001 剣を振る男
かつてこの世界には十程の聖樹が生えていた。しかし、三千年程の昔に突如として聖樹は世界から姿を消した。
その理由については全くと言っていい程に伝承がされていない。
聖樹とはどの様な存在だったのか、世界にとってどの様な役割が在ったのか。何故、その姿を消したのか…きっと人類がその理由を知る日は来ないのだろう。
新聖樹歴3018年。人々は世界各地に存在する“ダンジョン”や“迷宮”を誰よりも先に踏破せんと躍起になっている。
その理由は人によって様々だ、一獲千金を狙う者、自分の力を試す者、ダンジョンそのものを探求する者。しかし確実に世界はこの“未知”を中心に回っている。
世界は“マナ”と名付けられた物質に溢れていて、生物はその恩恵に預かっている。マナは生物を強化し、“魔法”と呼ばれる超常的な力を発現させる。マナの力を強く取り込んだ生物“魔物”が生き、様々な種族を存在させる。
まさに万能物質であるが、マナがどこから来てどこへ行くのか、それは誰も知らない。世界はもしかしたらマナによって生かされているのかも知れない。
「師匠、俺がもっと強くなるにはどうすればいいでしょう?」
グランセント帝国。この星の最も大きい大陸の、中心に存在しそして最も多くの領土を誇るこの国の首都。帝都アンファエンデ。
その帝都に在る剣術道場の中で白い修練着を着た二人の男が話していた。問を投げかけたのは、綺麗な赤い髪を後ろで一括りにした端正な顔つきの若者だった。
「ん~…そりぁお前、死ぬ気で鍛錬するしかねぇだろ」
師匠と呼ばれた老齢の男は、自身の短い白髪を面倒くさそうに掻きながら端的に答える。しかし赤髪の男は全く納得して居ない様子で、言葉を返す。
「それは、そうだとは思いますけど…効率の良い修行場所等無いんですか?」
「そんな事言ってもなぁ…俺からしてみりゃ、お前はまだまだ基礎を固めろとしか思わんしな…」
「うっ…確かに師匠から見たらそうかも知れませんが、俺だってもっと強くなりたいんです!」
「お前なぁ…一歩を確実に積めない生物に進歩は訪れんぞ…」
「分かっては居るつもりですが…」
「はぁ…」
それとなく諭そうとした老齢の男であったが、全く引く気配のない若者を見て、ああ、過去の自分もそうで在ったなと、懐かしさを覚えた。
過去の自分ならば、自分の師から何を言われようとも、引くことは無いであろう。
であれば、師がそうした様に、自分も弟子に同じ事をすればいいでは無いか。
老齢の男はこの国のまともな人間ならば絶対に近づくことのない禁足地の名前を挙げる事にした。
まともな人間ならばその場所をひと目見ただけで二度と近づく事のない、竜の住処の名前を。
人生に置いて最も幸せな時間とは何か?恋人との時間?美味しいものを食べる時間?それとも時間に縛られずに寝れる時間だろうか?
答えは勿論、剣を振っている時間である。
剣は良い…誰にも邪魔をされること無く、ただただ無心に剣を振るい汗を流す。
それだけで全ての悩みが吹き飛び、幸福感が溢れてくるというものだ。
自分でも理解しているが、俺はかなりの面倒くさがりだ。
人との交流が面倒くさい、深く考えるのが面倒くさい、家から出るのが面倒くさい、兎に角なんでも面倒くさい。食べるのと寝るのは好き。と言った怠け人間である。
しかし俺が住んでいるのは田舎も田舎。超ド田舎である。他に人のいる場所へと行こうと思ったならば軽く一週間はかかる。それくらいの田舎なのだ。
なので当然村の人間は皆が協力し、助け合って生きている。それぞれが得意な事をして、お互いに提供する、この村はそうして成り立っていた。
俺は剣が得意なので、狩りの担当だった。これも面倒くさいが、他のことに比べればまだマシだ。それに自分だけ何もせずに暮らしていくのは、余りにも不義理が過ぎる。流石にそんな事はしたくなかった。
食料が減ってくれば、狩りに出て獲物を持って帰る。それが俺のこの村での仕事だった。
「ふっ!ふっ!ふっ!」
そうして暇な時間が出来れば剣を振る。食事と睡眠と素振り。俺の人生はこれさえあれば全て完成する!!ああ、なんと幸福な時間だろうか。
「ふっ!ふっ!フフッ…ハーハッハッハ!!!」
余りの幸福感に笑いも飛び出すという物だ。きっと俺は今、世界で一番幸せだと思う。願わくばこの時間がずっと続きますように…
「この時間がずっと続きますように…」
「お兄ちゃんそれ、続かない人のセリフだから」
おっと、いつの間にか考えている事が声に出てしまって居た様だ。近くに金髪の少女が居る事に気が付く。妹のティナだった。
「そんなに楽しいの?素振り」
「妹よ…お前も剣を振れば分かる事だ…」
「う~ん、私にはよく変わらないな~」
「勿体ないな…この剣と一体になり世界と同化する感覚…これを味わえないなんて…」
「き…そんな事よりご飯出来たから早く来てね」
き?妹よ何を言おうとしたんだい?
まあ良いか。俺は深くは考えないのだ、面倒くさいから。ティナに食事の準備が出来たと言われて、そう言えば朝から何も食べていなかった事に気が付く。
既に太陽は真上を過ぎていた。つまり半日の間飲まず食わずで剣を振っていたのだ。その事実を自覚すると急に腹の音が鳴った。
「お兄ちゃんの好きなやつ作ったからね!」
俺の腹の音を聞いたティナは眩しい笑顔でそう言って来た。ああ。
「こんな時間がずっと続きますように…」
「…お兄ちゃん本当は続いて欲しく無いんじゃ…?」
ティナは訝しんだ。