第15話 灰色のカナリアと銀の棺 ~ノイズの嵐~
「そこまでよ!」
鋭い一喝が、狂熱のオークション会場を切り裂いた。
喪服のドレスを翻し、セレナがステージへと躍り出る。彼女の手には武器はない。あるのは、搬入したトランクケースだけだ。
「……む?」
鞭を振り上げていたガリヴァーの手が止まる。
少女の悲鳴という“音楽”を中断されたことに、会場の貴族たちから不満のブーイングが上がった。
だが、セレナは怯まない。サングラスの奥の見えない瞳で、車椅子の老人を射抜くように見据えた。
「その子は商品じゃない。人間よ。……その汚い鞭を収めなさい」
「ほう……。招かれざる客が紛れ込んでいたか。搬入業者に化けたネズミか?」
ガリヴァーは義眼のレンズを駆動させ、セレナの全身をスキャンするように眺めた。
そして、醜悪に口元を歪める。
「美しい声だ。だが、お前も商品になりたいのかね? それとも正義の味方気取りか?」
「警察よ。ガリヴァー・ヴァーン、あなたを児童虐待と違法監禁、及び……15年前の死体遺棄偽装の容疑で拘束する!」
セレナが警察バッジ――ではなく、トランクを突き出した。
「動かないで。このトランクには軍用爆薬が入っている。私の心拍が止まるか、あるいはスイッチを離せば、この屋敷ごと吹き飛ぶわよ」
それは虚勢ではなかった。
トランクの中身は、導爆線が繋がれた本物のC4爆薬だ。
彼女は本気だった。もし法の裁きが間に合わないのなら、この悪魔の巣窟を瓦礫に変える。
漂う殺気が、会場を静まり返らせた。
だが、ガリヴァーだけは違った。
彼は喉の奥でガラガラと笑い出したのだ。
「爆薬……? カカッ、火薬か! 炎か! 懐かしい響きだ!」
老人は車椅子のレバーを操作し、セレナへとジリジリ迫る。
「娘さん、お前は“本物の地獄”を知らんようだな。15年前のあの日、私の工場が炎に包まれた時、どうしたと思う?」
ガリヴァーが突然、自分の上着を乱暴に引き裂いた。
セレナは息を呑んだ。
そこにあったのは、人間の皮膚ではなかった。
焼け爛れた胸部に、無骨な鋼鉄のプレートがボルトで直に打ち込まれ、ポンプのような人工臓器が剥き出しで動脈と接続され、ギシギシと脈打っていたのだ。
「熱かったぞォ……! 肉が焼け、脂が溶け、声帯が炭になる苦しみ! だが私は死ななかった! 工場の廃棄パーツを自分の焼け跡に埋め込み、壊死した手足を機械に変え、泥水をすすってでも這い上がってきたのだ!」
狂気。生存への異常な執着。
彼は人間であることを辞め、スクラップの怪物となることで死を凌駕した。
「あの日、404が私に火を放った。……私こそが炎そのものなのだよ!」
「燃えろ!!」
ガリヴァーの義手――その指先が変形し、火炎放射のノズルが現れた。
轟音。
容赦ない火炎がセレナを襲う。
距離は5メートル。避けられない。
(熱っ……!)
熱波が肌を焦がす。セレナは反射的に身を翻すが、間に合わない――。
キィィィィィィィン!!
刹那、 会場のすべてのガラスというガラスが、悲鳴を上げた。
照明、窓、そしてガリヴァーの義眼のレンズ。
何者かが放った“破壊的な超音波”が、特定の物質だけを粉砕したのだ。
パリーンッ!!
ガリヴァーの義眼が砕け散る。
「ぐあぁぁっ!?」
彼は視界を失い、火炎放射の狙いが大きく逸れた。炎はセレナの横を通り過ぎ、ステージの幕を焼く。
砕け散ったガラスの雨が降る中、停電した闇の奥から、冷徹なバリトンの声が響き渡った。
「……品性がないな、ガリヴァー。昔から貴様の芸は、騒々しいだけで美しさの欠片もない」
その声を聞いた瞬間、セレナの時間が止まった。
低く、理知的で、そして誰よりも深い悲しみを帯びた声。
(――ヴィクター?)
闇の中から一人の男が歩み出る。
漆黒のタキシードに、銀の仮面。
胸元には、一輪の深紅の薔薇。
彼は燃え盛るステージに立ち、震えるセレナを背中で庇うようにして、怪物と対峙した。
「貴様は……! その声、まさか404か!?」
ガリヴァーが砕けた義眼からオイルを流しながら叫ぶ。
「久しぶりだね、施設長。……貴様が地獄の底から這い上がってきたのなら、もう一度、今度は二度と蘇らないように“完全解体”してやろう」
ヴィクターの手には、何も握られていない。
だが、その指先がカフスボタンに触れただけで、周囲の空間が微細に振動し、空気が凶器へと変わる。
「小僧ォォォ! よくも私の身体を! 教育し直してやる!」
ガリヴァーは車椅子の隠し武装を全開放し
座席の下からガトリングガンの銃身がせり出し、ヴィクターへと照準を合わせる。
「死ねェッ!」
ガリヴァーがトリガーを引く。
ヒュルルルル……ッ!
電動モーターが唸り、銃身が高速回転を始める。
だが、その「予備回転」のコンマ数秒こそが、ヴィクターには永遠のような隙に見えていた。
弾丸が吐き出される直前。
ヴィクターは左腕をかざし、腕時計の竜頭を弾いた。
シュッ!
腕時計から射出された極細の鋼鉄ワイヤーが、目に見えない速度で宙を奔る。
その先端が絡みついたのは、ガトリングガンでもガリヴァーの首でもない。
ステージの天井にある、巨大なクリスタルのシャンデリアの支柱だった。
「物理演算……完了」
ズダダダダダッ!!
遅れてガトリングガンが火を吹き、ヴィクターのいた場所の床を蜂の巣にする。
だが、その瞬間にはもう、彼はワイヤーの張力を利用して横へ跳んでいた。
代わりに真上から降り注いできたのは、数トンもの重量を持つ「死」だった。
ズドォォォォンッ!!
シャンデリアが、正確にガリヴァーの頭上に落下した。
銃撃音は一瞬にして、ガラスの破砕音と、金属が圧し潰される不快な断末魔にかき消される。
「ぎゃ……あ、あ……」
瓦礫の下から、老人の呻き声だけが聞こえる。
機械化された身体の強度が仇となり、即死できず半壊した状態でスクラップの山に埋もれているのだ。
会場の富裕層たちは悲鳴を上げて逃げ惑う。
混乱の渦中、ヴィクターは静かに瓦礫へと近づいた。
その足元には、鞭打たれて気を失っている少女――喉に銀の装置をつけられた犠牲者が倒れている。
彼は膝をつき、少女の頬に触れた。
震えている。生きている。
彼は懐から精密ドライバーを取り出すと、少女の口に装着された悪魔の装置に手をかけた。
“ディーバの喉”。かつて彼が設計し、ガリヴァーが歪めた悲劇の象徴。
カチ、カチ……。
複雑なロック機構を、彼は見ることなく指先の感覚だけで解除していく。製作者にしかできない手業。(……間に合ったか)
プシュウゥゥ……。
空気が抜ける音と共に、装置が外れた。
少女が小さく「カハッ」と息を吸い込む。それは美しいソプラノなどではない、掠れた、ただの空気音だ。
だが、ヴィクターにとっては、どんな音楽よりも美しい“生の音”だった。
「もういい。……もう、歌わなくていいんだ」
彼が装置を床に置き、踵で踏みつけようとした時。
「待って」
背後から声がした。
セレナだ。
彼女はサングラスがズレ、ドレスは煤で汚れていたが、その立ち姿は凜としていた。
「それを壊す前に……彼に手錠をかけさせて」
彼女は白杖の代わりに持っていたトランクを置き、ヴィクターの横に立った。
「あなたなのね? ……時計屋さん」
ヴィクターは仮面越しに彼女を見た。
否定はしなかった。今の至近距離での会話、匂い、そしてあの“音響兵器”の周波数。彼女の耳を誤魔化すことは不可能だ。
「……何のことかな、お嬢さん。私はただの通りすがりの調律師だ」
「嘘つき。心臓の音が、あのお店と同じリズムを刻んでいるわ」
セレナは手を伸ばし、ヴィクターの胸元に触れようとした。
だが、その指が届く直前、瓦礫の下から金属質の腕が突き出した。
「404……! 貴様だけは……道連れだァ!」
半身を潰されたガリヴァーが、最後の執念で車椅子の自爆スイッチに手を伸ばしていた。
この屋敷ごと消し飛ぶつもりだ。
「いけない!」
「チッ、往生際の悪い……!」
ヴィクターとセレナ、二人の時間が重なった。
逃げるか。止めるか。
時間はあと数秒。
ヴィクターは即座に決断した。
少女を抱きかかえ、セレナの腰に手を回す。
「しっかり捕まっていろ!」
彼は腕時計のワイヤーを再び射出した。今度の狙いは、高くにある天窓のフレーム。
巻き取り機構が一気に二人と一人を宙へと引き上げる。
その直後、眼下で爆炎が花開いた。
ガリヴァーの、そしてかつての矯正施設の亡霊の最期の叫び声と共に、真夜中のサロンは火の海へと沈んでいった。




