第86話 地の底からの裁き
ハリス皇帝にとどめを刺そうと、ハリアがハリス皇帝の短剣を拾い、振りかざした――その瞬間。
突如として、皇帝の周囲に白いモヤが立ち込めた。霞のように揺らめくその霧の中から、エリアたち一行が姿を現す。
「な、なんだ……?」
戸惑いの声を上げたハリア。その直後、真っ先に状況を把握したオレクが、猛然と駆け出し、体当たりを叩き込んだ。
ドゴッ!
「ぐはっ!」
壁際まで吹き飛ばされたハリア。その場に立つオレクが名乗りを上げる。
「おまいさんがハリア皇太子か……」
「貴様は何者だ!? どこから現れやがった!」
「俺はオレク。アレク・サンダー王の一番弟子よ!――エレノア、頼む!」
「了解!」
名を呼ばれたエレノアが指先を振り上げ、鋭い声で呪文を唱える。
「アイスピラー!」
青白い光が走り、ハリアの足元から氷の柱が立ち上がり、その動きを封じた。
「グッ……! 次期皇帝の俺に、こんな無礼を働いてタダで済むと思うなよ!」
憤るハリアを横目に、オレクはエレノアに問いかけた。
「エレノア、他は?」
「奴らは……そうか! 周りは大丈夫、動けないみたい」
そう答えたエレノアは、周囲を見渡すうちにイザーナと姉を襲ったキール、ガレスの姿に気づく。そして、アイアン・メイデン改の存在が頭をよぎった。
その間に、イザーナが急ぎハリス皇帝のもとへ駆け寄る。
「お父様! 今、助けます!」
血に染まり、地に伏す皇帝。その顔にはもはや生気が感じられなかったが、娘の声にかすかな力を振り絞り応える。
「おぉ……イザーナか……」
弱々しい声。それにイザーナは涙をこらえながら頷いた。
「はい! いま回復します。……キュア!」
回復魔法の白い光が皇帝の傷に注がれる。しかし、その癒しの魔力もむなしく、傷は癒える様子を見せなかった。
「……治らない。……この剣のせいね」
イザーナが皇帝の胸に突き刺さる黒き剣に手を伸ばそうとした――その時。
「待て!」
鋭い声とともに空間が歪み、隠れていた存在たちが現れた。左鬼、妖狐、ぽん吉、そして――雅閻魔。
「それはデモンズソードじゃ。耐性のないお主が触れれば、たちまち剣に操られ皇帝に止めを刺しかねんぞ」
慌てて手を引くイザーナ。
「……じゃあ、どうすれば」
少し困った様子の左鬼が答える。
「デモンズに関わる物は、天使の加護か高位司祭の退魔魔法でしか浄化できぬ……が」
その言葉の途中、天井から眩い光が差し込んだ。まるで金糸を垂らしたような神聖な光。
「これは……」
「天使の階段。魂の回収に来てしまった。儂らではどうすることも……」
光の中から舞い降りてきたのは、小さな白い翼を持つ天使――フランとダース。穏やかな笑みを浮かべ、ハリス皇帝のもとへと近づいていく。
「ダメ……来ないで! お父様はまだ生きてる!」
イザーナが必死に叫ぶが、天使の到来に呼応するように、皇帝の魂が体から離れ始めていた。
そのとき――
「イザーナ! これを!」
駆け寄ったエリアが、手にしたアイテムを差し出す。
「これは……?」
「空さんから託された天使のアイテム。詳しくは後で説明する。デモンズソードに使って!」
「分かった!」
イザーナはそのアイテムをハリス皇帝の傷口へと振りかけた。銀色の粉が広がり、デモンズソードは音もなく崩れ落ち、傷も癒えていく。
フランとダースは微笑みながら、離れかけた魂を皇帝の体に戻し、静かに天へと帰っていった。
左鬼が皇帝の脈を確かめる。
「命に別状はない。しばらくすれば目を覚ますだろう」
「……よかった、本当に……」
イザーナは胸をなでおろし、エリアに尋ねた。
「あのアイテム、一体何だったんです?」
「ええっと……空さんからもらった物だから……詳しくは分からなくて……」
「そう……空さんには本当に感謝ですね」
エリアはふっと視線を伏せた。 (あのアイテムの事は極力黙っておこう)
しかし、安堵の空気は一瞬で破られた。
「イザーナァァァ!」
怒声とともに、氷を砕いてハリアが立ち上がる。怒りに満ちた顔で叫ぶ。
「お兄様……」
「余計なことをしやがって! キール! 名誉挽回のチャンスをやる。イザーナを殺せ!」
だが、キールたちは動けなかった。声を震わせ、雅閻魔の方を見る。
「……み……雅閻魔大王様……」
普段から顔色の悪いガレスが、さらに青ざめて呻いた。
「その小娘が閻魔大王だと? バカ言って誤魔化すな!」
「小娘とは……わらわ、そんなに若く見えるかのぉ。うれしい限りじゃ」
とぼけるように微笑む雅閻魔。しかしその声には、圧倒的な威圧が込められていた。
「まぁ、今お前たちに用事があるのは……別の者たちじゃ」
その言葉と同時に、部屋の外から悲鳴が響いた。
「キール! 助けてくれェ!」
ガチャリ――扉が開き、血まみれで骨の折れたキールの仲間たちが投げ込まれるようにして転がり込んできた。
「な……何が……!」
その後ろから姿を現したのは――五体のダークゴブリン、そして、その中心に立つ、黒き王。
「やっと見つけたぞ……ハリア、キール、ガレス……」
「な、ゴブリンが人語を……!」
「お前たちのせいで、我らの同士たちが多数殺された。許さない……絶対に許さない」
「笑わせるな! お前らが子供を襲えば、人類の敵だろう!」
「我らは……地蔵菩薩様の慈悲によって、子供たちを守ってきたのだ」
「……そんな馬鹿な」
キールはゴブリンの正体を知っていた。咄嗟に目を閉じる。
「それは本当のことじゃよ」
静かに告げる雅閻魔。その言葉に、ブラックゴブリンキングは一礼した。
「地蔵菩薩様……申し訳ありません。こんなことになるとは」
「よい。そなたの行い、今後の行いも不問にするぞ」
「ありがとうございます……」
「勝手なことをぬかすな! 俺は次期皇帝――」
バキィッ!
叫んだハリアの左腕が、ブラックゴブリンキングによって掴まれ、無慈悲に握り潰された。
「ぐあああっ!!」
「これまでの恨みを返させてもらう」
左鬼が即座に叫ぶ。
「オレク! エレノア! こっちへ!」
二人に呼びかけると、皆が執務室の窓際へと集まった。
直後――
執務室の中央で、復讐の宴が始まった。
ダークゴブリンたちとブラックゴブリンキングが、ハリア、キール、ガレス、そしてその仲間たちを容赦なく殴りつける。骨が砕け、血が飛び散る。
あまりに凄惨な光景に、左鬼は雷のシールドを展開し、部屋中央を隠すようにモザイクを施した。
「も……もう許して……」
「助けて……」
「……キール……」
呻き声だけが、静まり返った部屋に残っていた。
――名声のために弄ばれた命たちの、報復はようやく果たされ始めたのであった。




