第70話 キヨサトの火災と火熊(ファイベア)
太古の森にあるキヨサト町──それは、大陸中央から北東に位置する深き森とともにある町。ハーフエルフたちが静かに暮らすこの地は、何千年と根を張り続ける世界樹を守護し、その豊かな木材を各地に供給してきた。エデンの森――人類誕生の地と呼ばれる聖域も、このキヨサトのさらに北東に存在しており、町はその入口を守る役目も担っている。
エレバン帝国からそう遠くない場所にあるキヨサトは、地政学的にも重要な地。今はイザーナの存在を隠すために、エバは帝国の北にあるミホロ町からキヨサト町へ向かうルートを選んだのだった。
ミホロ町からキヨサト町の森に差しかかった時だった。風の匂いが変わる。鼻を刺す焦げ臭い風――それが、エバの眉をひそめさせた。
「キヨサトの方から煙が見えるな……それも、かなりの量だ」
「まさか火事?」と、エリアが思わず息をのむ。
「可能性は高いな。急ごう」
エバの声に応じて、エレノアが水竜クルルの首筋に手を添える。「お願いね」と囁けば、クルルは応えるように空へと舞い上がった。
雲を裂き、風を切って進んだ一行の目に飛び込んできたのは、燃え上がる森だった。黒煙が空に渦巻き、木々をなぞるように炎が舐めていた。
「まだ町には届いてないけど……」エリアの目が細まる。
「これは時間の問題ですね」
「どうする、エリアよ?」とエバが問う。
その時、エリアの視線がある一角に留まった。炎の中、暴れる大きな影と、懸命に立ち向かう冒険者たちの姿――。
「あれは……火熊? しかも五体……! あそこにいるの、ハーフエルフの冒険者達ですね」
「火熊、別名ヒグマ。単体ならランクCでも討てるが、五体同時は厄介だな。風魔法が得意なハーフエルフでは、火属性の魔物とは相性が最悪だ」
エバが火熊の情報をだし、状況は一刻を争う。エリアは即座に指示を出した。
「オレクとエレノアは火熊の方へ。イザーナはアクアディア様を。私は彼らの援護に回ります」
「分かったぜ!」
「了解!」
「召喚、すぐに始めます!」
クルルから、オレクとエレノアが飛び降りる。イザーナはクルルに乗ったまま水をまとい、宙に魔法陣を構築していく。
「深淵の水晶より蒼き波動を紡ぎ、九つの星辰を瞬く水の宇宙に呼応せし超位精霊よ……!」
詠唱とともに、杖から溢れた蒼の光が収束し、ひとつの姿を形作る。全身を水晶のように輝かせた、美しき精霊の姿がそこに現れた。
「超位精霊・アクアディア、召喚!」
魔法陣から召喚されたアクアディアは天に舞い上がると、静かに右手を掲げた。
「セレスティアル・レイン!」
轟音とともに、空から激しい雨が降り注ぐ。炎を包み、焦土を冷まし、キヨサトの森は次第に鎮まり始めた。
「アクアディア様……!」
「助かった……!」
雨に濡れながら呟くハーフエルフ達の頬に、安堵の色が浮かんでいく。
エリアは駆け寄りながら名乗った。「助太刀に参りました。火熊は仲間が討ちます。火の後処理をお願いできますか?」
「はい! 皆、消火へ!」
その頃――。
火熊の五体の前へ飛び込んだオレクは、鋭く地を蹴って構えを取っていた。
「さて、集まってもらおうか!」
オレクのあとから飛び降りたエレノアはふと気付く。
(あれ? 私まで飛び降りる必要……なかったのでは? あ、やば、デオドラント……!)
「オレク! 挑発使って! 挑発!!」
だが声は届かず、オレクはおもむろに右手を挙げた。
「魔物誘引!」
――魚の腐ったような刺激臭。鼻が曲がるような悪臭が一帯に漂う。地面に着地したエレノアは、その瞬間――。
「ムギャアアア!!」
エレノアは鼻を押さえ、苦悶の表情でのたうち回った。
オレクは慌てて地面に魔力を叩きつけ、高さ四メートルの石柱を出現させると、彼女をその上へと避難させた。
「そこに居てくれ!」
集まった火熊たちが爪を振り下ろすが、オレクには傷一つ与えられない。逆に火熊の爪が砕ける音が響いた。
「よし、出てこい――アダマンナイト!」
ロックウェルの分身――最高硬度を誇る鉱石から成るゴーレムが、オレクの持つペンダントから姿を変えて現れた。
両腕に鋭い剣を備えたその巨体は、咆哮を上げる火熊たちの横へと踏み込み、次々と斬り伏せていく。
その頃、ようやく嗅覚を取り戻したエレノアが立ち上がった。
「さあ、反撃よ!」
氷の針が空を裂き、火熊の体に鋭く突き刺さる。さらに、クルルがイザーナとエバを安全な場所へと降ろすと、そのままエレノアの隣に並び、アクアブレスを放つ。冷気を帯びた水流が火熊たちを次々となぎ倒していった。
「ふぅ……さすがに火熊に囲まれると暑かったな」
「お疲れさま。……ていうか、私、降りる必要なかったんじゃない!」
「まあ、勢いってやつだな」
エレノアは心の中で固く誓った。
(次からは、オレクが敵を引きつけてから動こう……)
その間にもオレクは、倒した火熊を手際よく解体し、マジックバックへと回収していく。
「素材も食料も手に入るからな。無駄にはできん」
戦いを終えた森の奥。降り注いでいた雨がようやく止みかけたころ、ふいに、何かを言い争うような二つの気配が感じられた――。




