15話「お兄ちゃんは心配です」
「ルミスくん、ここまでの護衛ありがとう。セイラン殿下への報告書です。これを至急、殿下に……お願いしますね。拠点もここに移します」
「その方がよろしいかと。あの弟君だとレオナリス様にとっても安心かと……いや、その……不安もおありでしょうが……」
道中、表情を崩すことのなかった……王家の影でもあるルミスくんがめずらしく言い淀んでいる。
すごくよく分かるよ、その気持ち。弟と歳の近い彼の頭をポンポンと撫でる。表情は動かない彼だけど、素直ないい子である。
「私がいると弟もこれ以上のことはしない……とは言い切れないけど、善処するよ」
「……せめて、お体だけでもゆっくり休めてください」
そう言って、ルミスくんは王都へ戻って行った。
――それにしても昨日は色々……衝撃だった。
急ぎ辺境までやって来た僕だけど、街中でリシアンに会うとは思わなかった。串焼きを片手にした彼は街に馴染んで……いや、ゴルディくんが大きいからかなり目立ちはするんだけど、すっかりこの街の住人だった。一回り逞しくなったその背中がうれしくもあり、ほんの少しのさみしさもあった。
人混みを難なく、それも僕が歩きやすいように先立って歩いてくれるリシアン。昔は僕が手を引いて歩いていたのになぁと、あの頃を懐かしく思った。
ミレアさんも学生の頃と雰囲気が変わったことに驚いた。大人しく儚げで、背筋を伸ばして図書館で本を読む姿は美しくて。僕の友人たちは「書架の姫君と一度でいいから話してみたい」「婚約者がいなかったらな……」とよく話していた。
卒業と同時に伯爵家に嫁いでわずか3年で離縁されたと聞いたときは驚いたものだ。
王都では「儚げな令嬢が熊に攫われた」なんて噂があったけれど、バルドレム先生が「嫁ぎ先も実家も……あいつらは何も分かっちゃいない」と離縁されてすぐのミレアさんを保護したことを知っている。
ひどく衰弱したミレアさんにバルドレム先生が憤っていた。男の人を怖がるらしく、その時は会えなかったけれどバルドレム先生が辺境に連れて行ってからはだいぶ落ち着いたらしい。
翌年にリシアンがバルドレム先生に弟子入りした際に、彼女が姉弟子として先にいたそうだから何らかの区切りはついたのだろう。
リシアンからの手紙にも「ミレア姉さん」と度々彼女の話があり「僕のことは兄上って呼ぶくせに……」と少しうらやましく思っていた。
久しぶりに見た彼女は儚げな見た目はそのままにリシアンを叱ったり、大きな声も出すからあの頃のイメージとはずいぶんと違って見えた。今の彼女のほうが生き生きとしていて、よかったなぁと思った。
リシアンとはまるで姉弟のようなやり取りが楽しげで、微笑ましかった。それなのに……弟が世話になっているしと用意した菓子折り、まったく表情にも態度にも違和感がなくて全然気が付かなかった。ミレアさんのレシピの菓子店とさえ知っていれば別のところで買ったのに……思い返しても恥ずかしい。
リシアンの薬店でもあり、家でもあるそこは辺境大森林の麓にあった。宿屋を改装したというだけあって、薬草など各素材の保管場所、研究室、入院もできるようなシンプルな個室など部屋数の多さを活かした造りだった。
「お好きなところを見て回って大丈夫ですよ」というリシアンの言葉に甘えて色々と見て回った。資料室にはバルドレム先生の研究資料やメモがあって、その内容が興味深くすっかり読みふけってしまった。続きが気になって、ついリシアンのところに泊まることにした。
リシアンが料理ができることも意外だった。丁寧に下処理をされた山鳥は、臭みもなくハーブ塩で旨みが引き立っている。このハーブ塩、王都に帰るときに持って帰りたいな。それか調合を知りたいくらい、本当においしかった。
リシアンは「パンは!苦手で……あの、めっちゃ固くて」と言っていたけれど、噛むほどに小麦の風味がしっかりしていておいしかったよ。
洗い物くらいは僕がと思ったんだけど、リシアンは「水の精霊に頼んで一緒にやるんで!」とさせてはくれなかった。せめてお皿くらいは棚にしまおうかとリシアンに声を掛けた。
「どうしました、兄上?」
呼びかけた僕と反対方向を、ためらいもなく振り向いてそう言うリシアン。
おそるおそるこちらに向き直るその顔には「やってしまった」としっかり書いてあった。
「リシアン、それが終わったらここに座ってお兄ちゃんと話をしようね」
そう言って、リシアンの洗い物が終わるのを待ちながら考える。
いつからだ?
僕は昼からずっとリシアンと一緒にいたけれど、思い返しても不自然なところはなかった。ずっと同じ側に立っていたわけでもない。後ろから呼びかけたのも、これが初めてというわけでもない。
街の雑踏の中でもリシアンとは会話をしていたし、慣れた様子だった。……けっこう、経っているのかもしれない。本人に確認しないと分からないけれど、もしそうなら治療のタイムリミットは2週間。……最悪、1か月くらいなら少しは改善できるかもしれない。
リシアンからの手紙が届いて1か月。
――兄上、俺はこの辺境の街で今日も薬師として元気に過ごしています――
君は、どんな気持ちでこの手紙を書いたの?
――大丈夫だって!フツーに仕事も行ってるし……うん、問題ないよ――
前世の弟とどうしてもダブって見えてしまう。何で君はいつもこうなんだろうか……頼っては、くれないのか。
今世でも僕は、また何もできないのだろうか。
それなら、せっかく記憶を持って生まれた意味がない。でも、今の僕には治癒魔法がある。これで何とかしたい。そうしないと……僕は自分を許せない。
「さて、リシアン。お兄ちゃんに何か言わないといけないことがあるんじゃないかな?」
頼むから最近のことであってくれと願う。
「……すみません。先程は言えなかったんですが、兄上の手土産の菓子折り。あれ、ミレア姉さんの薬草菓子が評判になったからレシピを提供して出来た菓子店のです」
キリッとして言うリシアン。君はいつもそうやって茶化して、誤魔化して……。
もう一度問うと、やっとその口を開いた。
「……実は、新年祭の頃から左耳が聞こえなくなってて。でも!精霊言語だけは聞こえてて!」
……新年祭。
「お兄ちゃんは今、精霊言語のことは聞いていないよ?」
「はい……」
呆然として平坦な声になった僕に、怒られていると思ったのかリシアンはしょんぼりとしている。
「早く言ってくれたらよかったのに……」
……僕は、また間に合わなかった。
新年祭なんて……もう3か月以上も前じゃないか。早く言ってくれていたなら、いや……リシアンをヴァルディリア子爵家から出さなければよかった?辺境ではなく、僕と王都で暮らすようにすればよかったのか?
新年祭の頃、僕は何をしていた?……あぁ、仕事が忙しいなんて言わずに短くてもいいからもっと手紙を送ればよかった。
もしも、この世界に電話があったのなら。
今度こそ、何を置いてもお兄ちゃんは君のもとへ駆け付けたのに。
電話があれば……2週間あれば王都から辺境に着いたんだ。そうしたら、きっと間に合ったのに。
「ごめんなさい……」
俯いたリシアンが震える声でそう言う。君は何も悪くない。謝ることなんて一つもないんだ。
「怒っているんじゃないよ、リシアン」
リシアンの頭をポンポンと撫でる。
「リシアンが強い子なのは知っているよ。今日だって全然そんな素振りもなかったんだから。ここまでにきっと色々苦労もしたんだろう?だから、心配くらいはさせてほしいな。僕たち、家族じゃないか」
どうしていつも器用な君は、こんなときだけ不器用なんだろうか。それが悲しくて愛おしい。
「ほらリシアン、顔を上げて?もう隠していることはないでしょう?」
慰めるように、できるだけ動揺を見せないようにやさしく尋ねる。
今世では貴族。表情を隠すことが……僕は前よりずっとうまくなったんだ。
「別に隠してはいないけどまだ報告してないのがいくつかあって……」
この前置きから始まったリシアンの報告は……貴族だから表情を隠せるなんて言ってられなかった。僕もまだまだなんだろうけど。
リシアン、お兄ちゃんはオーバーキルですよ……。
「高位の精霊から精霊言語の翻訳機能もらって、話せるようにもしてくれました!」
すごく、いい顔で報告してくれているリシアン。……リシアン、君はこの間精霊言語が分かるようになったんだよね。単語の意味が一つ分かるとか……そんなレベルじゃなかったっけ?
「高位の精霊」もちょっと聴き逃がせない単語なんだけど、その後の破壊力がすごいよ……。
せめて翻訳機能ならまだしも話せるって何?精霊言語で会話ができるレベルだった日にはもう……
どうしていいか分からないよ。
「めっちゃかわいいお蚕さんがいるんですけど、幻蚕って魔獣だったみたいです。うっかりだいぶ前に俺がテイムしてたらしいです」
……お兄ちゃん、リシアンがいるから辺境大森林の魔獣のことも調べているんだけど「幻蚕」って言った?僕が文献で知った幻蚕は、辺境大森林でも最強クラスの魔獣なんですが……。幼体はそこまで強くないけれど、近くに必ず生体がいて近付くもの全てを滅する勢いで攻撃してくると見たのですが。あとこちらの攻撃魔法は協力な反射魔法で撃ち返してくるし、Aランクの冒険者パーティーでもそうそう手出しはできないんじゃなかったっけ?
リシアン……それは「めっちゃかわいいお蚕さん」とは対極の存在だよ。「うっかり」とか「だいぶ前」の詳細がお兄ちゃんは気になるけど、聞かないほうが心の平穏を保てると思うんだ。
「あと風の精霊と契約をして……風乃、おいでー!」
……リシアン。何で貴族学院に行かなかった君が、精霊契約のやり方を知っているのかな?
これもまたうっかりなんて言い出さないだろうか……遠い目をしたくなったけれど、詳細の確認は必要である。
これは他にも確実に何かしているだろう。リシアンが辺境で何をしていたか、他の者に確認を取らなくてはならない。
リシアン……いつになっても、お兄ちゃんは君が心配です。




