第9話 頼みたいこと
姫宮は細身ながらも凹凸がしっかりあるし、顔も可愛いと思う。
残念ながら口を開けば棘が出てくるわけだけど、それも愛嬌のうち。
それなら宿代代わりには当然なるというのが俺の結論。
……しかし、だ。
「そういう問題じゃないんだよなぁ」
ため息交じりに呟く。
俺が姫宮を泊めているのは、他に頼るあてがいないから。
あまり進んで助けたくないけど、見捨てたら野宿かパパ活紛いのことに手を出すことが容易に想像できるから、これが最善だと思っている。
クラスメイトでバイト先の同僚という薄すぎる関係性でも、そこまでの状況で助けを求められれば手を差し伸べる程度の優しさはあるつもりだ。
姫宮が言っていたように、俺は偽善者なのだろう。
ただ、その行いに対価を求めるかと聞かれれば話が変わる。
「姫宮、逆に訊くぞ。俺がもしここで姫宮の身体を泊める対価という大義名分のもとで好き放題に犯したとする。それで姫宮は晴れやかに朝を迎えられるか?」
「……そんなわけ、ないでしょ。でも、私は何かを支払わないと、ここにはいられない。これでも申し訳ないって思ってるけど、私は幽深くんを頼るしかないの。いまさら他の人に事情を話して自分の弱みを喧伝するくらいなら、今後も泊めてもらえるように幽深くんに身体を差し出す方が――」
「そこから間違ってるんだよ。頭いいのに馬鹿だな、姫宮って」
「ばっ……!? なんでっ!? 差し引きゼロの関係でいるにはこれが一番っ!」
「どこが差し引きゼロだよ俺が貰い過ぎだアホ。美少女を泊める代わりに身体の関係になるとかどこのエロ漫画だよ。そんなのバレたらアレだぞ。学校にいられなくなるんだぞ、俺が」
「……保身を先に考えてるの、本当に最低ね」
姫宮は感情的になっていたのに、俺の言い訳を聞いた途端に冷たい目を向けてくる。
そりゃあ俺だって姫宮と身体の関係を迫られて、多少は嬉しい思いもあった。
けど、俺は厄介拗らせクソ童貞だから初めての相手はちゃんと好きな女の子と、って決めてるんだ。
容姿だけならじゅうぶん合格点とはいえ、感情がついてこないと燃えないだろ?
あとね、保身って結構大事よ?
集団で孤立するのは、案外辛い。
二度とそうなりたくないって思うくらいには。
「自分の身は自分が守るしかないんだよ。その点、姫宮は家を出て、俺を頼ることで身の安全を確保した。なのに身体を差し出すのは矛盾してるだろ。もっと健全に生きてくれよ。まだ高二で先は長いんだからさ」
「呑気なことを言ってられる場合じゃないの、わかるでしょ? 私に相談もなく男の人を連れ込んでいたお母さんを信じられそうにない。あの男がいるかもって考えたら家にも帰れない。家はあの通りの貧乏だから学費も自分で稼がないといけない。でも将来の可能性は諦めたくない――そんなの、強欲すぎるのよ」
悔しそうに顔を歪め、首を振る。
そして、ゆっくり開けた瞼から薄く覗いた青い瞳を、おもむろに逸らす。
「私は何かを捨てないと普通の人生を歩めない。そういう風に出来てるの」
「……だから俺に身体を差し出すって?」
「そうよ。どうせ将来、好きでもない誰かに奪われて、多少の金銭を得るためだけのものだった。恋愛なんてしてる暇はないし、出来る気もしない。相手が今は知らない誰かから、今目の前にいる幽深くんに変わるだけ。それに……初めての価値は高いって聞くし、押し付けてしまえばなし崩し的に居座れると思ったのも認めるわ」
姫宮は自身の魂胆を白状していく。
そんなところだろうと思っていたけどさ。
「やっぱり姫宮ってバカだわ」
「だからなんでそうなるのよっ! 私は、私は……っ! ……ただ、必死に生きようとしているだけなのに」
「必死さの使い方が間違ってる。これまでも身体を売ってきたとかならまあ百歩譲って理解できなくもないけど、初めてなんだろ? 俺みたいな平凡男子に安売りすんな。将来好きになった男に『私初めてなの』って言えば即落ちだぞ? いい顔と頭に生まれたんだから将来安泰の優待券をこんなとこで使うなよ」
「私は安売りなんてしてない。使うべきところで、切れる札を切っているだけ。多少の損は見過ごさないと先に進めないの」
「他にあるだろ色々。学校はサボらず学業熱心、バイトの掛け持ちをしてまで稼いでるのは将来に向けての貯蓄を作るためか? 華の女子高校生が友達も恋人も作らずに、たった一人で日々を過ごす虚しさすら耐えるくらいクソ真面目なら、こんなとこで自分を捨てんなよ」
強いて言うなら勿体ない、が俺の結論だ。
貞操にしても、信念にしても、捨ててしまえば拾い直すのは難しい。
前者なんて一度きりのもの。
後者も一度捨てたという烙印が押されてしまう。
折角綺麗なままでやってきたんだ。
こんなところで捨てるのは、割に合わない。
「じゃあ、どうしたらいいのよ……っ!」
しかし、それで納得できるのは部外者で、冷静な俺だけ。
当事者の姫宮とは見えている世界も、抱いている価値観も違う。
ここで論理を成立させるには姫宮が納得できる代替案を示さなければならない。
美少女が家にいるだけで対価としてはじゅうぶん、なんて言っても「馬鹿じゃないの?」と一蹴されるだけだしなあ。
対価、対価……姫宮が俺に差し出せる価値。
姫宮に貞操も信念も捨てさせない、健全な範囲でのもの――
「あー、あったわ。頼みたいこと」
「……なに?」
「家事してくれよ。飯と掃除。洗濯は自分でやるけど。流石に同級生の女の子に使用済みのパンツを洗われるのはちょっとな」
一人暮らしを初めて一年ちょっとの俺は、家事を一通りできる。
けれど、家事をすることは手間だと思うし、出来るならやりたくない。
だったらそれを姫宮にやってもらうことで対価と出来ないだろうか。
俺が面倒ごとが解消されて、姫宮はそれを対価として気負うことなく居座れる。
両者ウィンウィンのパーフェクトプラン……!
俺のIQ2000の頭脳が羨ましいか?
「……そんなことでいいの?」
姫宮の反応は怪訝だった。
まともな内容だっただけに、姫宮も一考の余地があると思ったのだろう。
まだ家事では足りなそうにしているのが伝わってくるけど。
「そんなことって簡単に言うなよ。家事って大変なんだぞ? 飯作るのも、掃除も、洗濯も、ほぼ毎日やることだ。余程の家事好きじゃなきゃサボりたいって思うのが普通だろ。俺もそうなんだよ。だから、俺のために何かさせろ~ってうるさい姫宮に押し付けることにした。どうだ? これなら対価にも不足ないだろ」
「……うるさいは余計よ。でも、本当にいいの? 私の身体を好き放題に出来る一世一代のチャンスをふいにして」
「だから言っただろ? 初めては好きな女の子とのイチャラブエッチに限るって。その点、姫宮は不合格だ。別に異性としては好きじゃないし」
「でも私のことガン見してるじゃない」
「恋人がいてもAVやらグラビアやらに興味を持つみたいな、いわゆる別腹だ。性的興奮なんてものは好きな人だけに向けられるものじゃないだろ?」
「……なんか納得するのが癪ね」
「これも世界の真実だろ。とりあえず服着ろよ。もう散々見たし」
「…………言われなくてもそうするわ」
姫宮はむっとしながら俺の上を退き、背を向けながら脱ぎ捨てていたTシャツを拾い上げて着直す。
その後で、再びベッドの傍に寄ってきた。
また覆いかぶさってくるのかと思ったが、おもむろに開いているスペースに腰を落ち着けるに留まる。
「私は幽深くんに泊めてもらう対価として家事をする。内容は掃除と食事の用意で間違いない?」
「それでいい。食費は折版だな。あくまで姫宮に貰うのは食事を用意する労力だけだ。飯は二人で食うんだし」
「……そうしてくれると助かるわ。じゃあ、それでお願い」
「任せた。姫宮も気が済むまで泊まってくれていい。不便なことがあれば言うように。生活に必要なものは買い揃えないとな。収納とかも専用のがあった方がいいだろうし。俺に下着とか見られていいって言うなら別だけど」
「いいわけないでしょ。さっきのは……忘れろとは言わないけど、私にだって羞恥心はあるんだから」
「恥じらいなく下着姿を見せられても情緒がないんだよなぁ。あ、ラッキースケベ的な展開は歓迎だぞ? その時は大いに恥ずかしがってくれ。全俺が喜ぶ」
「……そうよね。それを聞けて安心したわ」
「どこに安心する要素があった??」
「幽深くんもちゃんと男の子だったんだって思っただけよ。捻くれ者で変なところで誠実だけど、性欲がないわけじゃない。あんまり無防備なところを見せていたら襲われそうね」
「襲わねえよ。社会の目が怖い」
小心者具合を舐めて貰っちゃあ困る。
完全にノーリスクの状況じゃないと手を出せるわけないだろ?
その癖さっきの申し出を受け入れていれば今頃俺は童貞卒業していたのに……とか若干の後悔もしている辺りが特にポイント高い。
姫宮は俺の答えに呆れていたけどな。
まあ、精々俺が自らのポリシーを捨てて襲う理由を作らないようにしてほしい。
「……ねえ、幽深くん。この流れで頼むのは気が引けるけど、一つだけいい?」
「聞き入れるかは内容次第だ」
「じゃあ言わせてもらうけど……今日、隣で寝かせて。一人だと家のことを思い出して、眠れそうにないの」
……早速俺の理性を揺さぶろうとしてくるのやめてくれません?
雰囲気もなんかいじらしいし、刺々しさが薄れて可愛げみたいな何かを感じる。
そういうギャップは非モテオタクに効くんだぞ。
タイプ相性的には非モテとオタクに対する美少女で四倍な。
しっかしまあ、そういう理由なら拒むに拒めないわけで。
「余計な真似をしないなら好きにしてくれ。ベッドから転げ落ちないようにな。シングルで狭いし」
「……ありがと。でも、変なところを触ったら許さないから。あと、寝顔を見るのもダメ。反対側向いて寝て」
「頼みを聞いている側なのに酷い扱いだ」
「美少女が家にいるだけでじゅうぶんって言ってたじゃない。添い寝までしてあげるんだからむせび泣いて感謝してくれてもいいのよ?」
「神様仏様姫宮様~!」
わざとらしく頭を下げれば「うるさい」と言葉では冷たくあしらいながらも、薄く笑っていた。