第88話 極悪魔サーティーン
エリアたちが風の精霊殿に向かう前、空は天界の女神ティオーネの元に連行されて数日が経っていた。
「執事さん、お紅茶をいただけるかしら?」
ミカイルの優雅な声に、空は姿勢を正して一礼する。
「かしこまりました、お嬢様」
「こちらにもよろしく〜」
続いてガフリールも茶請けを求め、空は再び深く礼をした。
「かしこまりました、お嬢様」
ティオーネはそんなやり取りを微笑ましく見守っていた。
空が執事を務めている理由——それは、ミカイルとガフリールが浸かった温泉の水をミア・ムーアに回収させ、「万能薬・天使の雫」を製薬した罪によるものだった。天界ではその罰として、空に執事の務めが科されていたのだ。
そんな中、懐かしい人物が現れた。
「天界で罰を受ける者を見るのは初めてじゃな!」
揚老師——かつて空が天空界で修行したときの師匠だった。
「老師〜……」
「情けない声を出すでない。これも修行の一環じゃ。儂にもウーロン茶を頼もうかの」
「かしこまりました、老師」
「私はガイア産のおケーキを〜」
「かしこまりました、お嬢様。こちらをどうぞ」
空はかつて住んでいた惑星ガイアの記憶から、お気に入りのケーキをイメージし実体化させた。天界では天空門と同様、想像したものを具現化できる。ただし、女神の許可がないものはダメだった。
「ん〜、美味しい〜」
「ご満足いただき光栄にございます」
穏やかな時が流れる中、熾天使ウリイルが神殿に現れた。
「ティオーネ様、ご報告があります」
「なにかしら?」
「惑星イオにて異常な動きが観測されまして。謎のトンネルから魔物の大群が進行しており、ルシフィスとミカイルに——」
「ついに現れましたね」美加が静かに応じた。
「皆を助けに行きます」空の声も力強い。
ティオーネはうなずき、二人に任を託した。
空と美加が天空門へ向かおうとしたとき、ティオーネは美加だけを呼び止めて何かを伝えた。短いやり取りのあと、二人は天空門へと向かい、空はミラー城を思い浮かべて門をくぐる。
だが——
「……あれ? ここは……どこだ?」
出た先はミラー城ではなく、見知らぬ平原だった。
「空が黒い雲に覆われていますわね。ちょっと確認してきます」
美加が空へ舞い上がり、位置を特定した。
「ここはツベツ平原。エレバン帝国の北西に位置する場所ですわ。空、何か思い出しませんか?」
「……いや、特には」
天使だった頃の記憶がまだ戻らない空にとって、初めての地。しかし、ここはかつてルシフィスが堕天した因縁深き場所だった。
「向こうにエレバン帝国、北の外城壁が見えますわ」
そのとき、空と美加の頭に、不意に声が響いた。
(助けて……)
(私、どうしたの……?)
(なぜ魔物に……)
「美加!」
「私にも聞こえました」
「北西だ……人が魔物に変えられてる」
空と美加が現在地から北西に移動すると、遠くに人影が一つ見えた。
だが、空は強烈な悪寒に襲われた。
「美加、離れて!」
「はいっ!」
警戒しながら降り立つと、その人物はフードコートに仮面を被った背の低い男——空にどこか似ている姿だった。
「ようやく気付いたか」
「誰だ!」
「たかが数百年で忘れるとは……随分つれないな」
「……私にはそんな昔の記憶はない」
「そうか。記憶喪失か……だが、薄々気付いているだろ? 俺は“お前”だ」
「なんだと……?」
「少し思い出させてやるよ」
男が左手を掲げると、空の脳裏に古の記憶がよみがえる。
「これは……!」
「数百年前、お前は人間も魔族も救おうとした。だが、手に負えず、間に合わず、沈黙した。そして――今の俺がある」
「そんなはずは……!」
「人間なんて所詮、都合のいい時だけ神や天使にすがる存在だ」
「それでも……人間の中には、信じ合い、共に世界を守ろうとする者たちがいる!」
「成長したな。昔のお前なら、何も言わず口を閉ざしていただろう」
「……お前が“私”自身なら、どうやってこの世に存在している?」
「“コア”を手に入れた。そして名を得た。――今の俺は、“サーティーン”だ」
「……」
「俺が世界を支配する。だが、お前が望むのなら……ミカイルと二人だけの新たな世界を用意してやってもいい」
「……答えづらい誘いだが——断る!」
「ククッ、まあいい。今日のところは引いてやろう。だがいずれ、俺の協力が必要になるときが来る……せいぜい考えておくんだな。そしてまずは、あの魔物たちをどうにかするんだな」
言い終わるとサーティーンの足元に黒いモヤが現れ、その中へと沈んでいった。
「……奴も天空門と同じく、亜空間を使えるのか。美加?」
ふと隣を見ると、美加はうっとりと妄想に耽っていた。
「美加! しっかり!」
「はっ! 悪魔の甘言に惑わされましたわ……さすが、ルシフィス様から生まれた存在……!」
「……今はそれより、あの魔物たちだ。人が混じっている」
遠くに見える魔物の大群は、壁のように密集していた。
「どうしますか?」
「丸ごと吸い込んでもいいけど、サーティーンが隙を突いてくるかもしれない」
空は緊張感を高め、周囲に目を凝らす。対等な力を持つ分身のような悪魔が、自由に空間を行き来できることを知った今、油断はできなかった。
その時だった。
「空、後ろに人が……!」
空が振り向いた先——彼方から、人影が一人、そしてまた一人と、次々に現れていた。
「……あれは——」
空の目が鋭く光る。新たな展開の幕が、静かに開き始めていた。




