が危ぶまれると思い、フィラーリネは咄嗟にガーディアンを召喚しようとしたが今日は上層部の会議によりガーディアン達はその護衛に当たっている。だがこの人形が彼を攻撃するのだろうか。フィラーリネには分からなかった。
重ねられた防御壁は使用する度に強度は下がっていった。魔力不足によるものだ。何度もこの攻防を繰り広げれば人間であるフィラーリネには勝ち目はない。視界の中央で激しく揺れ動く白髪を見れば、先程の戦闘の疲れが残っているのが分かる。徐々に後ろへ下がる足に、自分の過去の選択に悔やみが積もっていく。やはり自分の選択は間違っていた。
「止まれ!アルサ!!」
流れ落ちる涙を何度も拭ったのか、目元を赤くさせて叫んだ少年トレースの声でも人形アルサは止まらない。カルバートが勢い良く踏み込み、関節目掛けて拳を入れるがそれは直撃し、腕は外れるも宙に浮かんでカルバートの鉄で造られた腕を捻り上げた。だがそれをカルバートは何の迷いも無く腕の接合部分にある金具を外して彼は腕を捨て、屈み、もう片方の腕でまた関節目掛けて攻撃する。だが結果は変わらない。カルバートの目的はただ一つ。倒すのではなく機動力を削ぐ事だった。
「…っ、人の腕なんだからよ、大事に扱えや!」
新たに獲物を探すように先程カルバートが捥いだ腕を床に落とすが、それはカルバートを襲わずに元の場所へと戻っていく。それにまた舌打ちし、一度カルバートは下がる。
「フィラーリネ様、何か良い策は無いんですか。」
「もう片腕しかありませんし」と付けたし、無残に転がる腕を見ながらカルバートは拗ねたように唇を尖らせた。
敵は人形。しかも精密に練られた高度な魔術、魔法が組み込まれている人形だ。生命を吹き込んだ者を生涯の主とする。だが目の前の物はそうはいかない。血の繋がりさえ有れば操れるし、その所有者から繋がりを奪えば操れる。人間で言えば夜な夜な浮気を繰り返す下町の主婦だろう。
「…このまま同じ事を繰り返せば私達の魔力は尽きる。」
もし魔力が底を尽きれば色々とガーディアンや結界などに支障が生じる。全てをフィラーリネの魔力で賄っているわけではないが、ガーディアンの動きは鈍くなり、結界には穴が空く。もし術者がそのような状況に陥った場合の予防策はあるがそれは三日程度しか保たず、その間に攻撃をされれば脆い部分から亀裂が入り、結界が破られる。全ての魔術が術者の魔力が無くなれば魔術が解かれると言う訳ではないがフィラーリネの様に魔力孔から直接発動させた魔術に繋げば、その魔術の精度と威力は増す。そして半永久的にそれは続く。このような方法は呪術師がよく使用している。
「どうするんすか。ぶっちゃけ捕縛した方が早いと思いますぜ。」
その案は頭の片隅にあったが機動力を削がない限り使えない。機動力を削いだとしても先程のように元に戻る。学生時代に授業で試作した関節人形と大体同じ構造だ。関節である球体を破壊してしまえば良い話だが見た限り、床に転がっていた球体には傷一つ無い。
考えれば考える程、時間は過ぎ去る。だが人形アルサが攻撃してくる事は無かった。この人形には忠誠は無い。その筈だった。
「……これの名前は確かアンゲルーサ。トレース、そうですね?」
フィラーリネは人形の略名ではなく正式名を確認するように少年トレースに声をかけたが「アンゲルーサ…?」と少年は恐る恐る人形の名を発した。
「……を、よ…やく…。」
殆ど聞き取れない、寝起きのような乾燥し掠れた声が人形アルサの動かない筈の口からゆっくりと発せられた。少年には"アンゲルーサ"と言う名前をまだ両親が居た頃に聞いた事があった。小さな小さな記憶の中にはその名前が埋れていた。
「…を、…名を……。」
裂けた衣服の下に見えていた関節の球体は見る見る内に絵が消されていくように人間の血色の良い肌色へと変わっていく。だが少年の記憶には名前があるだけで彼の事は知らない。知らされていない。
「…名を、漸く……お呼び、に…。」
人形だった者は少年の顔を見て安心するように崩れ落ちた。それは体の部品は倒れた拍子に壊れる事は無く、人形ではなく人間のようだった。状況が飲み込めない少年は助けを求めるようにフィラーリネを見たが、人形の名を確認したフィラーリネ本人も理解していなかった。
今出来る事と言えば、人形だったアンゲルーサの手当てだろう。
治療を受けて医務室で眠ったままのアンゲルーサを椅子に座って凝視する少年の顔を騎士は読書の合間に盗み見ていた。勇者が気にかけていた少年と見ていい。数日前に運ばれて来た生徒は勇者は面識があったような素振りをしたがそれほど気にかけてはいなかった。そういえば勇者は此処を訪れていない。フィラーリネという教師に聞けば、転移結晶で魔物と共に消えたと言う。一人で消えたのなら何か疚しい事があったのか、あるいはどうしても魔王の所に自分を行かせたくなかったかのどちらかだろう。あの男の事なら後者の筈だ。私が魔王の居場所を知れば騎士団、そしてカエルムエィス王国軍等を率いてこの終わりなき魔族と人間の戦いに終止符を打とうと行動に出るからだ。
「その人間は勇者を襲っていた人形…でいいのかな。」と読み終わった本を閉じ、憂さ晴らしの為に騎士は少年に話かけてみる事にした。柱の下で薄れゆく意識の中で見た素早い動きで勇者を拉致した人形と、隣に眠る人間は瓜二つ。
「……勇者?」と眉間に皺を寄せて首を傾げる姿は勇者とよく似ていた。同じ黒髪の所為だろうと騎士は心内で思わず笑ってしまった。
「君は知らずに接して居たとはね。…まあ、彼は自分の事を自分から言わないから知らないのも無理は無いだろう。」
ディスティーの事だと騎士がそう伝えれば何か納得したようにあぁと声を漏らした。
「…だから、あんなに強いのか。」
ぽつりと零した少年の言葉を耳聡く拾い、そして少年に勇者に手合わせしてもらったのかと問いかければ少年は首を縦に振り、その後騎士と少年は問答を何度か交わした。子供にしては少年は表情が固い方だと騎士は感じていたが言葉を交わす度、少しながら表情が柔らかくなっていく。彼と少年の出会いは僅か数日前だ。それほどまでに共通点があるのか、もしくは子供に怖がられそうな仏頂面だが子供の前では笑顔になったり、子供に好かれやすいのか。よく分からない人だと騎士は改めて思った。自分は馬鹿だと言うが頭はよく切れ、だが訳の分からない突飛的な行動をしたり世界の情勢をよく分かっていない世間知らずだ。彼の生い立ちから見れば馬鹿や世間知らずなのは無理は無いと言えるが、彼の生活環境ではもっとましな教育を受けれた筈だった。何故彼はそのような選択はせずに、剣に全てを注いだのか。幼少期から勇者になりたいと願ってからなのか、だが彼は確固たる意志を持って勇者になったわけではなく、ただまだ死にたくなかっただけだと言っていた。此処の王国、ミルターニャの現国王の時代になってからと勇者選定儀は悲惨な程に過酷になり、必ずと言って良い程に死者が出る。もし生きて帰ってきても五体満足ではない。それが原因で王国内では火種が燻っており、それが本格的に燃え上がるのは近いだろう。
「…騎士さん?」ときょとりとした顔で少年は首を傾げ、思考に耽っていた騎士は「何だい?」と言った。何か慌てた様子で首を何でもないと首を横に振り、「…いま、何処に居るのかな。」と少年は俯いた。
「彼に会いたいのかい?」
間を置いて少年は頷いた。
「…どうして会いたい?」
首から下がる特徴の無い銀のプレートを弄りながら考え込むように黙り込んでいたが結局少年は分からないと言った。
「……強いて言えば約束したから、また会えるって言ったから俺は寮に戻ったんだ。…会えはしたけど、したけど…。」
"こんなに早く居なくなるなんて知らなかった。"と言った。
「…彼はカエルムエィスに居る。」
少年の思いに揺れ動かされたドゥムは私らしくないと思いながらもディスティーの居場所を告げた。少年の思いに、約束と言う言葉に、少しだけ騎士は過去の感傷に浸った。
「だが今から追いかけてもすれ違いになるだろう。次の目的地のパンテラオ王国に向かえば良い。私も丁度勇者に用事がある。本当に会いたいのなら連れて行こう。」
その話を聞いた途端に立ち上がり「…荷物、まとめてくる。」と慌ただしく医務室を出て行った。
──
少年の背中を見ながら此処に未練が無いのかと溜息を吐いた。オルクストーデンは入学した者、卒業した者、そして関係者以外立ち入る事は禁じられている。生徒が寮生活というのはその為にある。また外部との接触を断つ目的でもあり、その理由は情報漏洩を防ぐ為だ。例え生徒でも此処の情報は僅かながら持っている。それが結界を破る事に繋がってしまう事態になればもうそれは絶望的だ。
そのため此処は退学した者、脱走した者については異常なまで厳しく罰し、町を追い出される場合もある。最悪な場合は牢に閉じ込められ、そこで一生を終える。
それは此処に身を置いている少年トレースにも分かっている筈だ。何故そうまでして勇者に会いたいのか。
「…いい加減に出てきたらどうです?盗み聴きとはまた特殊な趣味をお持ちですねえ。」
衣服の擦れた音がソファの後ろから聞こえたが、そことは反対方向にある壁から数日行方をくらましていたガーディアンだったブラドが姿を現した。
「……今度はあの生徒と接触し、お前は一体何をするつもりだ。」
静寂に包まれた医務室にそぐわない敵意に満ちた瞳で騎士を睨みつけ、此処は治療する場だと皮肉めいた言葉を投げてやろうかと騎士は思ったが火に油を注ぐだけだろう。
「一体何をとは?私は教会から派遣された講師に過ぎない。そんなような私が何をすると言うのかな。こちらが聞きたいくらいだよ。」
「私はお前を知っている。あの場で何をしたのか、されたのかをな。…その情報から考えればお前は復讐の為に此処に侵入したのかと思っていたが、その予想の斜めを行く目的だったとはな。」
「使えるものは壊れるまで使う。それが私が第一に考えているものだ。」
「お前は己の身体でもそう言いたいらしいな。」と目を細め、絡みつくものを見透かすようにブラドは言った。
「君は分かっているようだね。…ああ、そうだよ、その通りだ。君が考えている事は正しいが、もう既に反動が来ないように施されている。」
もう元には戻れないとドゥムは笑った。その言葉にブラドの顔は歪み、瞳にあった敵意は自然と消えていった。
「…痛みを失った者は、愚かだ。」
ブラドは冷たく言い放ち、医務室は元の静寂へと戻っていった。全てを聞いていたソファの後ろに隠れる者に視線を送りながら、ドゥムはまた溜息を吐いた。
「…クロートザック。お前の道は厳しく、目的地に着いたとしても結果はその道とは似つかない程の小さなものだとしてもお前は行くのか?」
騎士の耳しか届かぬ声で男は言い、ドゥムはソファから男に視線を移す。
<ああ、もう後には引けない。私は自分の道を進む。>
ベッドの傍らに立つ男の赤い瞳を見つめながらドゥムは言った。
「…それでこそ私が選んだ唯一の人間だ。それに私は従おう。」
騎士の胸に手を伸ばし、男は白い粒子となり消えていった。
「ねえ、トレース!」
此処から離れる支度をしようと部屋に向かう少年に医務室から少し離れた場所でガイルの弟であるマドラに呼び止められた。普段話をするような間柄でもなく同じ科でもないマドラが自分を呼び止めるのかと疑問に思いつつ少年は振り向き、そしてマドラの青白い顔に驚くように目を見開いた。遠くで見ていたあの陽気な性格が滲み出る笑顔はなく、憔悴しきった表情がそこにあった。まだ生徒達にはガイルが謎の襲撃に逢い、生死の境を彷徨っている事はその現場を見た当事者のみしか知るものはいない。
「兄ちゃんは目を覚ましてた?」
何も知らない少年は何事だろうかと首を傾げたが医務室にはマドラの兄の姿は無かった。
「…医務室には居なかったけど?」
医務室には近づいてはいけないよとマドラは教師から言われており、兄の容態については医務室から出てきたものからしか知る手段がなかった。だがガイルは普段生徒が使用するような医務室で手当を受けているのではなく、特別な緊急を要する時に使われる別の医務室で眠っていた。その事は教師のみが知っており当事者であるマドラにも知らされてはいなかった。
「……、そっか。呼び止めてごめんね。」
薄っすらと目に涙を溜めながら肩を落とし、校舎の奥へと消えていったマドラの背中は丸かった。何も知らない少年は彼の力に慣れなかった事に酷く罪悪感が芽生え、胸が痛んだ。入学当初、初めて話掛けてくれたのはあの双子だった。その後彼らがちょっかいを出して、人形アルサの危うく攻撃を食らわせられそうになり、あれ以来彼らが話し掛けてくる事は無かった。
今はディスティーに会う事が最優先だと頭からその事を追い出すように少年は寮の方向へと走って行った。
支度をすると言っても他の生徒と比べてかなり荷物の量が少なかった。殆ど無いに等しい。机の上にあるのはたまに行う座学で使用する新品同然の教科書。その上にあるのは毎日勉強しているとある魔導書。新たに編み出していた魔法の実験の失敗により他界した両親が残して行った魔導書の数々。大半の遺品はその実験失敗の影響で焼失してしまったが、運良く燃えなかった魔導書から彼はアヴァンセの監視から逃れてこっそりと勉強していた。それらを入学時に持ってきた鞄の中に入れて、そしてベッドの横の小棚から水晶達を慎重に鞄に仕舞い込んだ。その他に衣類を入れれば少し重くなった荷物を肩から掛け、準備は完了した。
「何処に行こうとしてるんだ。ガキンチョ?」
何気無く見た窓硝子に映った真っ白い色をした構内で見かけた事が無い金属で出来た腕を見て、先程戦っていた人だと驚く事なく振り向いた。
「此処を抜け出せば二度と此処には入る事は出来ないのは入学当時によく言われてただろ。それでも行く気か?」
どうしてこの人は知っているのだろう。医務室に居たのは自分を入れて三人だけだった。
「おいおい…黙りはよしてくれや。子供の沈黙程怖いものはねえよ。」
「貴方が止めに来る理由も義理も無いです。」とベッドの横に立て掛けて置いた剣を投げつけ、その隙に部屋を抜け出してしまおうと駆け出したが、部屋から出る事は叶わずにカルバートの腕の中に閉じ込められる。カルバートは両腕が金属で出来ている。噛み付いて逃げようとすればこちらの歯が無くなるだろう。何を思ったのか少年は足を振り上げ、男の急所である股間にめがけて振り落とした。踵に生暖かいものが当たったと同時に情けなく甲高い悲鳴が上がった。だが力は弱まる事はなく、反対に強まり、口から内臓が出てしまうような程の圧迫感が腹部を襲う。
「ガ、ガキンチョ…っ!!お前…同じ男ならこの痛みが…!!」
少年を締め上げている事に気づかない程の股間の痛みにカルバートは身を捩らせる。この痛みは尋常ではない。遅れてやってきた痛みをまた追うようにじんわりと広がる痛みにカルバートは目に涙を溜める。
「苦し…いっ!!」と瀕死状態に追い込むようにまた同じように蹴り、カルバートは力無くその場に倒れ込んだ。カルバートの瞳には光は消え、虚ろな青色がそこにあった。
このオルクストーデンの廊下を歩くのは最後だろう。生徒が授業に熱心に取り組み、まだ軽い頭に知識を詰め込んでいるこの時間である今は廊下には誰一人、少年以外居なかった。此処を離れると言う事はカルバートの言う通り、此処には二度と足を踏み入れる事はなくなる。全てを捨ててディスティーに会いに行く事は本当に正しい選択なのか。此処に居ても生温い剣しか覚えれない。亡くなった両親が"時間は有意義に使え"と口癖のように言っていた事をよく覚えている。両親との思い出など少年には無い。あるのはただの言われ続けていた言葉達。名も付けられず何も教えられず、ただ適当に時間に身を任せて過ごして来た少年にとってその言葉は苦痛でしかなかった。だが今になり初めてその言葉の意味が分かった。剣の勉強をするならば此処では少年の求めるようなものは出来ない。そして自分の意志で来たのでは無い。ゴミを捨てるようにこの場所に追いやられただけだ。
医務室の扉を静かに開ければ「案外早かったね。」と口元を布で覆った騎士がくもぐった声で少年を出迎えた。顔を隠すような格好で居る騎士は甲冑など重い防具は着けておらず軽装で敵国であるパンテラオ王国に向かう相応しい格好では無かった。
「……お待ちしておりました。」
眠っていた筈のアンゲルーサは痛々しい程の包帯を体に巻きつけながらも少年の前で跪き、忠誠を誓うように見上げた。困惑する少年をよそに騎士はこの男も同行したいらしいと、そして困った時の戦力になるだろうと同行を許可していた。
「では行こうか。」
腰に剣を携え、騎士は少年の手を引いて歩き始めた。
神とは全人類に平等である。神を崇めたてる宗教の中ではそう教えられているが、信者の中には運命はもう既に決められているが熱心に信仰すれば何らかの恩恵が神から与えられると言う者も居る。とある地方では奴隷制度を用いる国があり、その奴隷は奴隷として生涯を終える者や奴隷のまま終えるのではなくその運命から外れて愛を営み、愛に囲まれ生涯を終える者も居る。運命とは決めらている。一部の宗教を除いて、そう教えられている。だが運命は変えられると訴える者も居る。
神とは全人類に平等なのではない、神が愛した者のみが幸せを掴む。教会の騎士ドゥム・クロートザックはそう考えていた。私は神に愛されなかっただけの事。己の運命はもう既に決まっている、と。
教会は静寂に包まれ、太陽に照らされて美しく色彩豊かに反射する硝子は人々の運命を現しているように見えた。赤や青や色とりどりの人それぞれの決められた運命。隣に居るこの子供は神に愛され、決められた運命を変える事が出来るのだろうか。黄金に煌めく十字架を見つめながら、己が背負う十字架は血に染まっていると神の御意志に背くようだと騎士は思った。
騎士は懐から取り出した巾着の中から粒子状の水晶を空中に舞い上がらせ、転移魔術の為の詠唱を始めた。騎士が言葉を紡ぐ度にきらりきらりと煌めく粉水晶達、太陽光に反射する色硝子を背景にした幻想的な光景は少年は忘れる事はないだろう。その粉水晶達に交わるように消えていく体に少しの恐怖心と未だ知らない魔術への好奇心に少年の頭の中は埋め尽くされていた。