第4話 特殊性癖を愛する人は認識が拗れているから一般性癖って主張するもの
「よし、そろそろ行くか」
先に姫宮を送り出した俺は、時間を空けてから学校へ向かう。
道中で一緒にいるのを誰かに見られたら面倒なことになる。
人畜無害で主張の薄い一般男子生徒としてやってるからな。
学校で屈指の人気を誇る姫宮と関わりがあるのを知られてはいけない。
学校までは数駅離れているため電車通学。
朝の満員電車に辟易しながらも乗り込み、十分ほど耐えればやっと解放された。
そこから徒歩数分で俺が通う上里高校が見えてくる。
今日も一日、それなりの高校生活を目指してほどほどに頑張ろう。
俺みたいに中途半端な人間には、薔薇色の青春なんて高望みだ。
「おーい、司ーっ!」
後ろから聞こえた陽気な男の声が、俺の名前を呼んでいた。
直後、肩を軽く叩きながら隣に並んだのは、明るい茶髪の男子生徒。
背が高く爽やかな笑顔を浮かべながら白い歯を見せつける、見た目だけなら好青年間違いなしの陽キャ――綾辻陽介。
いかにもモテそうな雰囲気だが、色々あって女子からは蛇蝎の如く嫌われているのを一年の頃から付き合いがある俺は知っている。
「なんだよ、陽介。朝っぱらからうるさいな」
「司は相変わらずツンツンしてんなぁ。もうちょいデレてくれてもいいだろー」
「男のツンデレに何の需要があんだよ」
「意外とそういうの好きってやつがいるかもしれないだろ?」
「色物枠で目を付けられるのは御免だ」
俺は平凡極まる男子高校生。
試験の順位は中間くらいだし、モテることもなければ誰かを好きになることもない。
「てか……司、なんか女の匂いしねえか?」
すんすんと鼻を鳴らしながら犬みたいなことを言いだし始める陽介。
心当たりは一つしかないけど、それを口にした覚えはない。
どんな嗅覚してるんだよ、本当に人間?
「彼女もいないのに女の匂いなんてするわけないし、こんな場所で匂いを嗅ぐな。誤解されたらどうしてくれるんだよ」
「マブダチなんだからいいじゃんかよぉ。でも、確かに女の匂いがしたんだよな」
「あと、そんなんだから女子に避けられるんじゃないか?」
陽介が女子から避けられている原因は、一年の時に女子へ告白してはとっかえひっかえしていたからだ。
初めは陽介のルックスに惹かれて告白を受ける女子もいたが、交際は長くても一週間程度で終わったらしい。
理由は俺も知らない。
人の色恋に首を突っ込むほどの興味がなかったが、そういう噂が段々と広まって陽介は女子から嫌われてしまっている。
原因の一端は薄々察せられるから否定はしない。
それはそれとして女の匂いってなんだよ、そんなに染みついてる?
どことなく甘い匂いっていうか、そういうのがあるのはわかるけど。
「俺は学校の女子は諦めた。時代は年上お姉さまなんだよ。今も彼女がいるし」
「……ちなみに何人?」
「彼女は一人だぞ? セフレは二人。羨ましいか?」
「全然」
爛れ切った生活を告白されても俺は動じない。
そういうことは好きな人と――って思ってるピュアピュアノンケ男子だぞ?
……ピュアな人間はノンケとか言わないって?
それは本当にその通りだけど、自認はピュアなんです信じてくださいなんでもするとは言いませんけど!
軽口の応酬をしながら上履きに履き替え、教室へ。
クラスメイトの雑談の声を聞き流して席に着く。
俺の席は窓際最後列という絶好のポジション。
席替えは当分なくていいと思っている。
陽介は二列ほど離れた席で別の友達とワイワイ話していた。
賑やかな陽介から視線を外し、次に見たのは俺の真反対……入り口側の最前列。
そこに座っているのは俺より先に学校へ向かった姫宮だ。
姫宮は今日も教科書を広げて授業の予習をしていた。
バイトに励んでいる分を補うため、こういう隙間時間に勉強しているのだろう。
ああ見えてかなり真面目な生徒として通っているし、成績もかなり良かったはず。
ストイックな性格をしているな、ほんと。
姫宮の邪魔をしないためか、周りの席に座る人は静かにスマホを眺めたり、別の席で友達と話している。
いくらモテるといえど、性格的に群がられるのは好んでいない。
だから一人でいるのが常なのだが――
「おはよ、幽くん」
すぐ隣からかかったのは囁くように柔らかく、息を含ませた女子の声。
隣の席のクラスメイト、一条瑠璃のものだ。
一条は黒髪ボブカットで小柄な体躯の、小動物めいたダウナー系女子。
初めて目にした時は本当に高校生なのか疑ったほどの小柄さだ。
制服もぴったりのサイズがなかったらしく、袖をいつも余らせている。
なのにスカート丈は折って調節していて、膝上数センチの黄金比を保っているあたり、女子高校生としてのプライドが窺えた。
身長だけなら小中学生に間違われる体型なのだが一部……主に胸元の主張は女子高校生の平均値よりも大きいのではなかろうか。
いわゆるロリ巨乳体型で、その手の人から熱烈にモテるんだとか。
そんな一条が女子たちの間でマスコット的な扱いを受けるのは自然な流れだった。
たびたびお菓子で餌付けされたり、撫でまわされているが、本人はまんざらでもなさそうにしている。
俺と一条は、それなりに話す程度には仲がいい。
隣だからなのもあるが、一番は趣味が合うからだろう。
互いにインドア派で、アニメや漫画が好き。
「一条もおはよう。相変わらずいい声だな。耳が癒される」
「それほどでもある」
表情をほとんど動かさないままピースを掲げる一条。
この雰囲気でノリがいいのは面白いし、本人も狙っている節がある。
「幽くん疲れてる?」
「疲れるほどのことはしてないはず。バイトはいつも通りだし」
「気疲れなのかも。心も休めないとダメ」
「一条と話してるだけで落ち着くよ。精神安定剤だ」
これは本当のこと。
声質が凄い良くてな……耳が幸せだ。
耳元で囁いてくれたら昇天するかもしれない。
「幽くん、真面目な顔して意外と調子がいい」
「それは一条も同じじゃないか? ダウナーっぽいのにノリいいし」
「似た者同士かも。いえい」
眉一つ動かさず、今度は両手でピースを作る。
このあざとさは何かしらの法に触れるんじゃないか?
なんて思っていたら、珍しく視線を感じた。
誰かと思って周りを見渡すと……目が合ったのは一番遠くに座っている姫宮。
しかし、すぐに視線を逸らされ、勉強に戻る。
青い瞳に込められた感情は何だろう。
負の感情ではない、と思う。
近しいのは興味や関心だろうか。
なんとなく気になって眺めていた……みたいな、そういう雰囲気を感じた。
その理由には心当たりがあるわけで。
「難しい顔してる。どうしたの? 話聞く?」
「話せたら苦労しないんだけどなぁ」
一条が周りに話すとは思えないけど、胸の内に留めておくのが安牌。
迷惑がかかるのは俺だけじゃなく姫宮もだし。
姫宮は猫被りが、俺は姫宮を家に泊めたのがバレてしまう。
総合的な被害で言えば絶対的に俺の方になりそうだ。
猫を被っているくらいは可愛いもの。
俺は学校中の男子が羨む姫宮を家に泊めたってことで極刑に処されかねない。
そういうのはあることないこと尾ひれがついて噂が広まる。
そうなったら最後、平穏な学園生活は望めない。
やっぱり何かしら対価を貰っておくべきだったか?
冷静になって考えると俺が背負ったリスクが重すぎる。
……とはいえ姫宮の身の安全を考慮したら後悔はしていないけど。
流石に何も知らない外野から文句を言われる筋合いはない。
もし変な噂が広まったら、その時は姫宮に泣きつこう。
鶴の一声でどうにか噂を鎮めてくれ――ってな。
「男の秘密なら仕方ない。一つや二つはあって然るべき。性癖のこととか」
「俺の性癖は一般の範疇だからな」
「特殊性癖を愛する人は認識が拗れているから一般性癖って主張するもの。怪しい」
なんで俺は朝から性癖尋問されてるんだよ。
「妙に詳しいんだな。経験則?」
「……知らない」
一条は表情一つ変えずに顔だけ逸らす。
図星か?