追憶 ~縛られし少女と剣の少年~
私は、うとうとしていました。
通常の訓練に加え、今日は特別に師匠の手ほどきもあったのです。ただ師匠と本気の組手をするというものでしたが、やはり敵いません。
そしてそれが終わった後。私は物見塔脇にある仕事先の寮へと戻りました。
「ふぅ……」
今日はもう仕事もありません。学校の方も放課後です。私は自室へ戻って荷物を置くと、部屋の浴室へ。そこで一日の汗を流した後、Tシャツとカーゴパンツというラフな私服へ着替えました。
そして、そのまま部屋を出ます。
みなさん依頼でも受けていらっしゃるのか、人の気配はほとんどありません。まさか、あえて消している人もいないでしょう。
ハンスくんも訓練後は疲れ果てていた様子でしたので、そっとしておくことに。私は玄関を出て、寮の裏側へと向かいました。そこには私のお気に入りの場所があるのです。
小さな花壇。それは私が育てているものでした。
寮長に許可を頂いて、レンガを組み合わせて作ったささやかな花壇。そのレンガ塀に腰を下ろしました。
花壇を見ているとなんだか心が落ち着いて。どうしても今日の疲れた体にはうとうとしてしまいます。
そのまま私は懐かしい夢を見たような気がしたのです。
◇◆◇◆
叩きつけられる怒声、そして衝撃。
私は自分が殴られたことに気づくと、涙を目に溜めてしまう。それがまた殴られる原因になるというのに。
次は槍を手にとれ。そう言われて、自分の背丈より長い武器を危なげに構えると、目の前の人物へそれを振った。直後、手の槍が叩き落される。
怒声、そして衝撃。それの繰り返しだった。
両刃剣、刀、苦無、銃、弓、槍、盾。自分の周りには数えきれないほどの種類の武器が散乱している。それらすべてを使いこなすことが、パルメル家当主になる者の前提条件だった。
そんなものになりたくない。好きでこんなことをしているんじゃない。
そんなことを言うのは、最初に殴られる前までだ。それからは迫る拳に恐怖し、武器を手に持つようになった。
迫る拳を避けた。するとさらに速い拳で次は殴られる。武器に傷をつける。すると現当主の拳が私の身体にめり込んだ。
私は苦しくて、痛くて、でも逃げられなくて。
そしてその日も訓練が終わったのは、夜も更ける頃だった。
夜風に当たる。打たれた傷が癒されていくようだった。
いつものようにそこで気持ちを落ち着けてから部屋に戻って寝ようとした時、ふと、自分の方へ向けられた視線があるような気がして、振り返った。
そこには一人の少年がいた。
珍しい赤黒い髪に、鋭い目付き。への字に結んだ口は、まるでその少年が不機嫌そうな顔をしているように見せるが、私には不機嫌にした覚えはない。それを言うなら、訓練で殴られることをしている覚えもないのだが。
私はなんだか嫌な気分になって、少年を無視して部屋へ戻ろうとした。しかし、少年は私を引き止めるように声をかけたのだった。
「おまえ、なんで泣きそうな顔してんだ?」
その言葉に、私は足を止めてしまって。そのまま振り返った。すると少年は近づいてきてこう言った。
「俺の名はハンス。おまえ、ここの娘だよな? 仲良くしようぜ」
そう言って伸ばした手を、私は戸惑いを隠し切れないまま、急かされるように握り返してしまったのだった。
その後少しの間雑談をかわし、楽しく時を過ごした少年。日も変わり、さすがに戻ると言った彼と再び出会うのは、驚いたことに翌日のことだった。
「カナン。この少年が今日からおまえの兄になる。よいな?」
「……」
翌朝目覚めて身なりを整えた私は、貴族らしいとてつもなく広い食卓で現当主にそう言われた。そして紹介された少年――ハンスくんが向かい側に座っていた。
「よろしくな、カナン」
「……」
思わず黙りこんでしまった私に、当主の厳しい視線が飛ぶ。あとで殴られるだろう。
とりあえず掠れた声でよろしくと言うと、食事が始まる。専属の栄養士が考える体づくりのための食事は、あまり味がしなかった。
いつものように訓練。今日は遠距離系の武器を主に使った。手のたこが潰れるまで拳銃を握り、指の皮が裂けるまで弓弦を弾き続けた。
「……もうよい。ここまでだ」
当主が心底呆れたような声をしてカナンを解放する。始めてそれほど時間が経っていないのに満身創痍な私に、当主は冷たい視線を向けた。父が娘に向ける視線ではない。
当主が訓練用の道場から去る。その後ろ姿を見送った後、私は安堵の息を吐いた。
そのままその場に横たわり、悲鳴を上げている身体を休ませる。
そしてそのまましばらく時間が経ち、私は立ち上がった。そのまま部屋に戻って今日の分の手当てをしようと足を動かした時だった。
ガキィッ!!という音が道場にまで聞こえてきた。
何だろう、と不思議に思い、私は音のした方向へと足を踏み出した。そちらには庭がある。私が庭に出ると、そこには先程まで私の稽古をつけていた当主が剣を振るっていた。
そして、その相手。そこにはハンスくんがいた。
刀……というのだろうか、ハンスくんの身長に届くかというぐらいのかなり長い片刃の武器をまるで自分の身体の一部とでも言うかのように、縦横無尽に豪速で振り回している。そんな凄まじい攻撃を、当主はすべて弾き返していた。
暫くしてその訓練も終わりを迎える。
「ハンス。おまえの剣は良い。鍛錬せよ」
「……分かりました」
それだけ会話をすると、当主は自分の部屋へと戻っていく。それを見送って、私も戻ろうとすると、声がかけられた。
「カナン、大丈夫か?」
ハンスくんだ。彼は心配そうな顔で私のことを見つめてきていた。その顔に私はなんだか心が穏やかでなくなる。
「……平気だよ」
それだけ言って、部屋へと戻る。後ろで何か言っているような気がしたが、無視した。
部屋に戻ると、私はシャワーを浴びる。身体中が水で痛むのを我慢して、消毒。一応の手当が終わると、自分の部屋の外へと続く窓を開けた。そこには小さなプランターが置いてある。
唯一の楽しみであるそれに水をやろうとした所で、プランターの向こう側の茂みから視線を一つ感じた。
「よ」
ハンスくんだった。一体何をしているんだろう?
「……なにしてるの」
なんだか気分を引きずっていた私はそんなことを言う。するとハンスくんは苦笑してから、
「よっと」
と言って部屋の中へと入ってくる。それに驚いた私は思わず水差しを手放してしまい、落下を始めたそれを彼が地面にぶつかる前に拾った。さすがに靴は脱いでいた。
それを持って不思議そうな顔を作ると、彼はプランターに水をやり始める。それを見て私は慌てた。
「な、何やってるの!」
彼の手から水差しを奪い取る。首をかしげてきた彼に、私は苛立った声を向けた。
「そんなに乱暴にあげたら萎れちゃうでしょ」
そう言ってから、自分で水をやり始めた。そのとき、彼はへぇ、とつぶやいた。
「おまえ、楽しそうな顔できんじゃねぇか」
え、と彼の方を向いた私から目をそらす。そんな姿を見て、私もまた気恥ずかしくて視線を逸した。
彼はしばらく堂々と私の部屋に居座り続けてから、自室へと戻ったようだった。途端に寂しく感じられる自分の心の動きに呆れて笑ってしまう。
ただの義理なだけの兄なのに。
しかし、同年代で仲良くしてくれる存在をありがたく感じていることも確かだった。
私はそんなことを分析しながら、日課である部屋の整頓をしようと備え付けの小物入れに近づいた時だった。
携帯端末が着信を知らせた。
私はビクリと肩を震わせて、恐る恐るそれを取る。それは父の呼び出しだった。
◇◇
「遅い」
訓練着に着替えて早々、顔面を殴られる。
それを受けて、ろくに受身もできないまま道場の床を転がる。私の耳に息を飲むような音が聞こえてきた。道場の隅でこちらを見学していたハンスくんだった。
「と、当主、それはやり過ぎじゃ……」
「調子の悪い道具を叩いて直して何が悪い?」
ハンスくんの息が止まったような気がした。どうしたのだろうか。こんなことは日常茶飯事だというのに。
早く立つように父から言われたので、足を踏ん張ってなんとか立ち上がる。脳でも揺らされたのか、その姿はさぞかし生まれたばかりの子鹿のようだろう。
ばらばら、と目の前に散らかされる武器の数々。今日のラインナップは暗器だ。仕込み鎖分銅を手に取った。
それからいつものように訓練が始まる。攻撃を仕掛けては殴られ、叩かれる。
三発目で口の中は血の味でいっぱいになった。
五発目で平行感覚が狂って、立っていられなくなった。
しかし、膝を付くことは許されない。弱音を吐くことも、許されない。そして、いつものように止めとして父が大振りを振るった時だった。
私は予想していた衝撃が来ないことを不思議に思ったが、それもすぐに明らかになった。
ハンスくんが、父の攻撃を受け止めていた。
「……何のつもりだ?」
「それはこちらの台詞です」
彼は私が初めて聞くような声で父と、パルメル家当主と相対した。その声に怒りを感じた私は不思議に思った。
なんで怒っているんだろう。
そして、彼の方を見つめた時、それが分かった。彼は私を心配そうに見ていた。
……私のために、怒っているの?
そう、考えた時。
私は胸の奥から何かが溢れてきたと感じた。それはそのまま目から流れ、頬を濡らした。
「ハンス、そこを退け」
「お断りします。こいつは、俺の妹なので」
義理のはずの関係を大切そうに言う彼を見て、彼の境遇を予想してしまう。恐らくそれは間違っていない。
「それは戸籍上の話に過ぎん。それは、ただの出来損ないだ」
何度も言われ続けた言葉。慣れたはずの言葉に、何故か、今は傷ついた。
「人を……道具みたいに言うな……!」
「なんだ、その口の利き方は?」
ハッと嘲笑った現当主の言葉に反応するようにして、
「やめてっ!」
ハンスは弾かれるように襲いかかった。
一瞬驚いたような顔を見せるものの、足元の苦無を拾い、当主はハンスくんの刀を受け止めた。それにハンスくんは舌打ちを打つ。
「おまえが私に勝てるとでも思っているのか」
「……ああ。悪いが、思っている」
突然豹変したような言葉遣いに、一瞬誰か分からなくなる。しかし、声は相変わらず赤毛の少年から聞こえてきた。
「思い上がるなぁッ!」
当主が素早く苦無を振り上げ、素早くハンスの脇下から苦無の刃をくぐらせた。それはそのままハンスくんの肋に到達するかという所で、彼の姿がブレた。最小限の動きで避けたのだ。
彼は驚く当主の手首をそのまま握り、そして、砕いた。
「ぐあっ」
当主が苦悶の声を出す。実戦を積んでいない者は武器の重みが違う。ハンスくんはそのまま鋭い目を当主に向ける。
「思い上がっていたのはアンタの方だ」
ハンスくんはそれだけ言うと、力の抜けた当主の腕を離した。
◇◇
その後、私が当主に訓練されることはなくなった。片腕の扱えない当主は技術を伝えるだけに留まり、身のこなしなどはハンスくんに教わった。
そして、ハンスくんは次期当主になることが決まった。もともと、当主を倒したものが次期当主という継がせ方をしていたためだ。それを聞いてハンスくんはまずったなぁ、という顔をしていた。
当主は自分の行いに非を認めたらしく、私に謝罪をした。私はそれが普通の訓練だと思っていたため、特には気にしなかった。しかし、ハンスくんはそんなことはないようだ。当主と私が会うことがないように取計っている。それと……
「おい、カナン」
あの後、ハンスくんはぶっきらぼうな話し方になった。それが彼の素なのだというが、私にはどちらでも良かった。どちらでも彼が私に優しくしてくれたことには変わりな……。
「……」
「おい、返事しろ」
ハッと気がつくと、ハンスくんが目の前にいた。瞬時に私の顔が赤く染まる。
「……風邪か?」
場所は私の部屋。私がお気に入りの花たちを眺めているところに、彼は何かの用事で来たようだった。
「ど、どうしたんです?」
少しどもりながらもなんとか口に出すと、彼は眉をひそめる。
「……おまえ、丁寧語だったか?」
違いますね、はい。
でも仕方なかったのだ。私の中に、そう言わせてしまう気持ちがあるのだから。
まぁいい、と彼がぼそっとつぶやくと、私の隣に腰を下ろす。私は心臓が一拍速くなったのを感じた。
「そ、それで、用件は?」
「……いや、特には無い」
用事がないのに来た。それはなんでもないことのはずなのに、私の血液ポンプは故障したようだ。どんどん胸が苦しくなっていく。
「……綺麗だな」
「うぇっ!?」
失敗。ハンスくんが変なものでも見るような視線をこちらに向けた。私は慌てて弁明しようとするも、彼は気にしない方向にしたらしく、話を続けた。
「この花、綺麗だな」
「あ、はい、そうですね……」
心なしか落胆した声を漏らし、ハンスくんの視線をたどる。そこには薄紫色の紙細工のような花びらをした花があった。それは私の好きな花でもある。
「それは、ローダンセっていうんです」
「……そうか」
たったそれだけだったが、私はなんだか心を通わせたかのような高揚感を感じた。
「……おまえ」
「はい?」
「これからどうする?」
言われたことをよく考え、私は今一番の望みを言うことにした。
「ハンスくんに……もっと教わりたいです……」
「……外には出るか?」
外。つまりは屋敷から出るかということ。私はそれを見たことはなかった。
「……ハンスくんが、いてくれるなら」
「そうか」
軽い調子で言う彼の表情を見るかぎり、怖いからそばに居て欲しいという発言をしたように思われているようだ。私は訂正しようと口を開きかけたが、そのまま力なく閉じた。恥ずかしかったのだ。
しかし、その後の彼の表情で思考が止まる。
「仕方ねぇ。……これからは、俺についてこい」
その声はいつものぶっきらぼうなままなのに、
「……」
彼は口元を綻ばすような笑みを見せた。
私はそれを見て、これからよろしくお願いします、とお辞儀をしたのだった。
◇◆◇◆
自分を呼ぶ声に、私は目を覚ましました。
未だに重いまぶたをゆっくりと擦りつつ、目の前の人物を見上げると、そこにはハンスくんがいました。
「どうしたんです?」
「どうした、じゃねぇ。こんな所で寝るな」
いつものぶっきらぼうな声になんだかほっとしながら、私はうんっと背伸びをする。そのとき、すっと目の前に何かが差し出されました。
「?」
無言で差し出されたものを受け取って、焦点をそれに合わせます。そこには一輪の花。
「……その花で、合ってるか?」
目の前の義兄は恥ずかしそうにそんなことを言っていて。
渡されたローダンセの花に、私は未熟にも涙をこぼしそうに。
「……だめですよ。花を抜いてきたら」
笑顔で注意をしながらも、大事そうにその花を両手で包み込みます。そして、私は花壇の空いた場所にその花を植えました。
そのまま少し静かな時間を過ごした後、
「もう飯だ。さっさと来い」
それだけ言ってさっさと自分は戻ってしまいました。そんな彼らしい行動を見送りつつ、私はふふっと微笑んでしまいます。その視線を今植えたばかりの花に向けて。
「変わらぬ思い」
それがローダンセの花言葉です。
「……ハンスくん。私はあなたを、いつまでも傍で支えます」
彼と、そして自分に向かってそうつぶやくと、私は彼の後を追うように寮へと戻りました。
ハンスとカナンの設定を短編にしてみました。
なんだかまとめすぎた感がありますが……戦闘パートが馬鹿みたいに短いですが……読んでいただければな、と思います。




