第61話 食い違う契約
エリアたちは、ついに火の精霊都市〈インフェルノ〉へと到着した。赤く灼けたトーカチ山内部――炎の息吹が絶えず吹き上がるその場所には、熱と光とマグマの奔流が交錯し、まさに“火の民”の拠点と呼ぶにふさわしい威容が広がっていた。
都市の族長サラマドは、火の超位精霊イフリートとの対面に先立ち、一行にこう告げた。
「それでは、イフリート様がおられる〈精霊殿〉へご案内いたします。昨日お渡しした《水の指輪》の装備をお忘れなきよう」
エリアは神妙な面持ちでうなずいた。
「分かりました」
〈精霊殿〉は、インフェルノの地下深く――マグマ溜まりのすぐ傍に築かれている。灼熱の空気が肌を焼き、空気すら熱に揺らめく空間。常時八十度を超える室内、そこへ足を踏み入れるには、火属性の耐性、水属性か氷属性の障壁、もしくは特殊な魔具――《水の指輪》の加護が不可欠だった。
一行は族長館の裏庭に設けられた出入口から、ゆっくりと地下への階段を降りていく。階段の先、最下層に現れたのは、堂々たる金色の扉。まばゆいほどに磨かれたそれは、まるで金そのものを神聖視するかのような神殿の威厳をまとっていた。
その隣には、鉄と銀を合わせて作られたステンレス製の一回り小さな扉が並んでいる。どうやらイフリート本人以外は、この合金扉を通じて出入りしているようだ。
「それでは皆様、少々お待ちを。イフリート様にご挨拶し、扉を開けてまいります」
サラマドはそう告げると、ステンレス扉の向こうへと消えていった。
そして――
「イフリート様、おはようございます」
薄暗い広間の奥から聞こえたのは、溜息にも似た声だった。
「……嗚呼、なんて美しい……! 何度見ても飽きることのないこの輝き、金、金、ゴールド……!」
黄金の山に囲まれ、陶然とした表情で見入る巨大な影。その正体は、火竜の姿をしたイフリート――精霊の頂点に立つ存在であった。
体長は三十メートルを超え、紅蓮の翼がわずかに動くだけで熱風が吹き荒れる。紅玉のように燃える瞳。岩のような鱗をまとった蜥蜴のような巨体は、まさしく神話に語られる竜のそれである。
イフリートの前に積み上げられているのは、整然と積まれた金の延べ棒の山。まるで一つひとつに愛情を注いで磨き上げたかのように、どれも輝きを放っている。
彼にとって金とは、単なる富や貨幣などではない。それは生きがいであり、誇りであり、存在の証であった。
サラマドの声にようやく顔を向けたイフリートは、いささか不機嫌そうに唸った。
「ん? おお、サラマドか。朝から珍しいな」
「昨晩、お話しに参ったはずですが……お忘れですか?」
「ふむ……昨日だったか、数年前だったか……いやはや、長く生きすぎると記憶も曖昧でな……」
どこか他人事のように言いながら、イフリートは未練がましく再び黄金の山へと視線を戻す。
サラマドはため息をついた。
「まったく……イフリート様と契約を結びたいという冒険者が現れました」
「契約? ああ、月に金貨一枚で契約してやると伝えてくれ」
その即答ぶりに、サラマドの眉がぴくりと跳ねる。
「……月の契約? いえ、そういう話ではなく」
「鉄の輸出ならお前たちに任せてあるし、新商品の携帯型ホットプレート以外になんの契約がある? 」
どうやらイフリートの頭の中は、インフェルノで製造されている“ホットプレート”の月額レンタルと金貨の事でいっぱいらしい。
〈ホットプレート〉
火の魔石を細かく砕き、高熱伝導性をもつ鉄と錬成・融合した特製鉄合金から作られた魔導コンロ。精霊都市〈インフェルノ〉の鍛冶ギルドが数年前に開発・販売を始め、瞬く間に家庭用・業務用として広まった。
火力調整は魔石の制御層を調律することで行え、細火から強火まで段階的な調節が可能。熱のムラが少ないのが特徴である。
近年では、軽量なアルミ合金と小型魔石炉を組み合わせた携帯型ホットプレートも登場。屋外調理や旅先での使用を想定したモデルで、冒険者や旅商人の間で人気を集めている。
契約 ――彼にとって、それは「金貨をもたらす者」としての期待しか意味を持たなかった。
「これは、直接ご本人にお話しいただいたほうが早そうですね。イフリート様! 契約を望む冒険者たちをお連れしました。ぜひお会いください」
「ふむ……分かった」
(ホットプレートの契約ごときで、随分と大げさだな……だが金は逃さぬ)
重厚な金の扉がギィィ……と地鳴りのような音を立てて開かれる。燦然と輝く黄金の間に、一同は慎重に足を踏み入れる。
「お初にお目にかかります、イフリート様。私はエレバン帝国皇女、イザーナ・エレバンと申します」
「エレバン帝国、第四師団、近衛隊長のエリアと申します」
「ミラー領冒険者ギルド、サブマスターのエレノアと申します」
「ドリード王国の冒険者、オレクだ」
「エバーテイン魔法国、国王のエバ」
「天使の空と申します」
「儂は左鬼のサキと申す」
「よろしくな」
最後に控えていた雅閻魔が、静かに口を開いた。
一人一人を眺めながら、イフリートはゆっくりと笑みを浮かべた。口角が吊り上がり、瞳には別種の炎が宿る。
(八人か……しかも帝国の皇女に、魔法国の王……どこかで聞いた名もちらほらあるが……)
燃えるような瞳が、彼らの衣装、装備、身なりに無遠慮に這う。
(これは……良い金づるになりそうだな……)
イフリートは、冒険者たちとの「契約」の意味をようやく理解し始める――ただし、彼の中でそれは、彼からどれほどの金貨を引き出せるかという、極めて現金な意味合いでしかなかった。




