第18話 杜撰な模倣犯 ~煤けた正午と三流の工作員~
正午まで、あと15分。
ミスト・ヘイヴン中央駅。
石造りの巨大なドーム屋根を持つその駅舎は、産業革命時代の亡霊のように煤け、重厚な威圧感を放っていた。
普段なら蒸気機関車の煙と乗客の熱気で溢れかえるコンコースだが、今は張り詰めた沈黙と、それを破る警官隊の靴音だけに支配されていた。
駅前広場。
配られたばかりの「号外」が風に舞っている。
紙面には『時計師、中央駅を爆破予告』の文字。
ラジオからは、興奮したアナウンサーの声がノイズ混じりに流れていた。
『――犯人は“正午の時報”と共に花火を上げると予告しており……現在、駅周辺は完全封鎖されています』
その混乱を、高い場所から見下ろしている男がいた。
駅舎の正面に鎮座する、直径5メートルの巨大時計。その文字盤の裏側にある、埃っぽい点検用通路だ。
犯人、ダニエル・ドッグス。
「へへッ……見ろよ、あのザマを。蟻みたいに逃げ回ってやがる」
ダニエルは、文字盤の隙間から眼下を覗き込み、悦に浸っていた。
彼の手には、自分が一面を飾った新聞記事の切り抜きと、安物のラジオだけだ。
自分の名前が、公共の電波に乗って街中に響き渡る。その全能感だけが、彼の惨めな人生を埋め合わせてくれる燃料だった。
「さあて、準備だ。こいつを仕掛ければ、俺は伝説になる」
彼は足元のボストンバッグを開け、自作の時限爆弾を取り出した。
近所の金物屋で買った肥料を詰め込んだ缶に、ディスカウントストアで万引きした目覚まし時計を、ガムテープで無理やり固定しただけの代物。
配線はスパゲッティのように絡まり、時折バチバチと危なっかしい火花を散らしている。
「俺は天才だ……。この国で一番有名人だ……」
ブツブツと妄言を呟きながら、彼が時計塔の主柱に爆弾を巻き付けようとした、その時だった。
カチャリ。
背後の鉄扉――鍵がかかっていたはずの整備用ハッチ――が開いた。
「え?」
ダニエルが振り返るよりも早く、その空間の気温が数度下がったような冷気が流れ込んだ。
そこには、一人の男が立っていた。
煤けた機械室には似つかわしくない、仕立ての良い漆黒のスーツ。
顔には仮面。
男は、まるで散歩のついでに立ち寄ったかのような優雅さで、ゆっくりと歩を進めてきた。
「な、誰だ!? ここは立ち入り禁止だぞ! 俺は……俺は爆弾魔の“時計師”だぞ! 吹き飛ばすぞ!」
ダニエルは虚勢を張り、震える手で起爆装置と称したリモコンを構えた。
だが、仮面の男――ヴィクターは、立ち止まりもせず、ただ侮蔑を含んだ低い声で告げた。
「……五月蝿い」
それは怒鳴り声ではない。冷徹な響きだった。
「神聖な時計塔の中で喚くな。歯車の回転音が聞こえなくなるだろう」
◇◇◇
地上、駅の吹き抜けホール。
制服警官たちが「鍵が開かない!」と叫びながら時計塔のメインゲート前で立ち往生する中、セレナはその喧騒から離れた壁際にいた。
彼女は白杖で床をコツコツと叩きながら、壁の奥にある“空気の流れ”を感じ取っていた。
「……ここね」
彼女は、壁の隅にある目立たない鉄扉――関係者以外立ち入り禁止の“保守点検用入り口”の前に立った。
ゲートが閉鎖された時計塔だが、空調や配管をメンテナンスするための、人間一人がやっと通れる裏階段が必ずあるはずだ。
「警部、聞こえる?」
無線機に向かって彼女が囁く。
『ああ。……どうなってる? 突入班がメインゲートをこじ開けられずに難儀している。電子ロックが何者かに物理的に溶接されているようだ』
「やっぱりね。……犯人にしては手際が良すぎるわ。正面は囮よ」
セレナはサングラス越しに、鉄扉の隙間から漏れ出る埃っぽい風を感じた。
「私が裏の点検用階段から登るわ。……あそこならロックされていない。風の音が歌っているもの」
『点検用階段だと!? おい、あそこは電気が通っていない廃道だぞ。窓もない真っ暗闇だ。お前一人じゃ……』
「真っ暗?」
セレナはふっと口元を緩めた。
「好都合ね。……光がない場所なら、あなたたちより私の方が速く動ける」
彼女は無線を切ると、迷わず重い鉄扉を開けた。
中は腐った空気と完全なる闇。
健常者なら足を踏み入れるのを躊躇うような深淵だが、彼女にとっては慣れ親しんだ世界だ。
カツ、カツ、カツ。
白杖の先端がコンクリートの床を叩き、その反響音が、瞬時に彼女の脳内に「狭く急な螺旋階段」の構造を描き出す。
階段の幅は80センチ。手すりは錆びている。障害物はなし。
ここなら、這いつくばる必要もなく、彼女の足で駆け上がれる。
(急がないと……)
彼女は手すりに指を添え、踊るような足取りで階段を駆け上がり始めた。
ヒールが石段を叩く音が、暗闇の中でリズムよく響き渡る。むしろ音の情報が散乱しない分、ホールよりも遥かに視界がクリアな道だった。
上から、乾いた空気の匂いに混じって、微かに漂ってくる香りがある。
犯人の汗臭い体臭ではない。
高級なコーヒー豆の油分と、古びたインクの混じった、知的で冷ややかな香り。
(来てくれたのね。……本物の時計屋さん)
彼女には確信があった。
この塔の上で今、裁きを行っているのが誰なのかを。
彼女は呼吸を整え、闇の階段を一気に駆け上がった。
◇◇◇
時計塔内部。
ヴィクターは、腰を抜かして後ずさりするダニエルの手から、粗末な爆弾を取り上げた。
「これが君の最高傑作かね?」
ヴィクターは指先で配線を摘み、軽蔑しきった目で見下ろした。
「ハンダ付けが甘い。火薬の調合比率がデタラメだ。そして何より、この起爆装置に使っている時計……。秒針のズレが0.5秒もある、量販店のワゴンセール品か?」
「あ、あァ!? なんだテメェ、説教しに来たのか!?」
ダニエルが逆上してナイフを抜こうとした。
だが、次の瞬間。
視界が回転し、気づいた時には彼は床にねじ伏せられ、関節が悲鳴を上げていた。
「ぎゃあああっ!?」
「静かに。……レッスン中だ」
ヴィクターは無造作にダニエルの自作爆弾の配線を引きちぎり、床へ放り投げた。ゴミ同然の扱いだ。
そして懐から、重厚な金属ケースを取り出した。
中から現れたのは、無数の色の配線が露出し、デジタルとアナログが融合した、いかにも“超高性能かつ複雑怪奇な爆発物”に見える代物だ。
中央のディスプレイには、赤い数字で【60:00】と表示されている。
「本物の工作を見せてやろう、偽物くん」
ヴィクターはダニエルを無理やり立たせると、その重い装置を彼の手のひらに持たせた。
そして、装置から伸びる金属バンドを、ダニエルの両手首にガチンとロックした。
「な、なんだこれ!? 外せ!」
「外せないよ。……これは私が特別に設計した『感震式・対人地雷』だ」
ヴィクターは表情一つ変えずに、優雅に嘘をついた。
「この装置内部には、高感度の水銀スイッチと生体センサーが内蔵されている。……いいか、よく聞け。君が少しでも手を震わせたり、水平を保てなくなったりすれば、安全装置が外れてドカンだ。この時計塔ごと消し飛ぶ」
「ヒィッ!?」
ダニエルの顔色が土色に変わった。
手の中の冷たい金属の重みが、そのまま死の重みに感じられる。
「さらに、このセンサーはグリップを通して君の“脈拍”ともリンクしている。恐怖で心拍数が120を超えても……即座に起爆する」
「そ、そんな……嘘だろ! 無茶苦茶だ!」
「さあね。試してみるかい? 一度大きく深呼吸をして、手を離してみるといい」
ヴィクターは楽しむように仮面の奥で目を細めた。
「そのタイマーがゼロになるまで、あるいは警察(あとの掃除屋)が来るまで……君はそこで“人間メトロノーム”として、1ミリの狂いもなく立ち続けるんだ」
正午を告げる鐘が鳴り響いた。
ゴーン、ゴーン……。
巨大な鐘の振動が塔を揺らす。
「ひっ、あ、あ……!」
ダニエルは泣き叫びたかったが、声を出すことさえできなかった。「心拍数が上がれば爆発する」と言われた恐怖が、彼の身体を金縛りにしていた。
彼は涙と鼻水を垂れ流しながら、小刻みに震える腕で、必死に謎の装置を水平に保つしかなかった。
「素晴らしい。……その必死な形相こそが、君の人生で一番輝いている瞬間だよ」
ヴィクターは背を向け、影のように闇へ溶け込んでいく。
「さて。出口ではもう一人の厄介な観客が待っているようだ。……後片付けは彼女に任せるとしよう」




