012 ゴブリンの老婆①
「さっきの竜の皮、あれってイカナの山に住んでる竜のものだよね?」
自称ランク四冒険者のエノクは、自己紹介は済んだとばかりに質問をしてくる。
見ただけでもこのエノクと言う青年が、かなりの実力者なのが分かる。ニコニコして丁寧に話してるけど、自然体で全く隙が無い。
「ええ、そうですが」
「君たちが竜を倒したのかい?君があの山を魔物を倒せるとは思わないのだけど」
先程までは感じなかった“圧”の様な物をエノクから感じる。
まあ確かにブレイブはあの山の魔物を倒せる“力”は持ってないかも知れない。でも無謀だと分かっていながら戦いを挑む愚か者では無い、だからこそ一人で俺の住む村まで生きて辿り着けたのだ。
「確かに俺は倒せる実力を持っていません。倒したのはこっちの二人です」
そう言ってブレイブは俺とノノを見る。
「へぇ、この二人が?」
エノクはブレイブの言葉を受けて、俺とノノを見定めるようにして交互に見る。その顔は笑っているが、目は全く笑っていない。
その目線は強者特有の力強さが含まれていた。
「確かにこの二人ならば、生き残れるかも知れないね。君たちの名前を聞いても?」
「…クロだ」
「…ノノ」
「クロとノノだね、それと君の名前も聞いておくよ」
そう言って再びブレイブを見るエノク。
「…ブレイブです」
「ブレイブね、覚えておくよ、君があの山で生き残ったのは事実だろうからね」
微妙に嫌味な人だなぁ。まあ事実しか言って無いと言えばそうなのだが。でもエノクがブレイブよりも強いのは間違いない。
ノノ程では無いにしても、かなりのマナを感じる。
「おっと、話が逸れてしまったね。君たちに話しかけたのは、ちょっと聞きたい事があってね」
「…聞きたいこと?」
俺の肩の上からノノが少し不機嫌そうに聞き返す。
「ああ、実は最近各地で魔物の活性化が報告されていてね。個人的に少し調べているんだ。だからイカナの山から来た君たちに話を聞きたくてね。何か変わった事はあったかい?」
「変わった事か、どうかな。クロは何か思い当たる節はあるかい?」
変わった事か、考えてみても、ここ最近で町の付近で変わった事は全く思い至らなかった。
「…無い」
「そうか…いや、それなら良いんだ。無い方が良いからね」
俺の答えを聞いてエノクは少し考えていたが、すぐに頭を振って元の笑顔に戻った。
「済まない、時間を取ってしまったね。教えてくれてありがとう、また会う事があれば宜しく頼むよ」
そう言うと、エノクは踵を返してギルドの出口へと向かって行く。
「そう言えば、赤龍を見たけどあれは関係ないのかな?」
「赤龍?」
ブレイブの言葉にエノクは半分程こちらに体を向ける。
「ああ、話すと長くなりますが…森を出る直前に巨大な赤龍が現れたので」
「赤龍ね…成程、ありがとう参考になったよ」
一瞬だけ眉根を寄せたが、それだけ言うと今度こそエノクは出口に向かって歩いて行った。建物を出る瞬間にエノクがポツリと『赤龍ね…』と呟いたのが聞こえた。
エノクの姿が完全に見えなくなると、ノノが口を開く。
「…あの人相当強い」
「…ああ」
「そうだね、ランク四だと言っていたし、かなりの実力者なのは間違いなさそうだ」
エノクの強さは二人にも伝わっていた様だ。けど、そんな事よりも…
「…腹が減ったな」
「!そうだね、すっかり遅くなってしまった。すぐに宿の場所を聞いてくるよ!」
そう言ってブレイブは受付の方へと駆けて行った。
この町に来てから一週間が経った。話し合い(俺は頷いてるだけだった)の結果、この町で旅の準備を整えてから帝都に向かう事に決まった。
俺とブレイブの荷物は全て無くなってしまったので、それなりの金額が必要らしい。その辺りのことはさっぱり分からないので、ブレイブに全て任せている。
必要な金を稼ぐ為に、この町に来てからずっと魔物の討伐に勤しんでいた。魔物を倒すのも良いのだが、そろそろ一日中剣を振りたいなぁ何て思いながら宿の食堂で朝食を取っていると、俺の正面に座っていたブレイブが口を開いた。
「少し余裕も出て来たし、今日と明日は休みにしないかな?」
「…うん、良いと思う」
「ここに来てからずっと討伐だったからね、そろそろ旅に必要な物を見て周りたいし、クロもそれで良いかな?」
「…問題ない」
わーい。丁度一日中素振りたいと思っていたのだ、拒否する理由などどこにも無い。
残っていた料理を一口で頬張り、横の壁に立て掛けておいた剣を取って、俺は宿から飛び出した。
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ブレイブが、休みにしようと提案すると、クロはそれを了承するや否や側に置いていた剣を取って宿を飛び出して行った。
「クロは何を…ってもう行ってしまったか」
「…急いでるみたいだった」
「時々思うよ、クロは僕たちとはまるで違う所を見ているんだなって」
ブレイブはソノーヘンに来てからの、今日までの日々を思い出していた。
チームを組んで討伐して分かった事だが、クロの凄さはその剣の実力だけでは無かったのだ。
先見の明か野生の感なのか、彼の言葉の先にはいつも予想外の事が起こる。
例えば、鹿型の魔物を討伐した時の事だ。魔物にトドメを刺したかと思えば、剣を振った勢いのまま投げたのだ。
クロでも失敗する事があるのかと思って見ていると、剣はそのまま茂みに潜んでいた熊型の魔物の喉元に突き刺さったのだ。
そいつは小型な代わりに隠れる事に特化したタイプの魔物で、一流のレンジャーでも見つけるのが難しいとされている魔物だ。
これだけならば、まだ感が良いで済ませる事が出来るが、野草の採取をした時もそうだった。
森の事ならクロに任せた方が良いと思い、クロに道案内を頼むとギルドの推奨区域からどんどんと外れて行き、何処に行くのかと思えば、新たな野草の群生地を発見してしまったのだ。
幾ら森の事に詳しいと言えど、クロはイカナ山から出た事がない筈である。にも関わらず来たばかりの地で、新たな群生地の場所を発見できると言うのは信じ難い事だった。
今思えば、イカナ山で赤龍に出会い、谷底に落とされてソノーヘンに来たのも全て分かって居たのではと言うのは考えすぎだろうか。
今も、休みだと言うのに剣を持って出て行ったのも、彼にしか分からない何かがあるのでは無いか。彼には未来でも見えているのかも知れない。
ブレイブはそう思わずには居られなかった。
「…そうかも」
「ノノもそう思うかい」
「でも…クロも見えない所はある筈だから…そこを私たちが見れば良いと思う」
「そうか…確かにそうだね」
ノノの見た目からは想像できない大人な意見に、ブレイブは感銘を受けた。この地に来た時、彼の出来ない事でサポートしようと決めたのにすっかり忘れて居た。
その事を思い出して、心の中でノノに感謝した。
「さて、俺は店を見て回ろうと思うけどノノはどうするんだい?」
「…私も少し…行きたい場所がある」
「そうか、なら一旦解散だね。俺も夜までには戻るよ」
「…分かった」
そうしてブレイブとノノもそれぞれの行動を始めた。
ノノは少し気になっている事があった。それはイカナ山で最後に見た赤龍の事である。
(あれ程の龍であれば長い時を生きてる筈…それならば何かしらの伝承に残っていてもおかしくない)
龍…それは長い時を生き、強大な力や知性を獲得した竜の事を指す。竜は爬虫類系の生物が、マナの力によって魔物となった者の事だとされている。
なので竜と一言に言ってもその強さは疎らであるが、基本的には他の魔物よりも強力である場合が多い。その竜が長い時を経て、力や知性を得ると龍、又はドラゴンと呼ばれるのである。そしてその多くが何かしらの伝承に残る事が多い。
良くある英雄譚に出てくる龍なども、実際に存在している者が多い。
あの赤龍はかなりの力、そして知性を有しているとノノは考える。
(あれ程の龍ならばかなりの時を生きてる筈…であればあの山に住んでいたクロが知っていてもおかしくは無い筈、なのにクロは初めて見た様な反応だった)
勿論、クロの住む村から距離が離れている事は承知している。だが、竜の方はクロの事を知っている様に感じたのだ。
(あの龍、クロばかりを見ていた気がする…それにクロの言葉に反応した様な気もした)
もしかすると自分の勘違いかも知れないが、まだイカナ山に比較的に近いこの町であれば、何かしらの情報があるかも知れない。
そう考えたノノは町の図書館へと向かっていた。
十五分程歩くと、目当ての建物が見えて来た。石造の頑丈そうな大きな建物。ノノはあまり人気の無いその建物の中へと入っていく。
入ってすぐ右手に受付があり、そこには年老いた男が座っていた。
「…この辺りの郷土史は置いてる?」
ノノがそう問いかけると、老人は読んでいた本を閉じて口を開く。
「ああ、それなら二階にあるから好きに見るといい」
「…ありがとう」
老人はそう言って階段を指差すと、再び本を読み始めた。ノノは軽く礼を言って、その階段へと向かった。
二階へと上がると、そこには古そうな資料が所狭しと並べられていた。近場にあった本を手に取ってみるが、捲るだけでページが千切れてしまいそうになったので、慌てて閉じる。
あまりにも大量にある資料の前にノノは辟易としたが、良く見ると場所や年代毎に細かく分けられている事に気がつく。
これならば何とか見つけられるかも知れないと、イカナ山についての記述がある物を探す。
(イカナ…イカナ…あった)
それは三十分程探して漸く見つかった。今にも崩れそうな背表紙にはイカナの山とだけ書かれている。
(取り敢えず読んでみよう)
ノノは破損させない様にゆっくりと慎重にページを捲り始めた。
ゴーンゴーンと外から六時を知らせる鐘の音が聞こえる。気が付けばかなりの時間集中していた様だ。ノノは今日五冊目となる本を閉じる。
(色々分かったけど…赤龍については書かれてなかった)
イカナ山について書いてありそうな資料は全部で十冊程見つけた。先程まで読んでいたのが五冊目なので、丁度半分を読み終えた事になる。
なるべく古そうな物から読んでみたが、今の所は赤龍についての記述は全く無かった。
分かった事と言えば、元々は魔物の少なく比較的安全な山であった事、緑の鱗を持つ守護龍が住んでいた事、そしてこの世界で一番有名だと言っても良い英雄譚“エノイン”、その主人公である大英雄が最後に行き着いた場所だと噂されている、と言う事位である。
だがその信憑性は微妙な物である。どれも最後には必ず“と思われる”だの“かも知れない”だの保険をかけた言葉が綴られていたからである。
(残りは明日また来るとして…帰ったらクロにも聞いてみよう)
読んだ本を棚に戻し、帰路に着こうとした時、ノノの耳に何者かが階段を上がる音が聞こえた。
その何者かが階段を上がり切り、ノノを見る。
それは老婆だった。女性にしてはかなりの高身長。後ろで一纏めにされた長い茶髪。その髪に隠れてはいるが確かに尖っている耳。
老婆だと、一目で断定出来る見た目にも関わらず、その立ち姿はまるで若者のそれであった。来ている服も冒険者などが着る様な動きやすい服装である。
しかし何よりも特徴的なのが肌の色であった。その老婆の肌は薄い緑色をしていたのだ。
それが何を意味するかと言うと、この老婆は魔物の一種とされるゴブリンだと言う事である。とは言え、珍しい事ではあるが、特段慌てる事では無い。
ゴブリンやオークなどの人形に近い魔物は、人間と同じ様な知能を持つ事がある。それが何による物なのかは判明していないが、基本的に肌の色が薄い者程、人間に対して友好的である。
逆に肌の色が濃い者程敵対的で、その場合は見つけ次第狩っても問題無い。言葉で説明すると、間違えて友好的な者まで討伐されるのでは?と思うかも知れないが、実際の所見れば分かるのだ。
飼われている犬と野生の犬を見ただけで、何となく見分けられるのと一緒である。
そのゴブリンの老婆がノノを見て口を開いた。
「嬢ちゃん…エルフだね?」