第五の町クィーペンクェタ/04
カーテンの隙間から朝日が零れ顔を照らす。眩い光を浴びて目蓋を開けば木目調の天井。体を起こし隣に寝る魔王討伐の為に組まれた仲間の一人、魔法治癒師マリー。昨日まで私はこの女の魔術により魅了されていた。だが彼女は魅惑が解けたとは気づいておらず一夜を共にした。
剣士というものは魔術や魔法などを使用せず使用出来ず、己の力のみで相手を倒すというものだ。魔術や魔法などを行使し剣で戦うのは魔剣士だ、剣士ではない。魔剣士なら未だしも剣士である私がこのパーティに参加する資格はあったのだろうか。いやあるはずだ。あの試験を乗り越え、あの試合を勝ち抜き、だから私は此処に居る。
『相当な実力を持っているのにも関わらず随分とパーティの人間には信用されていないようだね。』
あの騎士の言葉が剣士に纏わりつき、頭の中で何度も何度も繰り返される。纏わりつく言葉を消し去るように深く息を吸って吐いた。そしてガーストは立ち上がり部屋を後にした。
誰も居ないだろうと広間に足を運べば、案外な事に一人紅茶を飲む王女がソファに座っていた。
「あら…早いのね。」と一言言えばティーカップを置き、王女は本を読み始めた。ふと王女と初めて出会った時に言われた事を思い出し、ガーストは王女を見るが自分の事など眼中に無いように本を読んでいる。王女が座るソファの向かいにガーストは座り、テーブルに置かれた花瓶に生けられた花をただ見つめていた。
「……剣士ガースト。貴方は何故このパーティに身を置いているのかしら。」
突然投げかれられた問いに顔を上げるが、問い掛けた本人は本を読んでいる。興味本位なのだろうか。
「…魔王討伐の為です。」
「そういう事ではないわ。私が聞きたいのは本当の理由よ。」
本当の理由とは。…ああ、そうだ私は魔王討伐の為に此処に居るわけではない。ただ本家の為に此処に居る。だが私は自分の意思で来た、魔王討伐の為に。
「このパーティに身を置いている理由は…本家であるグァンガンの為です。…ですが私は自分の意思で、魔王討伐の為に此処に居ます。」
「グァンガンの分家アードの人間…、なら魔法治癒師の魅惑にかかるはずだわ。確かアードはグァンガンから分かれる際に魔力孔を塞がれたと聞くけれど本当だったのね。」
「普通の人間なら微量な魔力が感じられるもの。」と王女は言葉を続けた。
「はい。十五代前の先祖からアードは魔力孔を塞がれ、生まれてくる子供も皆塞がっています。そしてこの私も。」
鎖骨の上にある痣をなぞりながらガーストは話す。この痣は十代目リロール様が魔力孔を封じられた時に出来た傷からくるものだ。
「貴方は自分の意思で来たというけれど、貴方はただの足枷…荷物にしかならないわ。」
「お、とりぐらいにはなれます。」
唇を噛み、ガーストは俯く。またあの騎士の言葉が蘇る。
『頼りにならなければ、力が無ければ…囮や壁になるしかお前は戦えない。役に立たない。庇って死ぬしか役に立たないのだよ。』
だがこのパーティにはそんな人間は必要無い。勇者様が居る、彼は圧倒的強さを持つ。なら自分は此処には必要無いのではないだろうか。
「…そんな顔をしないでくれないかしら。こっちまで気分を害するわ。」
いつの間にか王女は読書を止めていたようで細い眉を寄せながら紅茶を飲んでいた。
「貴方は力を望むのね。だけど今の状態では駄目よ。」
「……分かっています。このまま…魔力孔が塞がったままでは勇者様の力にはなれない。…死を持って力になるしかありません。それは──」
「何故人間にはこうも話を最後まで聞かないのが多いのかしら。全く呆れるわ。馬鹿ばかりよ、全く…。」
呆れたような顔で王女はティーカップを置く。そして何かを話そうと口を開いたが扉が開く音を聞き、王女は口を閉ざした。
「あら朝帰りなのね…ディスティー。朝食後にギュシラーが話したい事があるそうよ。」
現れたのは勇者様だった。一瞬此方に目を向けるが勇者様の瞳には自分など写ってないような深く黒く緑がかった色をしていた。
「…朝食には出ない。部屋に居ると伝えてくれ。」
「私を伝言係りにするつもり?これでも一応は王女の身よ。…まあ良いわ、私も朝食の場には出ないつもり。暇だから話し相手になりなさい。拒否権は認めないわ。」
強引な王女に勇者様は嫌な顔をせず一言だけ「ああ。」と言い、部屋に戻って行った。
「話に戻るわ。…剣士ガースト、貴様は力を欲するか?」
王女の口調と共に目の色が変わる。淡いブルーの瞳は深海を想像させる暗さが宿り、王女の口角は不気味に確かにと上がっている。それにガーストは剣士は恐怖を覚える。だが己の欲望には勝てなかった。剣士は小さく頷き、欲を吐き出した。
「ならば…私の言う事に従い実行し…ワイバーンの鱗、牙、そして毒蛇の尾を取りに行きなさい。それらがあれば貴方の欲望…願い通りになるわ。」
微笑を浮かべながら王女は氷の欠片が入った小瓶を二つ投げ渡し、ガーストは不思議そうにその小瓶を受け取った。
「その氷を噛めばワイバーンの住処に飛ぶわ。自分のタイミングで行きなさい。私は暇じゃないの。」
本を持って王女は部屋に戻って行った。一人残されたガーストは二つの小瓶を見つめ、そして握り締めた。
──
あの王女は一体何かと考えれば、妖精としか考えられない。まあ自分で湖の乙女、湖の妖精と呼ばれていると言った。魔術師も知っていたようで妖精というのは確かなのだろう。妖精と精霊は一緒だと最初は思っていた、魔術師などに違うと言われたが、やっぱり一緒だと思う。突拍子もない事を仕出かす所が。
「私の話を聞いているのかしら、服を脱ぎなさいと言っているの。」
彼女は仮にも王女の身だ。王女というのは一体何なのか。こんなはしたない事をしていても王女なのだろうか。
「……どうして服を脱がなきゃならない。」と青年は自分の体に馬乗りになる王女に向けて言った。どうしてこうなってしまったのだろうか。自分でもよく分からないと混乱する中、まだ冷静な部分を引き出し考える。
男というものは女の尻に敷かれるものなのだろうか。この場合は股に敷かれると言った方が良いのだろうか。
「下調べよ。今は邪魔は入らない。カリスには食事後もこの部屋に誰も近づけるなと命じたわ。」
「…何の下調べだ。」
「貴方には関係無いわ。強いて言うなら貴方に興味があるの。…妥協案を出してあげる。上の服だけで良いわ。…まあ、貴方の場合上半身裸に近いけど。……袖が無いもの、何て言えば良いのかしら…ハイネック袖無し?」
「…用意されていた服を着ただけだ露出狂と勘違いしないで欲しい。……脱ぐから避けてくれないか。」
「あら?貴方なら私を退かせるくらい簡単でしょう、甘えないでくれないかしら。」
この女…、王女は一体何なのか。王女だからと気を使っていたが無駄だったようだ。生まれて此処まで苛つかされたのは始めてかもしれない。そう感じつつ青年は起き上がり、服を脱ぎ捨てた。
「ふふ…結構凄いのね。」
王女は腹筋に指を這わせ、胸板に顔を埋める。指を這わせた箇所が熱を持ち、妙な感覚に青年は眉間に皺を寄せる。
「普通の人間ならこういう事をされたら心音が速くなるはずなんだけど…。少し腹が立つわね。」
王女は顔を上げ、青年を見上げた。眉間に皺が寄っている事以外表情は変わっておらず王女はつまらなさそうに溜息を吐いたと思えば、青年の視界は王女と天井のみとなった。
「まあ…気に入ったわ、ディス──」
王女が青年の名を呼ぶがそれは中途半端に終わる。甲高い金属音。何かを弾いた音だった。殺気に気づき、それを弾いたのは青年だ。
「……ディスティーに何をしてるの。」
咄嗟に弾いた物を見れば剣だった。此処で王女の身に何か起こるのは駄目だと青年は抱き上げた王女を精霊から視線を外さず王女をベッドの上に置き、守るよう立ち塞がった。
「ふふ、見れば分かるでしょう?」
王女の言葉に苛立った精霊はまた王女へと剣を飛ばすが、青年に弾かれ無駄となる。
「退けて、ディスティー。こんな奴…今此処で消しといた方が良い。後々面倒事に巻き込まれるのは目に見えてる。」
「…何でそう噛みつく?」
意味が分からないと言った顔で青年は取り出した剣を向け、精霊に問いを投げかけた。
「ディスティーの為にやっていることよ。」
益々意味が分からない。何を言っているんだろうか。
「俺は必要としていない。お前のやっている事は全て無駄だ。面倒事を作ってるのは誰だ?お前だろう。」
そう言い放てば精霊は一瞬ショックを受けたような顔をしたが、それは直ぐに無に塗り替えられ表情が読めなくなる。そして精霊は消える。精霊は風になる事も出来る。ならまだ此処に居ても可笑しくはない。そう考えた青年はまた王女を抱き上げ、柄を握り直す。
「良い判断ね、ディスティー。まだあの精霊は此処に居るわ。監視してるみたい、襲ってくる事は無いでしょうね。そこまで馬鹿じゃないと思うわ。まあ…お楽しみはまだ取っておきましょうか。」
青年は王女を降ろし剣を仕舞い、そして脱ぎ捨てた服を拾う。
「あら服を着るの?駄目よ、まだ終わってないわ。」
「……もう勝手にしてくれ。」
青年は考えるのを止め、ベッドに腰を降ろした。それに気を良くしたのか王女は微笑み、青年の首に腕を回す。傍から見れば二人は恋人のようだが、そんな雰囲気は微塵も無い。
「貴方は魔力が少ない方と聞いたわ。それは何故かしら?」
何かを探すような手つきで王女は青年の首筋をなぞり、問いを投げかけた。
「…知らない。魔術は殆ど独学だ。」
「成る程ね…、なら閉じてても無理ないわ。ねえ…ディスティー。貴方は力が欲しいかしら?」
「……さあな。」と青年ははぐらかす。王女はそれを見抜いているようで、その姿を愉快そうに見つめている。
「一度魔王と戦ったんでしょう?その時…貴方は魔王の事をどう思ったのかしら。聞かせて頂戴。」
やけに顔が近いなと思いつつ青年はあの時の事を考え始めた。魔王は倒すべき相手だが、それは自分の本意ではない。人々から押し付けられた願望に過ぎない。
魔王とは。魔王とは闇だ。人の心に住み着く悪意ある闇とは違う、例えるなら星空を覆い被す厚い雲が生む闇。偶然出来てしまった闇と言えばいいのだろうか。
「…強かった。その一言に尽きる。」
「ふふ…可愛らしいわね、ディスティー。嫌いじゃないわ。」
王女は顔を近づけ、そのまま唇を重ねる。甘く何とも言えない香りが鼻腔を擽り先程まで考えていた事が泡のように消えて行く。一体彼女は何をしたいのだろうか。
「…部屋に戻る。もう食い終えた頃だろうからな。」
王女を自分の上から退かし青年は服を着る。部屋に戻ろうと立ち上がるが腕を掴まれ青年は振り向いた。だが王女はただ青年を見つめるだけで青年は困惑する。
「貴方からもしてくれないかしら。してくれたら部屋に戻らせてあげる。」
悪戯好きな亡き友人を連想させる顔で王女は微笑む。するというのは王女が先程行った行為だろうかと悩み、青年は片眉を上げ、それに気づいたのか王女の指は青年の下唇を撫でた。
どうやらそういう事らしい。彼女は仮にも王女で、そして妖精だ。断れば本当に部屋に戻れなさそうで此処は不本意だが従うしかないようだ。
「…ん、乱暴ね。こういう時は優しくするものよ。」
口ではそう言うが王女は満足そう顔をして、青年の腕を離した。
「またお話しましょう。ディスティー。」
王女は青年の背中に言葉を投げかけ、一度青年は振り向き、そして部屋を出て行った。
扉を閉じた音と同時に横に現れた精霊は腕を組み、変な顔、神妙な顔付きで青年に視線を送る。それに青年は気づくが面倒になりそうだと判断し、精霊の存在を無視して部屋へと戻る。
「人の話を聞いて。忠告してあげてるのに。」
だが精霊は青年の後を追い、なんと部屋の中まで着いて来た。
幾分か低い声音で精霊は青年を呼ぶが青年は無視してソファに座る。
「ディスティー、無視しないで。貴方の為と思って忠告してるの、ねえ聞いてるの?」
だが青年は聞こえない振りをし足を組み、俯き、寝る体勢に入った。精霊はその行動に苛立ちを覚え剣を投げようと作り上げるが、四方八方から氷で作られたダガーを突きつけられる。
「…諄い、煩い、黙れ。お前は俺の何だ?保護者か?お前と俺はこのパーティで繋がってるだけの関係だ。赤の他人にとやかく言われる必要は無い。」
堪忍袋の尾が切れかける。こいつは一体何様のつもりだ。偉そうに忠告など笑わせてくれる。
「…っ、あんたが勇者だからとやかく言うのよ。貴方自身の事を心配してたと思った?自惚れないで貴方が勇者だからとやかく言うの、勇者じゃなかったら何も言わないわ。そんな事も分からないの?ああ…、貴方は剣ばかりで勉学に励めなかったものね。馬鹿になるのも当然だわ。」
「お前は前に俺の過去を全て知っていると言ったな。俺が馬鹿な理由も、剣の事ばかり叩き込まれていた理由も分かっているはずだ。それなのに全然俺の性格を把握していない様子だ、全てを知っているなら俺の性格を踏まえて行動するはず…頭の良い奴ならな。それか俺の過去を本当は知らず…、ホラを吹いているか、精霊は頭が人間より劣っているかのどれかだろう。」
見る見る内に精霊の怒りは顔に現れ、一方青年は頭が冷えていった。対象的な二人の様子に部屋は段々と冷え切り、一触即発な雰囲気に陥っていく。
最悪な状況の中でゆっくりと扉が開く。
「……、ペリドート。此処で何してる。」
精霊の主である魔術師だった。何か言いかけた様子だったが魔術師は精霊の名を呼んだ。
「余りにも暇だったから、少しくらい良いでしょう。面倒だし。」
いいからさっさと戻れと言うように魔術師は精霊を睨みつけ、精霊はつまらなそうな顔をする。消える寸前に精霊は先程までの怒りを感じさせない悲しそうな目で青年を見るが青年は気づかず窓を外を見ていた。
「……それで話だが、保護という形でパーティに加わる人間が居る。…一応、報告しておこうと思ってな。」
「……そうか。」と一言だけ返事をし青年は目蓋を閉じた。