表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
時計屋ヴィクターの“修理”報告書 ~ミスト・ヘイヴンの時計師~  作者: ニート主夫


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/38

第33話 死の秒針と白い葬列 ~女王蜘蛛の回廊~

 深夜2時。

 都市の機能が眠りにつき、霧だけが起きている時間。

 ヴィクターとセレナは、旧地下鉄の封鎖されたメンテナンスゲートを突破し、地図にない深淵へと降り立った。


 そこは、死への匂いがした。

 錆びついたレール、腐った枕木、そして(よど)んだ下水と、古い空気が混じり合った独特の悪臭。

 だが、その不快な臭気の底に、不釣り合いなほど甘美な芳香が漂っていることを、二人の鋭敏な感覚は捉えていた。


「……空気が重い。それに、少し“粘り気”があるわ」


 セレナが鼻をひくつかせ、呟いた。

 彼女は白杖をつきながら、線路の上を歩いている。地下特有の反響音が、この空間が巨大な空洞――未完成のまま放棄された地下都市区画であることを教えていた。


「同感だ。……湿度が異常に高い。通常の地下水によるものではないな」


 ヴィクターは、タキシードの上に重装備の革コートを羽織り、顔にはガスマスクのような形状の“呼吸濾過器(レスピレーター)”を装着していた。

 彼の懐中時計には、ガイガーカウンターならぬ“毒素検知針”が組み込まれている。その針が、危険領域であることを告げる赤色を示して小刻みに震えていた。


(……この湿気。ただの水蒸気ではない。微細な胞子(スポア)を含んでいる)


 彼が携帯用のランタンを掲げると、闇の奥に異様な光景が浮かび上がった。

 トンネルの壁面、天井、そしてレールの上にまで、雪のような白い綿毛がびっしりと繁殖していたのだ。

 カビだ。

 だが、自然界のものとは思えない速度で増殖し、コンクリートすら侵食する純白の真菌。


「“葬儀屋”のガーデニングの趣味は最悪だな。……これは地下水道を塞ぐための生体バリケードだ」


 ヴィクターは手袋越しに壁のカビを拭い取ろうとしたが、指先が触れる直前に止めた。

 カビの中心部が、まるで呼吸をするように脈動したからだ。


「触れるな、セレナ。……こいつは生きている。物理的刺激を与えると、高濃度の神経毒を含んだ胞子を一斉に噴霧する仕掛けだ」


「地雷の代わりにお花畑、というわけね」


 セレナは皮肉っぽく笑ったが、その表情は硬い。

 音で反応する爆弾なら彼女の専門分野だが、音もなく漂う胞子は、彼女の“耳”では防げないからだ。


「どうするの? 燃やす?」


「いいや。火を使えば上昇気流が発生し、胞子を奥へ運んでしまう。……消毒が必要だ」


 ヴィクターは、背負っていた鞄から、銀色の円筒形タンクを取り出した。

 彼が自作した、対化学兵器用噴霧器“清浄なる風”。

 バルブを捻ると、シューッという静かな音と共に、透明なミストが噴き出した。


 それは強力な殺菌剤と、瞬時に硬化する凝固剤の混合液だった。

 ミストがかかった端から、脈動していた白いカビが茶色く枯れ果て、パリパリと乾燥して崩れ落ちていく。


「道を作る。……私の足跡の上以外は踏むな」


 ヴィクターが先陣を切る。

 シューッ、シューッ。

 リズムよく消毒液を撒き散らし、腐敗した有機物を無機質な塵へと変えていく。

 その背中を追うセレナは、ヴィクターの革靴が鳴らす正確な足音だけを頼りに、死の庭園を進んでいった。


 白カビのトンネルを抜けると、巨大な広場に出た。

 かつて地下鉄のターミナル駅になる予定だった空間だ。

 高い天井からは無数のパイプが垂れ下がり、そこから白濁した液体がポタポタと滴り落ちている。


 その広場の中央に、数人の人影があった。

 彼らは作業服を着て、手にはアサルトライフルを持っていたが、ピクリとも動かない。

 彫像のように直立不動で、侵入者が来る方向を凝視している。


「……警備兵?」


 セレナが身構え、懐の拳銃に手をかける。

 だが、すぐに違和感に気づいた。


「変ね。……心音が、遅すぎるわ」


 ドクン…………ドクン…………。

 通常の人間ならあり得ない、1分間に20回程度の極低心拍。

 呼吸音も聞こえない。


「生きているが、死んでいる。……そういう状態だ」


 ヴィクターがランタンを向ける。

 光の中に浮かび上がったのは、(ロウ)のように白く固まった皮膚を持ち、焦点の合わない目で虚空を見つめる兵士たちの姿だった。

 彼らの口元からは、幸せそうな(よだれ)が垂れている。


 “幸福な死人(ハッピー・デッド)”。

 葬儀屋が調合した特殊な麻薬と防腐剤によって、自我と痛覚を奪われ、命令に従うだけの肉人形に変えられた、組織の末端構成員たちだ。


「なんてことを……」


 セレナが絶句する。

 それは殺戮よりも残酷な、人間性の冒涜だった。


「キキキ……」


 不意に、先頭の兵士の喉奥から、虫が羽を擦り合わせるような音が漏れた。

 それを合図に、兵士たちの目が一斉にギョロリと動き、二人を捉えた。


「侵入シャ……排除……排除……」


 壊れたレコードのような声を上げ、彼らが銃を構える。

 統率はない。だが、痛みを恐れない彼らは、弾丸を受けても止まらない厄介なゾンビだ。


「伏せろ!」


 ヴィクターが叫び、セレナを瓦礫の陰に引き倒す。

 ダダダダダッ!

 乾いた銃声が響き、コンクリート片が飛び散る。


「厄介だ。痛みを感じない相手には、私の“物理攻撃”の効果が薄い」


 ヴィクターは遮蔽物の裏で、腕時計のワイヤーを点検しながら舌打ちした。

 関節を外しても、骨を折っても、彼らは這いずってでも殺しに来るだろう。

 完全に機能を停止させるには、脳幹を破壊するか、あるいは……。


 セレナが不意に言った。

「……熱があるわ」


「え?」


「あの兵士たち、体温が異常に高い。薬物の過剰投与で、代謝が暴走しているのよ

 彼女はサングラスの奥の瞳で、見えない熱源を睨んだ。


「ヴィクター。さっきのカビを枯らしたあのスプレー、まだ残ってる?」


「ああ。成分は凝固剤だが……」


「それを彼らに浴びせて。熱に反応して固まるなら、一瞬で彫像にできるはずよ」


「……なるほど。即席の剥製(はくせい)作りというわけか」

 ヴィクターは口元を緩めた。


 その悪趣味だが合理的な発想は、まさに彼のパートナーに相応しい。


「私が引きつける。君はその隙に、あの配管の上から薬剤を散布しろ」


「了解」


 二人は同時に動いた。

 ヴィクターが飛び出し、ワイヤーで手近な鉄骨を引き倒して大きな音を立てる。

 ゾンビ兵士たちの注意がそちらへ向く。


「コチラだ、出来損ないのドールたちよ!」


 銃撃がヴィクターの足元を薙ぐ。

 その頭上、暗闇の中をセレナが走る。

 手すりのないキャットウォーク。だが見えない彼女にとっては、音の反響がある限り、そこは平坦な道と同じだ。


「眠りなさい!」


 セレナは兵士たちの真上でタンクのバルブを全開にした。

 プシュァァァッ!

 白霧のシャワーが降り注ぐ。

 高熱を発する兵士の皮膚に触れた瞬間、薬剤は化学反応を起こし、カチコチの樹脂へと硬化した。


「ガ、ア……!?」


 銃を構えた姿勢のまま、兵士たちが固まっていく。

 関節がロックされ、指がトリガーから離れなくなる。

 数秒後。

 そこには、数体の醜悪な現代アートのような像だけが残された。


 兵士たちを無力化し、さらに奥へと進む。

 空気の流れが変わった。

 湿気が引き、代わりに機械油の匂いと、低い電子音が響き始める。


「……ここから先が、“ネオ・バベル”の中枢ね」


 二人は、分厚い隔壁の前に立った。

 その扉には、毒々しい蜘蛛の紋章が描かれている。

 ミスト・ヘイヴンの地下に秘密裏に建設された、巨大な通信・生産プラント。


 ヴィクターは、隔壁の横にある電子ロックのパネルを見た。

 最新鋭の静脈認証と音声認識システム。

 ピッキングツールで物理的に開けられるような代物ではない。


「……デジタルの壁か。私の管轄外だな」


「任せて」


 セレナが前に出た。

 彼女は懐から、小型のジャックを取り出し、パネルのメンテナンスポートに差し込んだ。

 そして、イヤホンを耳に当てる。


「これは警察の鑑識からくすねてきた、コード解析用の聴診器(ライン・モニター)。……中の電子音が聞こえるわ」


 彼女は目を閉じ、ノイズの海へ潜った。

 普通の人間にはただの雑音にしか聞こえない電子パルスの羅列。

 だが、彼女の耳には、それが“旋律(メロディ)”として聞こえていた。

 0と1のリズム。電流の強弱。


「……ソ、ミ、ファ……違う。もっと鋭い波形」


 彼女はパネルのテンキーを、音に合わせて叩いた。

 視覚情報としてのパスワードを見ているのではない。システムが「正解」の信号を待っている“音の間隔”を聞き分けて、そこに指を合わせているのだ。


 ピ、ピ、ピ、ターンッ!


 カション。

 緑色のランプが点灯し、重厚な隔壁が空気圧を吐き出して開いた。


「……相変わらず、いい仕事()だ」

 ヴィクターが感嘆する。


 開かれた扉の向こうには、広大な地下工場が広がっていた。

 林立するサーバータワー。自動で銃器を組み立てるロボットアームの列。

 そして、その最奥にある司令室には――白いスーツを着て、白い雨傘を持った男が、優雅に二人を待ち構えていた。


「ようこそ」


 “葬儀屋(アンダーテイカー)”が、ガラス越しに二人を見下ろして微笑んだ。

 その手には、巨大な“香炉”のようなものが握られている。


「私の庭へようこそ。……さあ、サイズの測定を始めようか。君たちの棺桶のね」


 香炉から、紫色の煙が立ち上る。

 これまでのカビやゾンビとは比較にならない、最悪の猛毒が解き放たれようとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ