010 ブレイブ①
クロと名乗る青年に出会った時、ブレイブは運命を感じた。
禁足地だと呼ばれるこのイカナ山脈に来た事も、引き返さずに入山した事も、死に掛けながらも竜から逃げ回った事も全てに意味が有ったのだと、ブレイブは考えた。
ブレイブから見たクロの剣技は、正に神技。まだ二十しか生きてない人生ではあるが、この先これ以上の剣技等、そうそう見られない事は想像に難く無い。
自分との実力を比べれば、正に月とスッポン、一生の内に関わる事など本来ならば無かっただろう。
そんな、言わば高嶺の花の彼が自分の誘いに二つ返事で了承をする等、想像もしてなかったのだ。
一晩明かして、よく考えてみれば返事を返していたのはクロでは無く、妹の方だったのではと思い、改めて本人に確認を取ってみるが、結果は変わらなかった。
彼の力強い返事を聞いて、全身の血が煮え滾る様な感覚になった。
命の恩人であるトナリの提案によって、彼の家で三日程休息を取らせてもらった。
そのたった三日の間で、ブレイブの人生観は破壊される事となる。
まず、見渡す限りの家々に何気なく使われている材料を見てみると、帝都では高級品として扱われる竜の素材が、至る所に使われているのだ。
それらの素材を帝都で売ったならば、きっと一等地に家が建つだろう。それも立派な物が。
またクロ以外の村人の身体能力にも驚かされた。そこらを歩いている老人が、軽く飛んだだけで屋根よりも高い場所へと飛び移る。
その堅牢さから加工が難しいとされている筈の、竜の鱗を簡単に切り裂き、加工する女性達。
自分が死に物狂いで生き延びた森に平然と入り、動物を狩って戻ってくる子供達。
ブレイブは自分の中の常識が、物凄い勢いで破壊されていくのを感じていた。
所詮、自分はただの農民の子である。マナを感じる力も弱く、使う力もまた弱かった。
それでも冒険者として中堅程度の実力は付けることが出来た。けれど、そこが自分の限界なのかも知れない。
魔法も使えない、剣技もそこそこ。そんな冒険者は腐るほど居る。
けれども、それで冒険者を辞める程に素直でも無かった。
物語の主人公に憧れた訳でもない。有名な冒険者になりたい訳でもない。
ただただ自分はもっと、剣を上手く振りたい。上達したい。ブレイブの中にあるのは、ただそれだけの思いだった。
クロとブレイブはある意味似た物同士だった。
あっという間に三日が過ぎ、いよいよ帝都に出発する事になった。
トナリとティナに見送られながら、ブレイブは帰路に、クロは未知の旅路につく。
ブレイブにとって、苦い記憶の多い森だったが、クロにとってはなんて事の無い、ピクニック気分の旅路だった。
最初は音に敏感になっていたブレイブも、余りにも冷静に、そしていとも簡単に魔物を追い払うクロの姿を見て、彼が居れば大丈夫だと、安心し肩の力を抜いた。
一切の迷いの無いクロの歩みに着いて行くだけで、まるで自分が強くなったかの様に感じた。
だが、それは錯覚だったと思い知らせる事になる。
ノノと名乗る少女も旅に加わる事になった翌日。今までは追い払ったり、進路を変更する事で魔物との戦闘を回避していたが、遂に戦いを避けられない状況に陥ってしまう。
現れた二匹の竜を見て、ブレイブの最初の思考は『クロに任せれば大丈夫』であった。
一匹の竜をクロが一刀両断した時、やはり彼が居れば大丈夫だと思った。しかし、二匹目の竜を、自分よりも小さな少女が吹き飛ばした時、ブレイブは自分を恥じた。
勿論、今の自分の実力で倒す事は出来なかったのは分かっている。
だが、最初から自分の力で対処する選択肢を、はなから捨てていた事に気が付いたのだ。
しかも、これから一緒に冒険者として行動する相方に、全てを任せておけば良いと考えたのだ。
申し訳ない気持ちで一杯になり、ブレイブは思わずクロを見る。
クロはまるでこちらの考えている事を見透かしている様な、真剣なだがどこか優しい表情をしていた。
クロと目線が合った時、ブレイブは彼の言いたい事を全て理解した気がした。
実力は幾らでも付けられる、恥じる事はない、これから一緒に精進して行けば良いと、焦らなくて良い、とそう感じた。
二人は同じタイミングで大きく頷く。実際はクロは『ノノを怒らせたら怖いな』と考えていただけだが、クロもブレイブもお互いを深く理解した気で居た。
その直後、伝説の中でしか見た事の無い竜…いやあれはもはや“龍”だろう。
そんな龍と出会った時もブレイブはただ驚く事しか出来なかった。
そんな自分とは打って変わっていつもと何ら変わりのないクロを見て、彼に取っては龍ですら恐れる対象では無いのだと悟った。
恐らく龍の攻撃によって宙を舞った時も、クロが防いでくれた事は察していたが、あの瞬間に何が起こったのかは全く見えていなかった。
今回自分の命が助かったのは、ただの幸運だとブレイブは理解していた。
同時に自分にもっと力が有れば二人の力になれた事も。
だが、卑屈になっている暇は無い。戦闘力はいきなり向上する事は無いが、それ以外にも力になれる事は多い。
クロは山には詳しいかも知れないが、それ以外にはきっと自分の知識が役に立つだろう。
とは言え、町の方向が分からないのではどうしようも無い。
そう思っていた時にクロが声を上げる。彼の指差す方を見ると、微かにだが町が見える。
流石だ、こんな時まで冷静に物事をみて、解決してしまうとは。ブレイブの中でクロの株は上昇し続けていた。
当のクロ本人はただお腹が空いていただけであるのだが。
クロが指差した方向に進むと、町を囲む壁が見えて来た。帝都には及ばないが、なかなかの大きさの町である。
町の入り口には門番が立って居て、簡単な検閲をしていた。ブレイブ達も検閲を受け、問題無しとされた。
「ようこそ!城塞都市ソノーヘンへ!」
愛想の良い門番の言葉を背に、ブレイブ達は町へと入る。
「さて、これからどうしようか?」
「…まずは宿を探すのが良いと思う」
「そうだね…しまったな、安い宿を門番に聞いておけば良かったな」
「…ギルドで聞く?」
「そうしようか」
世界冒険者補助協会、長ったらしいのでギルドと呼ばれるそれは、書いて字の如く、世界の冒険者の補助を目的に作られた組織だった。
その歴史は古く、始まりがいつだったのかは定かでは無いが、少なくとも三千年前から存在する組織である。
血の気が多く、短気な冒険者達が少しでも死なない様に、怪我をしない様に、ランク付けをして管理をしてくれるありがたい組織である。
「クロもそれで良いかな?」
「…問題ない」
ブレイブの確認の言葉に、クロは相変わらず端的な言葉だけで返す。だが、ブレイブはそんなクロの様子に安心感を覚えていた。
やはり彼はどんな場所でも自分を見失わない、芯のしっかりとした人物なんだと。
三人連れ立ってギルドの建物へと向かう最中に、珍しくクロから口を開く。
「…冒険者って何だ?」
もはや世界の常識と言っても良い程に、冒険者の存在は浸透して居るが、あの山の中に住んでいては知らないのも無理はないかと、ブレイブは説明を始める。
「冒険者ってのは簡単に言うと魔物を狩ったり、ダンジョンに挑んでその持ち帰った素材や財宝等で、生計を立てている人の事だね」
後は冒険者協会に属している人の事も指すかな、と続ける。
「…財宝?」
「ああ、ダンジョンでは過去の遺産と思われるアーティファクトや宝石が見つかる事があってね、それが高値で取引されるんだよ」
ダンジョン…世界各地に存在するが、未だにその全貌は謎のままだ。一度全てを探索し尽くしたと思っても、気が付けば新たな道や財宝が発見される事も少なくない。
基本的に内部はマナで溢れており、強力な魔物が住み着いている事が多い。腕自慢の冒険者にとっては絶好の稼ぎ所である。
「…成程」
ブレイブの説明にクロは神妙な面持ちで頷く。
「取り敢えずクロは冒険者登録をしないとね。ノノはもう登録しているのかい?」
「…してる」
ノノは背中の鞄をがさごそと漁り、小さな金属の板の付いたペンダントを取り出した。
そのペンダントは冒険者証と呼ばれる物だった。冒険者協会で登録した者には必ず発行される、冒険者の身分証明書の様な物だ。
危険地帯に行く事の多い冒険者が死亡した際に、その身元を確認する為の物でもある。
その為金属の板には所有者の名前とそのランク等が書かれていた。
「冒険者証だね、冒険者ランクは…七か、ノノならもっと上でもおかしく無さそうだけど」
「…試験受けるのめんどくさい」
「確かに、ランクが上がる程試験の内容も上がるらしいからね」
冒険者のランクは十〜一まで存在している。登録したての者は十から始まり、実力が認められる程一に近くなる。
昇格にはギルドの認証が必要であり、低い内は実績に応じて受付で簡単に済ませる事が出来るが、上に行くとギルド長の承認や、試験を受ける必要が出てくる。
一般的に冒険者ランクは八で中堅、六で一流、四で超一流だと認識される。三より上の者は人外の領域に至った者だと言うのが、共通の認識である。
八までは比較的に簡単にランクを上げる事が出来るが、そこから先に進めるのは才能のある人間だけである。
六まで上げる事が出来れば、冒険者としては成功と言われる部類だ。
しかしノノの様に実力があっても昇格試験を受けない者も居るので、ランクが低い者が必ず弱いと言う訳では無い。
素行が悪い者もランクを上げる事が出来ないので、冒険者ランクはギルドの信頼度の証である。
ランクが高い程ギルドが信頼出来る人間だと認めたと言う事であり、冒険者として、実力も信頼も確かな者だと言う事だ。
「俺の冒険者証は、荷物と一緒に置いて来てしまったから再発行して貰わないとな…」
「…あれ、意外と高い」
「そうなんだよね…お金も無くなってしまったからね」
最初こそ無料で作ってくれる冒険者証であるが、コストが掛かる以上再発行には相応の金額を支払わなければならない。
冒険者協会も慈善事業では無いのだ。
「まあ取り敢えず、宿を聞くついでにクロの冒険者登録もしてもらおうか。そうすれば明日からクエストが受けられるからね」
「…ああ」
「…着いたみたい」
話している間に三人はレンガ造りの大きな建物の前に来ていた。入り口には世界冒険者補助協会ソノーヘン支部と書かれている。
「ここで間違い無い様だね」
「…ああ」
ブレイブを先頭にして三人は冒険者協会の中へと入って行った。