第8話 大男
謎の大男は、ぬうっと前に出てきた。
身長は2mほどだろうか……黒い羽織のような、ゆったりとした服をまとっている。
「着いたと思ったら何? これ……」
白く長い髪は顔を半分以上隠し、後ろは今にも地面に付きそうなほどだった。
「あーもう……汚れちゃったよー……」
彼は裸足を持ち上げ、血の付いた足の裏を交互に眺める。
そこから少し見えた腕や足は──意外にも細く、彼が現れた時の衝撃音がどこから生じたものなのか、全く想像できなかった。
彼は私たちのことなど気にも留めず、振り返って足元を見る。
信号弾の煙は死体の下敷きとなり、鳴りを潜めていた。
「んー。これじゃなんのために狼煙に射出機構を付けたのか……」
そう言って、頭をポリポリと掻く。
「リーダーなんだから機械の扱いくらいさぁ……まあぼくが言うのもなんだけど」
そして他の兵士たちは潰れた死体に気づくと、怯えて必死にもがき始めた。
「ひ、ひいィッ!」
「あー、大丈夫だよ君たちは。今帰してあげるから……」
怯える兵士を他所に、男はのんきそうに辺りをぐるりと見回す。
その途中、私たちと目が合ったように見えたが、彼はまだ何も口にしなかった。
「──レイル、距離を取るぞ」
男がこちらから目を外した瞬間、ライルがそう囁いた。
彼女は手で私の口を覆うと、少しずつ空へと上昇していく。
男は少し考える様子を見せてから、朝日から左に90度──フォルシア方面に向けて大きく手を振った。
すると兵士たちの体は浮き、まとめてフォルシアに向かって飛んで行った。
「で、君はここで一体何をしてるのかな?」
男は再びローゼスさんに顔を向けると、重たい前髪を耳に掛けて微笑む。
彼の顔は髪と同じように白く、まるで女性のように艶やかな肌であった。
そして瞳は紅く輝きを放ち、まさに美形という他ない容姿をしている。
「──それと君たち……なかなかやるね」
そう言いながら男は空を見上げると、今度は確実に私と目が合う。
その眼差しに戦慄し、つい声が出そうになったが──ライルの手がすんでの所でそれを塞いだ。
「そんなに警戒しなくたっていいのに……それで、君たちはなんなの?」
彼の目は再びローゼスに向けられる。
ローゼスさんは無言のまま、腰の剣に手を掛けた。
「あと名前は? 名前くらいは教えてよね!」
彼の無邪気な口ぶりと、その体格の落差が不気味さを際立てる。
ゆらゆらと体と髪を揺らす彼に、ローゼスは声を潜めるように自身の名を告げた。
「ローゼス・ブライト……」
「ローゼス……?」
大男は細い顎に白い指を添えると、何か思い当たったようにハッとする。
それまでの雰囲気から一転、彼はローゼスを睨みつけると、背を丸めながら呟いた。
「……じゃ、サヨナラだね」
次の瞬間、大男は足を曲げたと思うと──
瞬き一つでローゼスに間合いを詰め、素手で殴りかかった。
ローゼスは後ろへ滑るように下がりつつ、剣閃を白い腕に命中させる。
しかし、刃先からは鈍い金属音が響くのみで、腕を斬ることはかなわなかった。
(……ッ! 弾いた!?)
そのローゼスの反応に男も呼応し、飛び上がって一度距離を放した。
男の足は地面を抉り、擦れる音と共に体を止めた。
「……ふーん、結構やるんだね」
「お前は──なんなんだ!?」
「ぼくの名前? あー、それはちょっと禁止されててねー……」
今まさに繰り広げられようとしている死闘。
しかし男は奇妙にも、すぐ再び殴りかかることはせず、その場で話し続ける。
「正直さー、こんなに強い人とは思ってなくてさー……」
「君になら、色々試せたりするのかなーって……」
そんな彼らのやり取りの中、私とライルはどんどん空へと上がり、彼らから離れていっていた。
私はもごもごと口を動かすが、ライルはその手をなかなか放してはくれなかった。
そしてやっと口が自由になると、私は疑念をぶつけた。
「ちょっとライル! どこまで行くつもり!? もしかしてローゼスさんを置き去りに──」
「そうだ」
「えっ!? 待って、待って!」
私は慌ててライルを止めたが、まだ彼女はそれを疑問視しているようだった。
「奴とはあくまで一時的な協力関係。こちらの身が危ういとなれば、切り捨てる他はない」
「えっ? 本気!? というかそんなにアイツ強いの!? 『邪龍さん』でも!?」
「──いや、この姿をやめれば、どうということはない。ただ──お前を巻き込みかねん」
「……故に、ローゼスが注目を集めている内に、お前を遠くへ隔離する」
これが優しいのか冷酷なのか、私には分からない。
ただ、あの大男がかなりの脅威であるということだけは、はっきりと理解できた。
「で、でも……見殺しにするなんてとても──」
「レイル、常に『両方』を取ることはできん」
そんな──と思う私を裏切るように、ライルは付け加える。
「──だが、私はお前の意思を無視する、とは言っていない……」
「……選べ──全てはお前の意思だ!」