第五の町クィーペンクェタ/05
クィーペンクェタに滞在し数日が経った。男に稽古をつけてもらい青年は剣の使い熟していく。青年の飲み込みようは異様に早く、その事について男は内心自分の事のように喜んでいた。
「明日には此処を立つ。ということだから今日はお休みって事だ。」
カリスから伝えられたのは青年に小さな衝撃を与えた。青年はてっきり今日も稽古をつけてもらえるのかと思っていたが男によると次の街は三日四日かかり途中砂漠を越えなければならない。一日くらい疲労回復に務めろということらしい。
突如現れた暇な時間に青年はどう有効活用すれば良いかと悩んでいた。勿論鍛錬は禁止。本は読み終えた。食糧は乾燥物は色々とあり三日四日過ごせるくらい蓄えている。寝るにも寝過ぎてしまうのは逆に疲れてしまうと聞く。ならばやる事なんて何もないのではないか…?
「…暇だ。」と青年は呟く。だが呟いても何も変わらない。もしや部屋に居るから暇なのではという考えに至った青年は部屋を飛び出す気持ちで部屋を出て行った。
まあ部屋を出ても暇なのは変わらず青年は町を探索していた。何かないかと住人に話を聞いてみると町の近くにある山では不思議な力を持つ何かが採取出来るらしく、だがそこに魔物が住み着いており今は採取出来ないという話だ。暇を持て余した青年にとって素晴らしい案件であり、宿屋に戻ってスリロスに乗り青年はその山に向かった。
人は外見で判断してはいけないと言うが動物もそうである。そこら辺に居そうな外見をしているスリロスだが能力はピカイチだった。改めてスリロスの能力の高さに感心した青年は毛を梳いてやった。そうしている内に魔物が住み着く山の中腹に着いたようで青年はスリロスが降りる。
山は静寂で小鳥の囀りさえ聞こえず代わりに禍々しい気配をひしひしと肌に感じた。その気配は洞窟の方から感じ、スリロスの様子を見れば何も感じていないようにケロリとしている。だが洞窟に近づく程スリロスの脚は重りでも着いているのかという足取りになり、青年は少し戻って近くの木に手綱を緩く結んだ。スリロスに待っているよう伝えた青年は剣を腰に携え洞窟へと踏み込んだ。
洞窟とは普通暗いものだ。だがこの洞窟は眠る鉱石の淡い光によって明るく視界も良い。もしや住人が言っていた不思議な力を持つ物はこれの事か。目についた赤色をする鉱石に手を伸ばせば小さく甲高く鋭い音が洞窟内に木霊し、さらりと砂のように細かく砕け散った。その鉱石だったものは風が吹いていないのに舞い上がり青年を案内するよう空中を漂い何処かへ向かう。
青年はそれを追いかけ走る。だが着いた先は行き止まりで鉱石だったものは壁に吸い込まれて行った。
「…おや、此処に人が来るなんて何年振りだろうね。いや?此処に住み着いて十年目…、来訪者は居なかったな。彼は山の麓にも近寄れないからな、忘れていたよ。私が会いに行ってるんだった。
彼の事を思い出すと、あの阿呆と可愛い子をセットで思い出すよ。可愛い子はちゃんと友人に会えたのだろうか?もう一度舌足らずに私の名を呼ぶ声を、あの死んだ目を見てみたいものだよ。幼子にしては目を見張るものだ、将来有望だ。私の弟子も中々目が死んでいるが最近輝きを放っているから詰まらないものだ。いっそ可愛い子を弟子にすれば良かったのかもねえ。いや…それは阿呆に怒られるな。実際怒られたし…。酷い話だよ、可愛いから頭を撫で回せば殴られるし中々バイオレンス。育ててやったのは誰だと思ってんのさ、私よ?私!!
もう、あの村の風習は古過ぎよ。双子は不吉ですって?あんな可愛らしい子が二人よ?喜び二倍!ハッピー二倍!嬉しい事だらけね。まあ双子の割には片方は異常に成長が早いし生まれて五年で十歳くらいの子に見えんのよ!?びっくり桃の木山椒の木よ!…まあ父親がアレだから驚く事でもないか、だけど二十歳くらいのナリになると成長が止まってるのよ。成熟しきったという事かしらねえ。不老不死なのかしら?私と同じね。まあ…私の場合は呪術の使い過ぎから来た後遺症なんだけど、素敵な後遺症よ。」
漸く声の主の話が終わる。男か女か分からない口調で声音も中性と言った所だろうか。何処か懐かしい気もするが気のせいかもしれない。
「おっと君の存在を忘れていた。まあ立ち話もなんだし…、私の家に招待しよう。」
壁一面に生えた手に青年は掴まれ強引に壁の中に引き込まれる。此処は洞窟。土に埋もれる感覚はどんな感じなのだろうかと考えるが、一向にそんな感覚は襲ってこない。次に目蓋を開いた時には鉱石が眠る岩だらけの洞窟ではなく優雅なランプが四方八方に適当に置いてあり、そして高そうな絨毯の上に青年は転がっていた。
声の主を探そうと起き上がれば目の前に立ち塞がる白い壁、ではなく白のローブを着た人間。
「巷で有名なランプ屋、そして我が家へようこそ客人よ。」
青年の腕を掴み白のローブを着た人間は青年を立ち上がらせる。華奢な風貌で何処から青年のような男を持ち上げられる力があるのだろうかと青年は疑問を持ったが口には出さなかった、いや出せなかった。
「…リリィ?」と無意識に口から零れ落ちたのは青年の前から消えた親しい友人、親代わりの一人の名だった。
──
少年が青年になる前の話。少年の母親は少年を産んでから必ず死に至る病いと言われた感染症にかかり六日後に亡くなった。その時父親は村外に出ていた為、誰も少年を育てる者は居なかった。誰にも頼れなかった。また産まれたのは双子であった。
少年が産まれた村の風習は他の所とは違い、異様なものであった。異様と言うのは"二つの命を腹に宿した場合産んではならない。"というものだ。
何故双子を孕んだ場合産んではいけないのか。それは双子は不吉を齎すものだと考えられていたからだ。この地には数百年前は一つの国があり、その来歴からこのような風習が出来たとされている。
それだけではない。この夫婦は駆け落ちし母方の遠い親戚が此処に居ると聞いて、この村に逃げ込んできた。だが村はそして親戚まで夫婦を受け入れなかった。所謂差別という奴だ。
夫婦は差別を受けつつも愛を育み子を宿した。悲しくも村の風習で禁ずる双子であり、夫婦はひたすらその事を隠した。だが産まれるとなれば産婆が必要になる。産婆が居なければ死産になる確率が非常に高くなってしまう。勿論この村にも産婆は居るが、この村の産婆では子供達は産まれてきても無残に殺されてしまう。他の村に移動するにも母体に負荷がかかってしまう。
そんな時この村を通りかかった一人の旅人が居た。名はホリィ。ホリィは村を訪れたが村民に化物を見るような目つきに苛立ちを覚え、本来の目的である山へ調査に向かう。その山とは夫婦が麓に住む山であった。
「妊婦を此処に放置する夫が何処に居るのかね。全く顔が見て見たいものだよ。」
ホリィは少年の母親クローカスの顔に妙な違和感を覚えつつも、額に浮かぶ汗を拭いてやった。薄っすらと目蓋を開けたクローカスはホリィを見て、子宮の収縮による定期的に来る痛みに耐えながら微笑んだ。そこ微笑みは聖母マリアを連想させる美しく母性溢れる表情であった。
「あーもう!破水してるし、陣痛きてるようだし…。あんた産婆はどうしたの?産婆無しで産むつもりかい?」
腹を摩りつつホリィがそう問い掛ければ、クローカスは細い整えられた眉を寄せて頷く。その表情から感じ取ったのか、呆れたような何とも言えない表情をしホリィは溜息を吐いた。
「腹のデカさから見て双子でしょう?産婆無しじゃ二人とも死ぬ確率高いよ?それでも本当に産むつもりか?」
クローカスの覚悟を問うようにホリィは汗ばんだ握り締めた拳に手を重ねる。そしてクローカスは頷いた。
「あんたはラッキーだ。医者が通りかかったんだからね。子供の数も合わせて、ラッキー三倍だ。」
髪を結う紐を口に咥えながらホリィは笑った。
数十時間後。二人の赤子の産声が山の静寂を破り、山に響き渡る。ほんの束の間、ホリィは双子を取り上げた事に胸を撫で下ろすが問題は感染症だ。途切れ途切れに聞いたのだが陣痛前に破水したらしく、ホリィは念の為に双子に治癒魔法をかけた。クローカスにもかけようとしたが、クローカスはホリィを止めた。
「もし感染症にかかって死ぬ事があったらどうするんだ?誰がこいつらを育て──」
「かけても無駄なの、私の体質でね……。どんな魔法や魔術を、全てを…跳ね返してしまうの。だから…魔力の無駄になっちゃう。」
力無く笑うクローカス。妙な違和感はこれだったらしい。彼女は──
「…成る程ね。クローカス・バシレウス。バシレウス家の跡継ぎの争いに負けて、お祓い箱になっていたあんたが此処に居るとは思わなかったよ。」
一瞬目を丸めたがクローカスはまた力無く笑う。
「素敵な人に…出会ってしまったから…。村外に咲く…記…が出来る……。」
クローカスは話し終える前に眠りに落ちてしまいホリィはまた汗を拭き、己のローブを疲れ切った母体にかけてやった。
「さて…どうするかね……。」
布に包まれ安らかな表情をして眠る双子の赤子を見ながらホリィは溜息を吐いた。
それから六日後。案の定クローカスは感染症にかかり、この世を去った。依然夫は帰らず、逃げた…という考えがホリィの頭を過ぎった。そんな考えなど直ぐに消し飛ぶ事態がホリィに襲いかかる。
双子の片方がもう既に歯が生え揃っており、言葉はまだ喋れないが一人で歩行が出来るまで成長していた。色々とこの村について調べたが、このまま村民に見つかってもこの赤子は双子とは思われないだろう。
ホリィが思考を巡らす中、扉が大きな音を立てて開かれる。短髪で無表情の大男。そんな風貌に不釣り合いな花を片手に持ち、何も感じさせない虚ろな瞳は横たわるクローカスを写していた。
「あんたがクローカスの夫かい?もう少し早く帰って来れば、死に目に会えたのにな。残念なこった。申し遅れた。私はこの山を調査にしに此処に訪れた旅人だ。まあ私に感謝しな、此処を訪れなかったら双子は死んでいたんだから。」
「…そうか、子供らを取り上げてくれてありがとう。礼を言う。」
眠るように横たわるクローカスの頬を撫で、そして産まれた双子の頭を撫でた。
「スティア。」と男は赤子の名を呼ぶ。反応したのは成長速度が普通の片割れだった。
「その子の名かい?」
「…反応したからそういう事になるな。まあ、昔の俺の仇名なんだが……ディスティーで良いだろう。こいつの名前は。」
「ディスティー…ね。それはあんたの名かい?」
「……昔使っていた名前だ。今の名前はクルト・リベラ。好きに呼んでくれ。」
この男には感情が無いのだろうか。クルトに対する疑問がホリィの脳内に渦巻いていた。妻が死んだ悲しみ、子供が産まれた喜びを未だに一つも見せようとしていない。感情と言うものを知らないのだろうか。
「…知ってるか。バシレウスの人間は死んだら時間をかけて土へと還り、新たな命となりこの世に蘇ると言われている。…お前は確かホリィ・セークリドだろう。前までは有名な医者だったがこの世に絶望し、今は暇を持て余して旅をしていると聞いた。…そのお前に頼みがある。」
クルトの申し出にホリィは目を丸めるが直ぐに細められ、訝しげに虚ろな瞳と目を合わせた。
「…いきなり何だい?私に何を頼もうっての?高いよ?」
「クローカスの事を見届けて欲しい。彼女は死んでしまったが、まだ彼女は生きている。生まれ変わる所を見届けて欲しい。…俺には彼女を埋葬する事は出来ない。種族が違う。聖地に踏み入れる事は出来ない。」
「ふーん…、まあ暇を持て余してるのは事実だし。産婆役も買って出ちゃったし、死に目にも会えちゃったし…、これは見えない何かで繋がってるんだろうねえ。…良いよ、引き受けてあげよう。その代わりにちゃあ何だがこの子は、ジェメロは貰ってく。この村では双子は忌み嫌われるんだろう?」
クルトの腕に抱きつく異常な成長度を見せる赤子はホリィによって勝手に名付けられる。
「…ジェメロ、か。良い名を貰えて良かったな。」
クルトは愛おしそうな手つきでジェメロの頭を撫で、そしてホリィに向き合った。
「ジェメロを連れて行くなら俺の条件を聞いて欲しい。」
「む?年に何回は此処を訪れてやるよ。」
眠るディスティーの頬を弄るホリィはクルトの言葉に不思議そうに振り返った。相変わらずの無表情で、この男の底が見えない。まるで底無し沼に浸かる感覚のようだ。
「それは有難いが…この二人にはお互いに血の繋がりが有るという事はなるべく隠したい。…ただの勘だが、俺の勘はよく当たると前にクローカスに言われたから、それとこの二人はきっと…別々の道を歩むだろう。そして……──」
クルトは何か言いかけるが口を閉ざした。幾ら自分の勘がよく当たると言えども外れる事もある。だがこの妙な勘が言っている。"これは外れない"と。
愛しき者が産んだ愛しき子供達。己の命に代えてもこの子らの将来は守らなければならない。
「リベラ?どうした?気になるじゃないか、早よ言え。」
「…さあ、何だったかな。忘れた。」
クルトは見え透いた嘘を吐き、目と星空を隔てる傷む天井を見上げた。