第7話 ミラー領領主
一方、ミラー領主館に到着したリアムは、無事救出したエミリお嬢様を使用人へ引き渡し、領主ルーク・ミラーの部屋へと向かった。
「娘を助けてくれたそうだね。心より感謝するよ」
ルーク領主は穏やかな口調でそう言った。
「いえ、助けたのは私ではありません。メイソンと、彼が出会ったという男性です」
「……メイソンが、生きているのか?」
驚きと同時にわずかな感情が、ルークの顔に浮かんだ。
「はい。諜報員には伝えるよう命じたのですが、まだ届いていなかったようですね」
「そうか……生きていて何よりだった」
だが、リアムの目には、ルークの反応が奇妙に映った。娘の無事を知っても表情は変わらず、まるで心ここにあらずといった様子――
(やはり様子がおかしい……)
近頃のルークには、領内でも異変が囁かれていた。多くの兵士や冒険者が姿を消し、妻イザベラは原因不明の不治の病で床に伏したまま。精神的に不安定になってもおかしくはない状況だった。
リアムは気を取り直し、メイソンから聞いた南東樹海での出来事を淡々と報告した。
「つきましては、南東樹海およびその周辺への立ち入りを禁止し、調査を開始したく思いますが、よろしいでしょうか」
ルークは一瞬考え込むと、低く答えた。
「ああ、分かった……だが、姿は魔物と化し、心はそのままとなると厄介だな。治せるのか?」
「メイソンによれば、彼を助けた男――名を“空”といい、その者のスキルによって凶暴化を鎮めたそうです。姿は変わらぬままですが、希望はあるかと」
「……ふむ。では南東樹海一帯を立ち入り禁止とし、調査隊を立ち上げよ」
「早速、取り掛かります」
その場に居合わせた兵隊長も、すぐさま命を受け動き出していった。
「そういえば、参謀ムドーはどちらに?」
「ん? 今日は見かけていないな。兵士が減ってしまったので、エレバン帝国へ補充要請と再編成の準備をしているのだろう」
「なるほど……」
「さあ、お前も準備を急げ」
「はっ!」
軽く頭を下げ、リアムは部屋をあとにした。
ルークはふと天井を見上げ、小さく呟いた。
「まさか、メイソンが生きているとはな……」
そのとき、部屋の柱の陰から、黒い影が音もなく現れた。参謀ムドーだった。
「熊になったと聞きます。どうせ何もできやしませんよ」
「……そうだな。だが気になるのはメイソンではなく、彼を助けた男、空とか言ったか……」
「ええ。見張りをつけましょう。いざとなれば、メイソンと同じ運命にして差し上げますよ……ヒッヒッヒ」
「……“あのお方”の準備はどうだ?」
「抜かりなく進めております。計画通りに運べば、奥様もきっとお元気になられます」
「……そうか」
「くれぐれも、余計なことはなさらぬよう。お気をつけて」
ムドーはそう言い残し、再び影のように姿を消した。
ルークは拳を握りしめ、呟いた。
「私は……たとえ悪魔に魂を売ってでも、妻を助ける。待っていてくれ、イザベラ……もう少しで、治してやるからな」
――
領主館を出たリアムは、空を見上げつぶやいた。
「……ルーク様、やはり奥様のことを思い、気落ちされているのか。しかし、メイソンの魔物化と何か関係があるのでは……」
そう言いながら、諜報員Aを呼び出す。
「ルーク様とご家族の安全確保、そしてムドーの監視を頼む」
「はっ!」
諜報員Aは一礼し、すぐにその姿を消した。
(どうも、あのムドーという男が気に入らない……)
リアムは心中で思う。
(二年前、エレバン帝国からの推薦状を持って現れ、調べても問題はなかった。しかし、彼がミラー城塞に来てから、イザベラは病に倒れ、冒険者たちは樹海で次々と消息を絶った……)
証拠はない。だが直感が告げている――何かある。
(メイソンが生還したことで、あの男に何か動きがあるかもしれない……)
リアムは静かにギルド館へと歩を進めた。