↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

「一緒にいても楽しくない」と振られた地味な陰キャの俺、隣に住む派手な美人に毎朝弁当を届けていたら「あんたのご飯がないと生きていけない」と溺愛されている件

作者: uta
掲載日:2026/05/02

第一章 「一緒にいても楽しくない」


「ごめん、陽太。一緒にいても楽しくない」


ファミレスのドリンクバーの前で、真帆はそう言った。


周囲の喧騒が遠くなる。


三年。


俺は三年間、この女のために生きてきたんだ。


記念日には手料理を振る舞った。

仕事で疲れたと言えば、終電で駆けつけた。

欲しいものがあれば、ボーナスを全部使った。


それでも、楽しくない?


「あのさ、前から思ってたんだけど」


真帆はスマホをいじりながら続ける。


その視線は俺を見ていない。


画面に映る誰かのインスタストーリーを追いながら、まるで天気の話でもするみたいに言葉を並べていく。


「陽太ってほんと地味だよね。デートも映画とかカフェとか、インスタ映えしないし。もっとこう……キラキラした人がいいの、私」


(キラキラ……?)


俺は何も言えなかった。


言い返す言葉がなかったんじゃない。

言い返す価値がないと、どこかで悟っていたんだ。


三年間、俺は何を見ていたんだろう。


いや、見ないようにしていたのかもしれない。


真帆が俺を見る目に、愛情なんてとっくになかったこと。


俺がどれだけ尽くしても、彼女の心には届いていなかったこと。


「じゃあね。タッパー、後で送って。あ、あのル・クルーゼのやつ、私が買ったんだから返さなくていいよ」


……いや、あれ俺が買ったんだけど。


誕生日プレゼントに何が欲しいって聞いたら「ル・クルーゼの鍋!」って言うから、必死でバイト代貯めて買ったやつ。


結局一度も使わなかったけど。


「私、料理しないしー」って笑ってた顔を、今でも覚えてる。


言えなかった。


何も、言えなかった。


真帆の背中が自動ドアの向こうに消えていく。


その瞬間、スマホが光った。


真帆のインスタのストーリー。


『運命の人に出会っちゃった♡ ハイスペ先輩とお付き合い始めました!』


添えられた写真には、高そうなレストランで撮ったツーショット。


男の顔は隠されていたけど、腕に巻かれた時計がやけに主張していた。


……三十秒前に俺を振った女の投稿がこれ。


笑えた。


笑うしかなかった。


「いや、俺なんて別に……最初からこんなもんか」


誰もいないファミレスの席で、俺は一人呟いた。


ドリンクバーのメロンソーダが、やけに緑色に光っていた。


*


帰りの電車は空いていた。


窓に映る自分の顔を見る。


黒縁眼鏡。

冴えない服装。

猫背気味の姿勢。


……確かに、地味だな。


キラキラなんて、程遠い。


(でも、だからって)


三年だぞ。


三年間、俺なりに頑張ったんだ。


真帆が好きだって言った手料理を、毎週作った。

真帆が疲れてるって言えば、仕事終わりでも会いに行った。

真帆が欲しいって言ったものは、できる限り買った。


それでも「楽しくない」って。


「キラキラしてない」って。


(……俺の三年間は、何だったんだ)


電車が揺れる。


窓の外を、夜景が流れていく。


スマホの通知音が鳴った。


真帆のインスタ、また更新。


『彼とのディナー最高♡ やっぱり大人の男は違う〜』


……見なきゃよかった。


そっとフォローを外した。


ブロックはしない。


そこまでする気力もなかった。


「次は〜、○○〜、○○〜」


アナウンスが聞こえる。


俺の降りる駅だ。


重い体を引きずるように立ち上がる。


改札を抜けて、コンビニで缶ビールを一本だけ買った。


本当はもっと飲みたかったけど、明日も仕事がある。


経理部の月末処理が山積みだ。


誰かがやらなきゃいけない仕事。


誰も褒めてくれない仕事。


でも、俺がやらなきゃ回らない仕事。


「……帰るか」


夜道を歩く。


街灯がぽつぽつと道を照らしている。


春の夜風が、少しだけ冷たかった。


*


マンションのエントランスに着いた時、ふと隣の部屋のことを思い出した。


302号室。


白石凛。


……明日の弁当、どうしよう。


習慣で二人分作っちゃうんだよな。


真帆と付き合い始めてから、ずっとそうだった。


彼女は俺の弁当を「映えない」って言って食べなくなったけど、作る習慣だけは抜けなくて。


で、余った分をどうしようかと思ってた時に、隣に引っ越してきたのが白石さんだった。


金髪。

派手なネイル。

露出度高めの私服。


マンションの住人からは「夜の仕事の人?」とか「男を何人も泣かせてきた魔性の女」とか言われてる。


正直、最初は俺も怖かった。


話しかける勇気なんてなかった。


でも、ある日——


ゴミ捨て場で会った時、白石さんが持っていたのはカップ麺の空容器ばかりで。


「あの、よかったらこれ……」


気づいたら、余った弁当を差し出していた。


白石さんは最初、すごく警戒した目で俺を見た。


「……何、これ」


「いや、作りすぎちゃって。迷惑じゃなければ」


「毒とか入ってないでしょうね」


「入ってないです」


「……」


白石さんは、しばらく俺と弁当を交互に見ていた。


そして——


「……もらっとく」


そう言って、弁当をひったくるように受け取った。


次の日、玄関の前に空のタッパーが置かれていた。


綺麗に洗われていて、小さなメモが添えられていた。


『美味しかった。ごちそうさま』


……それだけ。


でも、なんだか嬉しかった。


俺の料理を「美味しかった」って言ってくれる人がいる。


それだけで、救われた気がした。


それから毎朝、俺は白石さんの部屋の前に弁当を届けるようになった。


最初は玄関前に置いておくだけだったけど、いつからか白石さんが直接受け取ってくれるようになって。


「……別に、待ってたわけじゃないから」


毎回そう言いながら、弁当を受け取る白石さん。


耳が赤いのは、気のせいじゃないと思う。


(……明日も、届けよう)


真帆に振られた夜。


俺はなぜか、隣の部屋の住人のことを考えていた。



第二章 隣人の正体


振られた日から三日後。


俺は相変わらず弁当を作りすぎていた。


習慣って怖い。

二人分作る癖が抜けないんだ。


今日のメニューは鶏の照り焼きと、ほうれん草のおひたしと、卵焼き。


卵焼きは甘めに仕上げた。


白石さんが甘い卵焼きが好きだって、前にぼそっと言ってたから。


(……なんで覚えてんだろ、俺)


「まあ、いつも通りか」


玄関を出て、隣の302号室の前に立つ。


時刻は朝の七時半。


白石さんの出勤時間はだいたい八時過ぎだから、このくらいがちょうどいい。


ピンポン。


インターホンを押す。


少し待つ。


……いつもより長いな。


もう一度押そうとした時——


ガチャッ。


ドアが開いた。


「……何」


寝起きの白石さんがそこにいた。


金髪はぼさぼさ。

眼鏡をかけている。

よれよれのパジャマに、くまのプリント。


……くまのプリント?


あの「氷の女王」と噂される白石凛が、くまのパジャマ?


「お、おはようございます。あの、今日も作りすぎちゃって……」


俺が弁当を差し出すと、白石さんはそれをひったくるように受け取った。


「……別に」


「え?」


「別に、待ってたわけじゃないから」


待ってたのかよ。


っていうか、寝起きで玄関に来たってことは、インターホンの音で起きたんじゃなくて、起きて待ってたってことじゃないのか。


「あんたのご飯、まあ……嫌いじゃない、から」


目が合った瞬間、白石さんはさっと顔を背けた。


耳、赤くないか?


「じゃ、じゃあ仕事行くから! タッパーは後で返す!」


バタン。


ドアが閉まる。


「…………」


俺は自分の鼓動がやけにうるさいことに気づいた。


(いや待て待て待て)


(お前、振られたばっかだろ)


(何ときめいてんだよ)


階段を降りながら、俺は頭を振った。


白石さんは近所で有名な「魔性の女」だ。


男を何人も泣かせてきたって噂もある。


俺みたいな地味な陰キャなんて、眼中にないに決まってる。


……決まってる、はずだ。


でも、思い出してしまう。


タッパーを返しに来る時の、白石さんの笑顔。


普段の冷たい表情からは想像もできないような、柔らかい笑顔。


あれは——誰にも見せない顔だって、なぜか分かる。


「いや、俺なんて別に……」


口癖が出る。


自分で自分を否定する、この癖。


いつからこうなったんだろう。


*


会社に着いた。


経理部のデスクで、いつも通りの一日が始まる。


「藤崎さん、これお願いしてもいいですか?」


新人の山田が、困った顔で書類を持ってきた。


「発注ミスしちゃって……部長に怒られる前に直したいんですけど」


「ああ、見せて」


書類を受け取る。


……なるほど、桁が一つ違う。


「これ、今からなら修正間に合うよ。俺がやっとくから、山田は他の仕事進めて」


「え、いいんですか?」


「いいよ。こういうの、慣れてるから」


「ありがとうございます! 藤崎さん、ほんと助かります!」


山田がぺこぺこ頭を下げながら去っていく。


……まあ、大したことじゃない。


俺がやれば済む話だ。


昼休み。


経理部の佐藤さんが、デスクに突っ伏していた。


「佐藤さん、大丈夫ですか?」


「あ、藤崎くん……うん、ちょっと残業続きで」


目の下にクマができている。


月末の締め作業が重なって、ここ一週間ずっと残業していたはずだ。


「これ、よかったら」


俺はカバンから栄養ドリンクを取り出して、佐藤さんのデスクにそっと置いた。


「え、いいの?」


「余ってたんで。気にしないでください」


……嘘だ。


今朝、佐藤さんのために買ってきた。


「ありがとう、藤崎くん。ほんと優しいね」


「いや、俺なんて別に……」


「またそれ。藤崎くんはもっと自信持っていいと思うよ」


佐藤さんがふわっと笑う。


「そうですかね」


「そうだよ。うちの部署、藤崎くんがいなかったら回らないもん」


……そんなことない、と思う。


俺がいなくても、誰かがやる。


俺の代わりなんて、いくらでもいる。


「お疲れ様です」


俺は自分のデスクに戻った。


午後の仕事が待っている。


*


夜。


帰宅すると、玄関の前にタッパーが置かれていた。


綺麗に洗われた、朝渡した弁当箱。


今日はメモがなかった。


代わりに——


小さなチョコレートが一つ、添えられていた。


「……」


俺は、なぜかそのチョコレートをしばらく見つめていた。


コンビニで売ってるやつだ。


別に高いものじゃない。


でも——


(白石さんが、俺に?)


意味なんてないのかもしれない。


ただのお礼かもしれない。


でも、胸の奥がじんわりと温かくなった。


三年付き合った真帆からは、一度ももらったことがない。


お返しとか、感謝の言葉とか。


「ありがとう」すら、ほとんど聞いた記憶がない。


(……俺、何やってたんだろ)


三年間。


俺は、何を見ていたんだろう。


チョコレートを手に取る。


包み紙を開けて、口に入れた。


甘かった。


涙が出そうになったのは、疲れてたからだと思う。



第三章 お前が地味?冗談だろ


金曜日の夜。


同期の桐山に誘われて、駅前の居酒屋に来ていた。


「で? 最近どうなの、陽太」


桐山がビールを片手に聞いてくる。


「どうって……別に普通だよ」


「普通ねえ。彼女と別れたって聞いたけど」


「……誰から」


「経理の佐藤さん。『藤崎くん最近元気ないみたいで心配』だってさ」


佐藤さん、余計なこと言わないでくれ。


「まあ、振られた」


「理由は?」


「『一緒にいても楽しくない』『地味』『キラキラしてない』」


「は?」


桐山がビールを吹き出しそうになった。


「何それ。マジで言ったの、その女」


「マジで言った」


「頭おかしいだろ」


「……そうか?」


「そうだよ」


桐山が箸を振り回した。


「だーかーらー! お前が地味とか、マジで言ってんの?」


「いや、実際地味だろ。顔も普通だし、喋りも面白くないし」


「はあ? お前さあ」


桐山がビールをぐいっと飲み干す。


「先月、新人の山田がやらかした発注ミス、誰がこっそり修正したか知ってる?」


「……たまたま気づいただけだよ」


「経理の佐藤さんが残業続きで倒れそうだった時、誰が毎日栄養ドリンク置いてた?」


「あれは余ってたから」


「嘘つけ。俺、お前がコンビニで買ってんの見たからな」


「…………」


桐山が真剣な目で俺を見た。


「営業三課の田中が取引先とトラブった時、経理の立場からフォローしてくれたのも覚えてる」


「あれは仕事だから」


「仕事だとしても、お前じゃなきゃできなかった。田中も言ってたよ、『藤崎さんがいなかったらヤバかった』って」


「……大げさだろ」


「大げさじゃねえよ」


桐山が身を乗り出してきた。


「陽太。お前が地味? 冗談だろ。うちの部署のやつら、みんなお前に助けられてんの知ってる?」


「いや、俺なんて別に——」


「その口癖やめろ」


遮られた。


「お前の良さは、お前自身が一番分かってねえんだよ。あの元カノがクソなだけ。お前は何も悪くない」


喉の奥が熱くなった。


「……ありがとな」


「おう」


桐山が枝豆を口に放り込む。


「で? 隣の怖い美人とはどうなってんの?」


「は?」


「弁当作ってんだろ? 毎朝」


「な、なんで知って——」


「お前のインスタ、料理しか載せてねえけど、最近明らかに量多いじゃん。二人分」


「…………」


バレてた。


「しかも、前より手が込んでる。卵焼きとか、飾り切りまでしてんじゃん」


「それは……」


「誰かのためだろ、明らかに」


桐山がニヤニヤしている。


「白石さん……だっけ? 302号室の」


「なんで名前まで知ってんだよ」


「お前、前に酔った時に喋ってたぞ。『隣に住んでる人が金髪美人で怖い』って」


俺、そんなこと言ったか?


「で、最近は『白石さんが弁当美味しいって言ってくれた』とか『白石さんがチョコくれた』とか」


「…………」


酔うと喋りすぎる自分が恨めしい。


「あれ絶対お前のこと好きだろ」


「いやいやいや、あり得ないって。白石さんだぞ? 俺みたいな陰キャと——」


「だから、その陰キャって自己評価やめろって」


桐山がため息をついた。


「いいか陽太。お前は鈍感なんだよ。恋愛に関しては特に」


「……そうか?」


「そうだよ」


桐山がスマホを取り出した。


「ちょっとこれ見ろ」


画面を見せてくる。


そこには、見慣れないSNSアカウント。


アイコンは猫の写真。


アカウント名は『りんご』。


「……誰?」


「白石凛。本人は隠してるつもりだろうけど、俺、広告業界に知り合い多いからな。バレバレ」


桐山がスクロールする。


最新の投稿——


『今日もお隣さんのご飯が美味しすぎて泣きそう。レシピ聞きたいけど聞けない。なんで私こんなにチキンなの……』


「…………え?」


さらにスクロール。


『お隣さん、今日は卵焼き甘めだった。この前「甘い方が好き」って言ったの覚えててくれたのかな……いやそんなわけないか。でも嬉しい』


『朝、お隣さんと目が合った。心臓止まるかと思った。なんであの人あんなに優しい目してるの? 無理。好き』


「……は?」


「な?」


桐山が勝ち誇った顔をしている。


「あり得ないとか言ってたけど、これどう見ても——」


「待って。これほんとに白石さん?」


「間違いない。広告代理店で働いてる金髪の美人で、マンション住まいで、隣に料理上手な男が住んでる。他に誰がいるんだよ」


「…………」


頭がぐるぐるする。


白石さんが。


あの、氷の女王と呼ばれる白石さんが。


俺のことを「好き」って?


「いや、でも——」


「いいから行ってこい!」


桐山がテーブルを叩いた。


「お前さ、三年間クソ女に尽くして、何も返ってこなかっただろ」


「……まあ」


「今度は違う。お前のこと、ちゃんと見てくれる人がいるんだよ」


「……」


「お前の料理を『美味しい』って言ってくれて、お前の気遣いに気づいてくれて、お前のことを『好き』って思ってくれる人が」


桐山の言葉が、胸に響いた。


「何をびびってんだ。お前はもう、十分すぎるほど頑張ってきただろ」


「……」


「今度こそ、幸せになれよ。陽太」


俺は、返す言葉を見つけられなかった。


でも——


胸の奥で、何かが動き始めていた。



第四章 再会、そして——


日曜日の昼下がり。


俺はマンションに戻るところだった。


スーパーで食材を買い込んで、両手にエコバッグを提げている。


今日は何を作ろうか。


白石さん——凛さんは、肉じゃがが好きだって言ってたな。


この前のSNSの投稿に「お隣さんの肉じゃが世界一」って書いてあった。


……桐山に教えてもらってから、こっそりチェックしてしまっている。


ストーカーみたいで申し訳ないと思いつつも、やめられない。


彼女の本音が知れるのが、嬉しかったから。


エントランスに入ろうとした時——


「陽太!」


背後から、聞き覚えのある声がした。


振り返る。


真帆だった。


目の下にクマ。

化粧も乱れている。

髪も、前みたいにツヤツヤじゃない。


あの「キラキラ」はどこへ行った。


「真帆……? なんでここに」


「会いに来たの。話があって」


「……何の話?」


「上がっていい?」


俺は眉をひそめた。


「悪いけど、今忙しい」


「ちょっとだけ。お願い」


真帆が俺の腕を掴んでくる。


その顔は、三週間前に俺を振った時とは別人のようだった。


余裕がない。


焦っている。


「やっぱりあなたが一番だったって気づいたの」


「……は?」


「先輩とはうまくいかなくて。あの人、本命が別にいたみたい。私、ずっと二番目だったんだって」


知らねえよ。


っていうか、それ俺に言う話じゃないだろ。


「だから、私——」


「待って」


俺は真帆の手を振り払った。


「真帆。お前、俺を振ったよな」


「それは——」


「『一緒にいても楽しくない』『地味』『キラキラしてない』って言ったよな」


「あれは、私も混乱してて——」


「振った三十秒後にインスタで『運命の人に出会っちゃった』って投稿したよな」


「…………」


真帆が言葉に詰まる。


「それで、その相手に捨てられたから、俺のところに戻ってきたって?」


「違う! あなたの良さに気づいたの!」


「三年かけて分からなかったことが、三週間で分かるわけないだろ」


自分でも驚くほど、冷静な声が出た。


真帆の顔が歪む。


「でも陽太は違うでしょ? 私のこと、まだ好きでしょ?」


「…………」


不思議だった。


三週間前なら、この言葉に揺らいでいたかもしれない。


「お願い、陽太。私、あなたしかいないの」


真帆が腕を掴んでくる。


前はこうされると、断れなかった。


真帆が泣きそうな顔をすると、何でも許してしまっていた。


「俺は——」


その時だった。


「ちょっと」


冷たい声が響いた。


振り返ると、白石さん——凛が立っていた。


金髪をなびかせ、ヒールを鳴らして近づいてくる。


白いブラウスに黒いタイトスカート。


仕事帰りだろうか。


その姿は——氷の女王そのもの。


「誰、この女」


凛が真帆を睨む。


声が低い。


怒っている。


「は? あなたこそ誰よ。陽太の何?」


「お隣さん」


「お隣さん? はあ? じゃあ関係ないじゃん。ちょっと引っ込んでてくれる?」


真帆が俺の腕を引く。


その瞬間——


凛が俺のもう片方の腕を掴んだ。


「関係ある」


「は?」


「この人のご飯、毎日食べてるから」


真帆の目が点になった。


「……は? ご飯? 何言ってんの?」


「あんたと違って、この人の良さ、全部知ってるから」


凛の声が、少し震えている。


「意味分かんないんだけど。ご飯って何? あんた、陽太と何してんの?」


「あんたが三年かけても分からなかったこと、私は三ヶ月で分かった」


凛が一歩、前に出た。


真帆を正面から見据える。


「この人は地味なんかじゃない」


「は?」


「誰も見てないところで誰かを助けてる。自分のことより人のこと。そういう人なの」


凛の目に、涙が浮かんでいた。


「私が残業続きで死にそうな時、毎朝お弁当届けてくれた。『食べないと体壊しますよ』って」


「……」


「私がカップ麺ばっかり食べてた時、『栄養偏ってますよ』って野菜たっぷりの弁当作ってくれた」


「……」


「私が風邪引いた時、おかゆ作って持ってきてくれた。『大丈夫ですか』って、本気で心配してくれた」


凛の声が大きくなる。


「キラキラ? インスタ映え? そんなの中身空っぽの人間の言い訳でしょ」


真帆の顔が歪む。


「あんた何様よ!」


「藤崎陽太の隣人で、藤崎陽太のご飯を食べてて、藤崎陽太のことが——」


凛が言葉を詰まらせた。


耳が真っ赤になっている。


「……好き、だから」


世界が止まった。


「……え?」


真帆も俺も、同時に声を漏らした。


凛は真っ赤な顔で、でも逃げずに俺を見ていた。


「好きなの。あんたのこと。ずっと」


「り、凛さん——」


「だから、こんな女に渡したくない」


凛が俺の腕をぎゅっと抱きしめた。


「私の方が、この人のこと分かってる。私の方が、この人を大事にできる」


「ちょ、ちょっと——」


真帆が俺の腕を引っ張る。


「陽太、何なのこの女! あんたまさか、こんな派手な女に——」


「うるさい」


俺は、自分でも驚くほど強い声で言った。


「黙れよ、真帆」


「え——」


「お前に凛のことを悪く言う資格はない」


俺は真帆の手を振り払った。


「この人は派手に見えるかもしれないけど、本当は誰よりも真面目で、誰よりも一生懸命で、誰よりも優しい」


凛が目を見開いた。


「お前が三年かけて見ようともしなかった俺の価値を、この人は三ヶ月で見つけてくれた」


「陽太——」


「もう終わりだ、真帆。お前とは」


真帆の顔が、醜く歪んだ。


「……後悔するわよ」


「しない」


「絶対後悔する。こんな女より、私の方が——」


「帰れ」


俺の声は、自分でも驚くほど冷たかった。


真帆は何か言いかけて——でも何も言えずに、背を向けた。


逃げるように去っていく後ろ姿。


最後に見えた彼女の顔は、歪んだ嫉妬と後悔で醜く歪んでいた。


……もう、どうでもいい。


今、俺の腕を抱きしめているこの人の方が、ずっと大切だ。


「凛」


俺は彼女の名前を呼んだ。


「……言っちゃった」


凛は真っ赤な顔で俯いていた。


「言っちゃった。最悪。なんで私、あんな——」


「凛」


「もう無理。恥ずかしい。穴があったら入りたい——」


「凛」


俺は両手で彼女の頬を包んだ。


顔を上げさせる。


涙で濡れた目が、俺を見ていた。


「ありがとう」


「……え?」


「守ってくれて。俺の味方になってくれて」


「別に、守ったとかじゃ——」


「嬉しかった」


凛の目から、涙がこぼれた。


「……ばか」


「俺も」


俺は——言わなければいけないことがある。


三年間、言えなかったこと。


言う勇気がなかったこと。


でも今は、言える気がした。


「俺も、好きだよ。凛のこと」


凛の動きが止まった。


「……え?」


「お前のご飯を作るのが、毎朝の楽しみだった」


「……」


「タッパー返しに来る時の、お前の笑顔が見たかった」


「……」


「お前が『嫌いじゃない』って言うたびに、心臓がうるさかった」


「……っ」


凛の耳が、真っ赤に染まっていく。


「だから——俺と付き合ってくれないか」


沈黙。


長い沈黙。


凛は何も言わなかった。


ただ——


俺のシャツをぎゅっと掴んで、顔を胸に埋めた。


「……ばか」


「それ、返事になってないんだけど」


「うるさい。分かってるくせに」


「分かんない。ちゃんと聞きたい」


凛がゆっくりと顔を上げた。


泣きながら、笑っていた。


「好き」


「……」


「大好き。あんたのこと、ずっと——」


最後まで聞く前に。


俺は凛を抱きしめていた。


「俺も」


腕の中の凛が小さく震えている。


泣いているのか、笑っているのか、分からない。


多分、両方だ。


俺もきっと、同じ顔をしている。


「……ねえ」


「ん?」


「レシピ、教えて」


「何の?」


「全部。あんたの料理、全部作れるようになりたい」


凛が俺を見上げた。


「二人で、食べたいから」


俺は笑った。


「おう。いくらでも教える」


三年付き合っても分からなかった幸せが、隣にあった。


ずっと、すぐ隣に——



第五章 「嫌いじゃない」の本当の意味


付き合い始めて、一週間が経った。


俺の日常は、少しだけ変わった。


朝起きて、弁当を作る。


二人分。


前と同じだけど、意味が違う。


「作りすぎた」じゃなくて、「二人分作りたい」になった。


玄関を出て、隣の302号室のインターホンを押す。


ピンポン。


三秒後——


ガチャッ。


「おはよ」


凛が出てきた。


今日はちゃんと化粧をしている。


金髪が朝日に輝いていた。


「おはよう。はい、これ」


弁当を渡す。


凛がそれを受け取る。


「……今日は何?」


「鮭の塩焼きと、ひじきの煮物と、だし巻き卵」


「和食だ」


「昨日、和食が食べたいって言ってたから」


凛の耳が、じわっと赤くなった。


「……覚えてたの」


「当たり前だろ」


「…………」


凛が俯く。


しばらく黙っていた。


「……嫌いじゃない」


「ん?」


「あんたのそういうとこ、嫌いじゃない」


俺は笑った。


「それ、『好き』って言えよ」


「うるさい」


凛がぽかっと俺の肩を叩いた。


「じゃあ、行ってくる」


「おう。気をつけて」


「……あんたもね」


凛が背を向ける。


その耳は、まだ赤かった。


*


昼休み。


会社の食堂で弁当を開けていると、桐山がニヤニヤしながら近づいてきた。


「よう、リア充」


「うるせえ」


「最近、顔つき変わったって言われてるぞ、お前」


「……そうか?」


「ああ。経理の佐藤さんが『藤崎くん、最近明るくなりましたね』って」


「……」


「新人の山田は『藤崎さんが笑ってるの初めて見ました』だとさ」


俺、そんなに笑ってなかったのか。


「まあ、いいことだろ」


桐山が向かいの席に座った。


「で、どうなの? 白石さんとは」


「……普通だよ」


「普通って何だよ。毎朝弁当渡すだけか?」


「……今度、うちでご飯食べることになった」


「おお!」


桐山が手を叩いた。


「進展してんじゃん!」


「進展って言うほどじゃ——」


「彼女が家に来るんだぞ? 十分だろ」


「……まあ」


「何作るの?」


「凛が肉じゃがが好きだって言ってたから、肉じゃが。あと、味噌汁と——」


「待って」


桐山が俺を遮った。


「今、『凛』って言った?」


「……言った」


「呼び捨て?」


「……呼び捨て」


「お前ら、もうそういう関係なの?」


「いや、凛が——」


俺は口ごもった。


あの日、告白した後。


『凛って呼んで。お願い』


そう言われたんだ。


泣きながら、笑いながら。


『さん要らない』って。


「……呼んでって言われたから」


「お前——」


桐山が感慨深そうな顔をした。


「幸せになれよ、マジで」


「……おう」


俺は弁当を食べながら、夜のことを考えていた。


何を作ろう。


凛の好きなものを、いっぱい作ろう。


*


土曜日の夕方。


俺は自分の部屋で、料理の準備をしていた。


肉じゃがは仕込み済み。


味噌汁の出汁も取った。


後は凛が来たら、仕上げるだけだ。


ピンポン。


インターホンが鳴った。


「……早いな」


約束の時間より、三十分早い。


玄関を開ける。


凛が立っていた。


金髪を下ろして、薄化粧。


白いニットに、デニムのスカート。


いつもの派手な格好じゃなくて、どこか大人しい感じ。


「……いらっしゃい」


「お邪魔します」


凛がそろそろと部屋に入ってくる。


キョロキョロと見回している。


「……綺麗」


「え?」


「部屋。綺麗にしてるね」


「まあ、客が来るから——」


「私のために?」


「……当たり前だろ」


凛の耳が、また赤くなった。


「……座って。もうすぐできるから」


「手伝う」


「え?」


「手伝いたい。教えて」


凛が俺の隣に立った。


距離が近い。


シャンプーの香りがする。


「じ、じゃあ……味噌汁の仕上げ、やってみる?」


「うん」


俺は凛に、味噌の溶き方を教えた。


「こうやって、少しずつ——」


「こう?」


「そうそう、上手い」


凛が嬉しそうに笑った。


「……会社のやつに言ったら、みんなびっくりしてた」


「何を?」


「私が料理してるって。『氷の女王が?』って」


「氷の女王ねえ」


俺は凛の頭をぽんぽんと撫でた。


「どこが」


「……あんたの前だけ、溶けるの」


反則だろ、その台詞。


耳が熱い。


凛が俺の顔を覗き込んでくる。


「あ、耳赤い」


「うるさい」


「かわいい」


「お前がな」


凛がぽかっと俺の肩を叩いた。


「ばか」


「どうも」


俺たちは笑いながら、料理を続けた。


*


食卓に、料理が並んだ。


肉じゃが。

味噌汁。

ほうれん草のおひたし。

だし巻き卵。

ご飯。


「いただきます」


凛が手を合わせた。


俺も同じようにする。


「いただきます」


凛が肉じゃがを口に運んだ。


もぐもぐと咀嚼する。


「……どう?」


「…………」


凛が黙っている。


不安になった。


「口に合わなかった?」


「……違う」


凛が目を伏せた。


「美味しすぎて、泣きそう」


「え——」


見ると、凛の目に涙が浮かんでいた。


「私、ずっとカップ麺ばっかりだったの」


「……」


「仕事が忙しくて、料理する時間なんてなくて。コンビニ弁当か、カップ麺か、外食か」


「……」


「でも、あんたの弁当が来るようになってから——」


凛が俺を見た。


「毎朝、起きるのが楽しみになったの」


「……」


「今日は何かなって。あんたがどんなもの作ってくれたのかなって」


俺の胸が、きゅっと締め付けられた。


「だから——」


凛が涙を拭った。


「ありがとう。あんたに出会えて、よかった」


俺は立ち上がった。


テーブルを回り込んで、凛の前に膝をついた。


「凛」


「え、ちょ、何——」


「俺の方こそ、ありがとう」


凛の手を取った。


「お前に出会えて、よかった。お前が隣にいてくれて、よかった」


「……っ」


「三年間、俺は自分の価値が分からなかった。誰かのために頑張っても、報われないと思ってた」


「……」


「でも、お前が教えてくれた。俺の料理を『美味しい』って言ってくれた。俺のことを『好き』って言ってくれた」


凛の目から、また涙がこぼれた。


「だから——これからも、お前のために料理を作らせてくれ」


「……」


「毎日。ずっと。お前が飽きるまで」


「飽きない」


凛が即答した。


「絶対飽きない。死ぬまで飽きない」


「じゃあ、死ぬまで作る」


凛が笑った。


泣きながら、笑った。


「……それ、プロポーズみたい」


「かもな」


「早すぎ。付き合って一週間だよ」


「じゃあ、もうちょっと経ったら、ちゃんと言う」


「……待ってる」


凛が俺の首に腕を回した。


額と額がくっつく。


近い。


近すぎる。


「……好き」


凛が呟いた。


「俺も」


「……キスして」


俺の心臓が跳ねた。


「……いいの?」


「いいから。早く」


俺は——


凛の唇に、そっと自分の唇を重ねた。


柔らかかった。


温かかった。


「…………」


離れると、凛の顔は真っ赤だった。


「……下手」


「初めてなんだよ」


「嘘」


「嘘じゃない。三年付き合ってても、そういうことほとんど——」


「……あの女、マジでクソ」


凛が俺を抱きしめた。


「私が全部上書きする。あんたの『初めて』、全部私のものにする」


「……おう」


俺も凛を抱きしめ返した。


窓から夕日が差し込んでいる。


腕の中の人の髪が、金色に輝いていた。


*


その夜。


凛は俺の部屋に泊まった。


何もしなかった。


ただ、同じベッドで、手を繋いで眠った。


「……ねえ」


「ん?」


「明日の朝ごはん、何作ってくれるの?」


「何が食べたい?」


「……パンケーキ」


「了解」


「ふわふわのやつ」


「任せろ」


「メープルシロップいっぱい」


「分かった」


「……嫌いじゃない」


「ん?」


「あんたの『分かった』、嫌いじゃない」


俺は笑った。


「それ、『好き』って——」


「言わない」


「え?」


「さっき言ったから、今日の分は終わり」


「ケチだな」


「うるさい」


凛が俺の胸に顔を埋めた。


「……明日も言う」


「ん?」


「明日も、明後日も、毎日言う。だから——」


「だから?」


「……ずっと隣にいて」


俺は凛を抱きしめた。


「いる。ずっといる」


「約束」


「約束」


月明かりが、窓から差し込んでいた。


静かな夜だった。


俺は——幸せだった。



エピローグ それから


付き合い始めて、三ヶ月が経った。


俺たちの日常は、少しだけ変わった。


朝——


「ただいま」


仕事から帰ると、凛が玄関にいた。


「遅い」


「ごめん、残業で——って、なんでお前がうちにいるんだ」


「合鍵、あんたがくれたんでしょ」


「いや、そうだけど。まさか使うと思わなくて」


「……使っちゃ悪い?」


凛が上目遣いで見てくる。


反則だ。


「悪くない。全然悪くない。むしろ嬉しい」


「っ……そういうこと関節技みたいにさらっと言うのやめて」


「関節技?」


「心臓に極まるの。毎回」


「……ごめん」


「謝んないで。……褒めてるから」


難易度高いな、この会話。


「で、何してたの?」


「……ごはん、作っといた」


「え?」


「この前教えてもらった肉じゃが。あと、味噌汁と……卵焼き、焦げたけど」


凛が目を逸らした。


耳が赤い。


「凛が俺のために料理……?」


「っ、違う! あんたのためじゃないし! 私が食べたかっただけで……っていうか顔近い!」


「いや、俺なんて別に……こんなことしてもらえる価値——」


「その口癖」


「……禁止、だったな」


「分かってるじゃん」


凛がふんっと鼻を鳴らした。


「ありがとう、凛。すごく嬉しい」


「……っ。別に。嫌いじゃないから作っただけ」


「それ、『好き』って言えよ」


「あんたが先に言ったら考える」


「好きだよ」


「は——ちょ、今ここで言う!?」


「言えって言ったのお前だろ」


「だからって即答……っ、ばか……耳見ないで」


「真っ赤」


「あんたもでしょ!」


「……まあ、そうだな」


俺たちは顔を見合わせて、笑った。


「……好き」


凛が小さく呟いた。


「ん?」


「聞こえたくせに……もう一回は言わないから」


「聞こえた。ちゃんと聞こえたよ」


凛が俺のシャツを掴んだ。


「……ごはん、冷める。早く食べて」


「おう。いただきます」


リビングに移動して、食卓についた。


肉じゃがが湯気を立てている。


一口食べた。


「……どう?」


凛が不安そうに聞いてくる。


「美味い。すごく美味い」


「……ほんとに? 焦げてるとこ、誤魔化してない?」


「焦げてるとこも美味い。凛が作ってくれたから」


「っ……もう関節技やめてって言ってるのに」


「これ毎日食べたい」


「……毎日は無理。仕事あるし」


「じゃあ休みの日だけでも」


「……考えとく」


「それ、OKってことだろ」


「……嫌いじゃないだけ」


俺は笑った。


「知ってる。それが凛の『大好き』だって、もう分かってるから」


「——っ、ばかッ!」


凛がぽかぽかと俺の肩を叩いた。


でも、その顔は——笑っていた。


*


あれから、俺の人生は変わった。


朝起きて、凛のために弁当を作る。


夜帰ると、凛が待っている。


休みの日は、二人で料理を作る。


「ねえ、陽太」


「ん?」


「来月、うちの親に会ってくれない?」


「……え?」


「その……紹介したいの。大事な人だって」


凛が俯いている。


耳が真っ赤だ。


「……いいの?」


「いいから言ってるの。……嫌?」


「嫌じゃない。全然嫌じゃない」


俺は凛の手を取った。


「俺も、お前をうちの親に紹介したい」


「……っ」


「この人と結婚したいんだって」


凛の動きが止まった。


「……え?」


「プロポーズ、もうちょっと経ってからって言ってたけど——」


俺は凛の目を見た。


「待てなかった」


「……」


「凛。俺と結婚してくれないか」


沈黙。


長い沈黙。


凛の目から、涙がこぼれた。


「……ばか」


「返事は?」


「決まってるでしょ」


凛が俺に抱きついた。


「嫌いじゃないって言ったでしょ。ずっと」


「それ、『好き』って——」


「好き。大好き。あんたのこと、世界で一番——」


凛の声が震えている。


「だから、結婚しよう。ずっと一緒にいよう」


俺は凛を抱きしめた。


強く、強く。


「ありがとう」


「……こっちこそ」


窓の外で、夕日が沈んでいく。


金色の光が、部屋を包んでいた。


——俺は、地味で、陰キャで、普通の男だけど。


この幸せだけは、誰にも譲らない。


「ねえ、陽太」


「ん?」


「明日の弁当、何がいい?」


「……お前が作るのか?」


「うん。練習したの、いっぱい」


「じゃあ——お前が作るなら、何でも」


凛がふわっと笑った。


「嫌いじゃないから」


「それ、『好き』って——」


「……好き」


今度は、ちゃんと言ってくれた。


「俺も」


キッチンに、二人分の笑い声が響いた。


——これは、地味な陰キャと氷の女王の、ちょっとだけ特別な恋の話。


おしまい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。