昭和浪漫コンカフェのレナさんは、おもてなしもプロでした〜癒しの裏の顔は保安要員〜
金曜日の午後八時、秋葉原の街はネオンと濡れたアスファルトの照り返しで華やかに滲んでいた。
大手総合電機メーカーの課長、45歳の佐々木は、駅前の雑踏を逃れるように雑居ビルの中層階へと向かうエレベーターに乗った。行き先は最近、同世代の同僚やSNSの口コミで密かに話題になっているコンカフェ、『昭和浪漫ノスタルジー館』だ。
重厚な木製の扉を開けると、そこには平成すら飛び越えた、1980年代風の少し薄暗いスナック調の空間が広がっている。店内には松任谷由実や山下達郎のアナログレコードが心地よい音量で流れていた。
「佐々木さん、お帰りなさいませ。今週もお疲れ様でした」
出迎えてくれたのは、エンジ色のクラシックな着物風制服に身を包んだキャストの「レナ」だ。20代半ばと思われる彼女だが、落ち着いた声のトーンと柔らかい物腰で、過度なハイテンション接客とは無縁の心地よい距離感を保ってくれる。
近年、若者向けの王道メイドカフェとは一線を画す「40代〜50代サラリーマン特化型コンカフェ」がひそかなブームを呼んでいた。無理に萌えポーズをさせられることもなく、過剰なコールもない。あるのは「落ち着いた会話」「懐かしい空間」、そして何より「疲れ切った大人の承認欲求を優しく受け止める空気」だ。
「はい、いつもの角ハイボール。お仕事、一段落つきました?」
「ああ、なんとかね。今週はトラブル続きで参ったよ。後輩のフォローに追われて自分の仕事が進まなくてさ」
カウンター越しに差し出されたグラスを受け取り、佐々木は深々と息を吐き出した。会社では部下に弱音は見せられず、上司からは理不尽な数字を詰められる。家庭でも父親として威厳を保たねばならず、どこに行っても「頼られる側」だ。
しかし、この場所だけは違った。
「佐々木さんはいつも周りをよく見てらっしゃいますもんね。でも、ご自身のお体も甘やかしてくださいね」
レナはカウンターに肘をつき、ゆっくりと頷きながら話を聞いてくれる。若い世代のカルチャーに無理に合わせる必要もなく、80年代のアイドルや昔のガジェットの話題を振ると、「えっ、それってどういう仕組みなんですか?」と興味深そうに目を輝かせて尋ねてくる。その素直な反応が、すり減った佐々木の自尊心を静かに満たしていく。
「そういえばレナちゃん、この前の休日、教えてあげた古い映画観た?」
「観ましたよ!『バック・トゥ・ザ・フューチャー』!あの時代の車、デロリアンでしたっけ?すごくかっこよかったです」
「そうだろ?ガルウィングのドアが開くシーンなんてさ——」
仕事の肩書も家庭の役割も脱ぎ捨て、ただの趣味好きの男に戻れる至福の時間。
その平穏が、唐突に破られた。
「おいコラァ!! 店長出せや!! 酒に妙なもの混ぜただろ!! 金返せよコラ!!」
ガシャン、と入口のドアが激しい音を立てて開き、野太い怒号が店内に響き渡った。
店内を流れていた山下達郎の歌声が一気に霞む。見ると、酒に酔った様子の若い男二人が、入口付近のレジカウンターを激しく叩いていた。一人は興奮して目を血走らせ、もう一人はジャケットの内に手を突っ込むような不穏な仕草を見せながら店員を威圧している。
「おい、聞いてんのか! 責任者出せって言ってんだよ!」
「お客様、困ります、他のお客様のご迷惑に——」
応対した若い女性スタッフの声が恐怖で震えていた。男の一人が怒りに任せてレジ横のメニュー立てを薙ぎ払い、床に激しい音をたててプラスチックの破片が散らばる。
店内のサラリーマン客たちが一瞬で硬直した。佐々木もまた、心臓が跳ね上がるのを感じ、手に持っていたハイボールのグラスを握りしめたまま動けなくなる。
(な、なんだ……!? 警察……警察を呼ばないと……!)
冷や汗が背中を伝う。その時だった。
「……ッ!」
目の前にいたレナの雰囲気が、目に見える速度で変貌を遂げた。
それまでの柔らかく甘やかで、どこか可憐だった彼女の表情が完全に消え去った。代わりに現れたのは、凍りつくような冷徹さと、隙のない鋭い目つき。背筋がピンと伸び、重心が足裏の正中に素早く落ちる。
「佐々木さん、そのまま静かに。私の指示に従ってください」
低く、しかし驚くほど通り、芯のある声。それは接客用のトーンとは全く異なる、訓練された人間の発声だった。
レナは佐々木の腕を的確な力加減で掴むと、迷いのない足取りで彼を店内の最奥にある、耐震構造のしっかりした安全エリアへと引き込んだ。
「ユキ! ゲストの避難誘導を優先! オール・クリアまで奥で待機させて!」
「了解! 皆様、こちらへ! 壁を背にして姿勢を低くしてください!」
もう一人のキャスト・ユキが即座に反応し、他の動転する客たちを手際よく奥へと誘導していく。無駄な悲鳴ひとつ上がらせない、完璧な危機管理体制。
佐々木が息をのんで見守る中、レナは店内最奥の関係者以外立ち入り禁止エリアへと疾走した。そこには頑丈な鋼鉄製の大型ロッカーが鎮座しており、太い二重チェーンとダイヤル式の南京錠で厳重に施錠されていた。
レナは目線すら落とさず、指先の感覚だけでダイヤルを高速回転させる。
カチャ、カチャ、カチャン。
暗証番号が合致し、南京錠が外れる。素早い動作でチェーンを叩き外すと、ロッカーの観音扉を勢いよく開け放った。
中に収められていたのは、清掃用具でもイベント用のコスチュームでもなかった。
そこにあったのは、黒く光るポリカーボネート製の分厚いアクリル製防弾盾——しかも、CQB(近接戦闘)仕様の軽量強化型が二機。
「ユキ、右任せる!」
「了解!」
ユキが駆け寄り、ロッカーから二本目の防弾盾を抜き取る。レナは自身の一機を抱え上げると、前腕固定用のナイロンストラップに腕を通し、ベルクロを「バリッ!」と一瞬で圧着させた。
二人は顔を見合わせることもなく、完璧に同期した呼吸で前線へと舞い戻る。その足取りには迷いも恐怖も一切ない。まるで長年戦場を共にしてきたペアのように、阿吽の呼吸で互いの死角をカバーし合っている。
「な、なんだお前ら……!? なに持ってんだ!?」
怒鳴り散らしていた暴漢たちが、クリアなアクリル盾を構えて迫ってくる二人のコンカフェ嬢に気付き、思わず気圧されて半歩下がった。懐に手を突っ込んでいた男が、包丁らしき金属光沢のあるものを覗かせる。
「刃物確認! 距離を詰めます!」
レナの短い叫びが飛ぶ。
「フォーメーション・スタック! 押し出します、押せ!」
二人は防弾盾の端と端をミリ単位で重ね合わせ、隙間のない強固なアクリルとスチールの壁を作り上げた。重心を低く落とし、両足を力強く床に蹴りつける。
「舐めてんじゃねえぞ、女がッ!」
男の一人が刃物を突き出し、殺気立って飛びかかってきた。しかし——
ガツンッ!!!
衝撃音が店内に響き渡る。レナは相手の突進を盾の面全体で受け止めるどころか、相手が刃物を振り下ろす瞬間のタメを見逃さず、逆に一歩踏み込んでシールドブッシュ(盾打ち)を相手の胸元へ叩き込んだ。
「ぐはっ……!?」
衝撃で男の息が詰まり、刃物が手からこぼれ落ちて床に乾いた音を立てた。
「ユキ、左スウィープ! 軸を崩して外へ誘導!」
「了解!」
ユキが間髪入れずに左側から盾の角を使って二人の隙間に割り込み、暴漢二人の連携を分断。体重を効率よく乗せた前進圧力と、足を引かせない連動した押し出し。
「うわっ、重っ……なんなんだよコラ!」
「押せ! ステップ・フォーワード! 1、2、1、2!」
「イチ、ニ! イチ、ニ!」
掛け声とともに、完璧なステップで二人のコンカフェ嬢が前進する。暴漢二人は反撃の余地すら与えられず、ずるずると入口方向へと押し戻されていった。
ドスン! パタン! カチャリ!
わずか四十秒。二人の暴漢は店の外の踊り場へと一気に弾き出された。レナは間髪入れずに扉を力強く閉めると、重厚なデッドボルトを施錠した。
「ドア・ロック完了! セキュリティライン確保!」
扉の向こうで「開けろクソが!」と蹴る音が数回響いたが、頑丈な扉はびくともしない。
その間に、カウンター奥にいた店長が極めて落ち着いた手つきで固定電話の受話器を上げ、警察に通報を終えていた。
「はい、秋葉原〇丁目の居酒屋ビル4階です。威圧的な男二人が暴れておりましたが、現在はスタッフの手により完全に店外へ締め出しております。施錠済みです。至急警察官の手配をお願いします」
それからわずか五分後。警察官が到着し、男二人を確保したという連絡が入った。
現場の安全が完全に確認されると、店内に張り詰めていた緊張の糸がふっと切れた。店長が深く頭を下げた。
「皆様、本日は大変ご迷惑をおかけいたしました。すでに一件落着いたしました。店内は完全に安全でございますので、どうぞお席にお戻りになり、ごゆっくりとおくつろぎくださいませ」
客たちからは安堵の溜息とともに拍手が巻き起こった。佐々木も自分のカウンター席へと戻った。
そこへ、防弾盾を回収し終えたレナが歩み寄ってきた。
「佐々木さん、お怪我はありませんでしたか?」
そう問いかけてくる彼女の表情は、いつもの柔らかく可憐な「コンカフェ嬢」の顔に戻っていた。
佐々木は深々と息を吐き出し、尋ねた。
「ああ、俺は大丈夫だけど……それよりレナちゃんこそ、大丈夫? すごい手際だったけど……」
レナは一瞬だけ照れくさそうに微笑んだ。
「ふふ、驚かせてしまってすみません。うちの店、こういう万一の時のために、裏でスタッフ全員でしっかり訓練してますから」
「く、訓練って……あの動き、凄まじかったよ?」
「はい! お客様に心から安心してお酒と会話を楽しんでいただくためには、ハード面の安全が不可欠ですから。お客様をお守りするのも、私たちの『おもてなし』の大切な一部なんです」
そう言うと、レナは新しいハイボールを作り直し、佐々木に手渡した。
「はい、どうぞ。佐々木さん、まだ肩に力が入ってますよ。ほら、深呼吸して」
冷えたグラスを受け取り、一口あおる。身体がゆっくりと解けていく。
「……ありがとう、レナちゃん。なんだか、人生で一番心強いハイボールだよ」
「ふふ、良かったです! 今日は本当に大変でしたから……特別に『安全確保記念』の落書きチェキ、プレゼントしちゃいますね」
レナは無邪気な笑顔を見せながら、チェキ用ペンを取り出し、ペン先を走らせた。
そこには、可愛い文字でこう書かれていた。
『本日も防衛完了! 佐々木さんのお席は、私たちが永遠にお守りします♡』
秋葉原の夜の喧騒の中、小さなビルの4階にあるその店には、再び穏やかでどこか懐かしい、温かな時間が流れ始めていた。




