第96話 魔虫ユスリカと軍隊ハネオオアリ
思わぬところでどら焼きを盗み食いしていたことがラキにバレたセシリアだったが、
「食べた分倍返しの法則」を適用され、なんとかその場をやり過ごすことができた。
しかし、のんびりしている暇はない。話は再び、軍隊オオアリの駆除作戦と、魔虫アブンブの襲来へと戻っていく。
「この新機能モニターを使えば、ザンザたちの近くにいる陽光兵が映している映像を、そのまま見ることができるんですよ。……それを説明したかったのですよ」
セシリアが説明すると、ラキは「ああ、そういうことだったのですね」と、やや遅れて納得の声を上げた。
「じゃあ、早速見てみますね」
適応能力の高さでは定評のあるラキは、説明を聞くや否や、もうモニターを指先で自在に操り始めていた。
指の動きは迷いがなく、まるで以前から使い慣れていたかのようだ。
「左上の小さいのがミニマップですね。拡大すると、小さな点が陽光兵の位置になっていて……その点を選ぶと、その兵士が映している映像が表示される、と」
「ラキちゃん、すごく飲み込みが早いね」
「なんか、感覚で分かるというか……」
「これはもう、秀才の素養があるとしか言えないわ」
ラキは地図の左翼奥をタップした。
すると、モニターに光が走り、現在のザンザの姿が映し出される。
「ザンザ様、映りましたよ」
「どれどれ……」
セシリアはまだモニターを扱うのが苦手で、自分のモニターを操作するよりもラキの肩越しに画面を覗き込むことにした。
そこには、槍を持ち、何かの魔物と激しく交戦するザンザの姿があった。
ザンザが空中に向かって手を振り払う。その仕草を見て、セシリアはすぐに察した。
「間違いなくアブンブだね」
「えー……そうですか? なんか、ちょっと見えにくいですけど……」
ラキが映像を拡大しようと、画面を二度タップした――その瞬間。
「ブンブン・ブブン!! アブンブン!」
モニターから、羽音と掛け声のような音が大音響で響き渡った。
「うわっ、うるさっ!」
「アワワワ!」
思わずセシリアも、周囲の者たちも耳を塞ぐ。
ラキは慌てて操作を試みるが、間違えて光量を下げてしまい、アブンブの羽音だけがしばらく鳴り響いた。
音量を落とせたのは、場が混乱に包まれてからのことだった。
「び、びっくりしました……音まで拾っていたんですね」
「ま、間違いなくアブンブだったね……今ので確信したよ」
「そ、そうですね……」
「レーカさん、ザンザに『歩みを止めずに進め』と伝えて」
「かしこまりました」
一方、ザンザたちがいる左翼前線では――。
「えっ? このまま進め? ……分かった」
伝令からの報告を受け、ジンはザンザの方へ顔を向ける。
「セシリアはなんと?」
「このまま進めと言ってるみたいです」
「そうか……」
だが、進軍は容易ではない。アブンブたちは執拗にアタッカー隊を煽り、時折鋭い顎で刺してくる。
兵士たちが槍をクルクル回して払っても、再び舞い戻っては耳元や肩口を狙う。
そんな中、今度は高く甲高い羽音が、空気を震わせながら迫ってきた。
「パラリパラリンプ〜ン……?」
ジンの表情が険しくなる。
「嘘だろ……」
「どうした? いてっ!」
ザンザがアブンブを払いつつ尋ねる。
「パラリンプ〜ンは魔虫ユスリカの羽音だ」
「ユスリカなら、刺してこないから大丈夫だろ?」
「確かに刺しはしない。だがな……あいつらの羽音は、耳元すぐで聞こえるくらい小さい音だ。それが遠くからでも聞こえてくるってことは――」
ザンザの眉間に深い皺が寄った。
「マジか……」
「アブンブなんて比じゃないくらい、うざったいぞ!」
ユスリカは体長三センチにも満たない小さな魔物だ。
吐息の匂いを好み、鼻や口、時には目や耳にまで群れで入り込み、呼吸や視界を奪う――ただただ不快極まりない存在である。
やがて、アブンブとユスリカが同時に群がってきた。
「ブンブンブブン! アブンブン! パラリラリプ〜ン!」
「うるせー! うぜー! いてぇ!」
アブンブは周囲をブンブン飛び回って刺し、払おうとすれば再び別の方向から襲ってくる。
その隙間を縫うように、ユスリカが目や耳の奥に入り込み、不快感を倍増させた。
兵士たちは不意に息を止めたり、目をこすったりしながら、じわじわと後退を余儀なくされていく。
そんな彼らを、遠く離れた場所から満足げに見下ろす影があった。
「んー、いい音だ……。しかも、奴らの味も悪くない」
暴食の中級悪魔、キマグレイ。
魔虫が味わったものを、己の舌でも共有できるという異能の持ち主だ。
この魔虫の大群をけしかけた張本人でもある。
「ベルゼブブ様が直々に任命してくださった、このエレバン帝国攻略……失敗は許されん。そのためには――」
キマグレイがパチンと指を鳴らす。
その瞬間、軍隊オオアリの最後尾から「ブブブブーン」という地鳴りのような重低音が響き、巨大な影が羽音を立てて前線へと迫った。
アブンブとユスリカの不快な二重奏に耐えながら、後退の歩を速めるザンザたちの前方から、新たな脅威が現れる。
「ブブブブーン!」
「この音は!」
「まだ来るのかよ!」
「軍隊ハネオオアリだ!」
「なんだそれは?」
ジンが短く説明する。
軍隊ハネオオアリ――飛行能力を持つ軍隊オオアリで、地上部隊が解体した獲物をそのまま巣へと運び去る。
八十キロ程度なら軽々と持ち上げ、時には生きたまま人間を連れ去るという恐怖の存在だ。
「なんだと……どうすればいい?」
「幸い、奴らはデカい。武器で叩き落とすしかない!」
「この状況でか……。よし、十人ほどで円陣を組め! 二人一組で縄や帯で体を繋げ! 二人分なら持ち上がられないはずだ! 徐々に下がれ!」
「分かった! ……くそ、ずいぶん下がってきちまったな」
「仕方ねえ!」
こうして、ザンザたちは第三師団が設置した中央観測棒まで、わずか三百メートルの位置まで後退してしまった。
シールド兵から中央観測棒までの距離は二百メートル。そこは第三師団の左翼ボウガン隊、弓隊、中央カタパルト隊、右翼バリスタ隊の射程内――つまり、射撃の基準点となる場所であった。
もう少し下がれば、彼らは味方の射撃範囲に入ってしまう。
退けば危険、進めば魔虫と軍隊ハネオオアリ――その狭間で、ザンザたちは踏みとどまる覚悟を迫られていた。




