第62話 鬼火の燐火
イフリートのもとを訪れたイザーナは、精霊契約の話を持ちかけるつもりだった。
しかし、当の本人である火の超位精霊イフリートは、どうやら別の話をしているらしい。
「よく来てくれた、皆々様方! 我は火の超位精霊イフリート!
長き付き合いになりそうで、嬉しく思うぞ。本日は気分が良いので……月額金貨十枚でどうだろうか!」
にこやかに言い放つイフリートに、サラマドは思わず頭を抱えた。
「申し訳ありません、イフリート様……何のお話でしょうか?」
イザーナが困惑気味に尋ねる。
「分かっておるよ。持ち運びもできて火力も抜群、最近では耐久性も上がっておるらしい。壊れにくいとくれば、月に金貨十枚は破格だろう!」
誰一人として話の内容が理解できずにいると、サラマドが小声で皆に耳打ちした。
――イフリートは新商品の携帯型ホットプレートのレンタル契約と勘違いしており、肝心の精霊契約のことをすっかり忘れているらしい。
エバが呆れながら囁いた。
「……まあ、超位精霊が契約なんて滅多にないから、忘れるのも無理はないか。英雄や一部の魔術師が上位精霊のサラマンドラと契約しに来る程度で……。イフリートと契約できるのは、勇者か救世主だけ。……で、あれ? 勇者は……」
「それが……イフリート様、“ちょっと強い冒険者”と勘違いしてしまったようで。勇者様は結局、サラマンドラと契約して帰られてしまったそうです……」
「……なんと。とにかく、イザーナよ、精霊契約の話をしてみよ」
うなずいたイザーナは一歩前に出て、イフリートに向き直った。
「イフリート様。ホットプレートの契約ではなく、わたくしとの精霊契約をお願いしたく、参りました」
「……精霊契約? サラマンドラなら、数年前にどこぞの冒険者と……」
「いえ、イフリート様。わたくしと、です」
その瞬間、イフリートの動きが止まった。完全に精霊契約の存在を忘れていたらしい。
見かねたように、イザーナの左肩の上で宙に浮かぶ小さな火の玉が、ゆらりと揺れて厳しい声を放った。
「いい加減になさい!」
「……なんだと?」
「精霊契約を忘れるとは……老害にも程がある!」
「あぁ? 小さな火の玉ごときが、我を老害扱いだと?」
「老害でなければ、認知症か?」
「金貨になると思って下手に出ておれば……いい気になりおって! 身の程を教えてくれる!」
「皆さん、後ろに下がっていてください。少し、お仕置きが必要なようです」
火の玉の指示に従い、全員は金の扉のそばへと静かに退きながら、空は一応グラビィティビットを出し防御をしようとしたが、雅閻魔に心配無用と合図をされ、大人しく見守る事にした。
「フハハハ! 火は熱量が高いほど強いのだ。我は六千度の高熱を持つ火の王よ。きさまのような赤い火は、せいぜい千五百度が限界であろう! 謝るなら今のうちだぞ……まあ、月額の金貨は五十枚にするがな!」
「能書きは結構。本気で来なさい!」
「ならば、我が全力の熱で貴様を取り込んでくれよう!」
イフリートは咆哮した。
「ファイノンブレイズ!」
火属性上級魔法と、口から放たれる高熱のブレスが合わさり、火炎ブレスが小さな火の玉を包んだ。
しばらくして、今度はブレスを吸い込み始め、火の玉ごと飲み込もうとする。
「さあ、我のブレスで火の玉も良い感じに炙れただろう。我の中に取り込んでくれる!」
だが吸い込みを終えて前方を見ると、小さな火の玉は何事もなかったかのように、元の位置に浮かんでいた。
「な、なんだと……?」
「弱火だったな。本気で来いと言ったはず」
イフリートの龍の顔が一瞬引きつったが、すぐに強がってみせた。
「ふん、まぁまぁやるではないか。ならば、そちらが攻撃しやすいように……我の顔を近づけてやろう」
どうぞ攻撃してみろと言わんばかりに顎を突き出し、火の玉の目前まで顔を寄せたイフリートだったが――その火の玉の中心の色が、赤から黄色、そして白へと変化していくのを見た。
「わ……我と同等の白だと……!」
さらに中心は水色、青へと変わり、ついには黒い点が現れる。
「ちょちょちょ、ちょっと待て……!」
その言葉を最後に、イフリートの巨体は、小さな火の玉に吸い込まれていった。
――火の色は温度に比例する。
赤は千五百度、白は五千度以上、水色は一万度、青で五万度、そして黒は……一兆度を超える。
火は温度が高い方が、低い火を飲み込む。
イフリートの六千度は、一兆度の黒い中心を見た瞬間に、無力だった。
火の玉の中から、情けない声が響く。
「すみません! すみません! すみません!」
それは、イフリートの声だった。
「すみません! 鬼火の燐火様! いえ……お母様!」
「私をも忘れるとは……呆れて物も言えん……!」
火の玉の正体は、鬼火の燐火。
この宇宙すべての火と炎を司る存在にして、イフリートの産みの親。
宇宙開闢時に生まれた最初の火であり、その温度はかつて百兆度にも達したという。
現在でも安定して一兆度を超える熱を生み出し、地獄の炎は彼女が管理しているという。
まさに、超常の存在であった。
金の魅力に取り憑かれ、その名を忘れたイフリートに、火の母は今、厳しく、そして熱く怒っていた。




