第54話 虚構の令と真なる目的
シールド領北東樹海の入口にほど近い前線基地から、イザーナ皇女の捜索隊が出発してすでに十日が経過していた。
この前線基地は、樹海から出てくる魔物を防ぐべく建てられた防衛拠点のひとつであり、高い防御壁が北へ向かってゆるやかな円を描きながら、千五百キロにもわたって連なる長壁へと繋がっていた。通常はこの壁上から弓兵や魔術師が魔物を討伐するのが任務だが、今やその目的は大きく変わっている。
――皇女イザーナの捜索と奪還。
基地の士気は緊迫していた。帝国の皇女を攫った魔獣の正体が依然として不明なまま、兵士たちは焦りと苛立ちを隠せずにいた。
その基地から南へおよそ二十キロ、北東樹海の中にひっそりと存在するダンジョンを改良したアジトがあった。昼でも薄暗いこの樹海の洞窟で、キールたちは妖狐やゴブリンたちに監視されながら、息を潜めるように日々を過ごしていた。
すでに先発隊の兵士たちがこの周辺に到達していてもおかしくない頃合いだったが、アジトは今なお発見されていなかった。
それも当然のことだった。
「さすが妖狐はんの幻術や。アジトなんかまるっきり分からへんわ」
リスに化け、外の様子を窺っていたぽん吉が、霧の結界の中に戻ると感心したように呟いた。
「ふふ、そらそうやろ。あたしの幻術を見抜くなんて、そうそうおらへんよ」
妖狐は艶めいた口元に薄い笑みを浮かべながら、長い尾をくゆらせる。
「けどなぁ、最近はちょくちょく第一師団の兵士らしい奴らも見掛けるようになってきてるんや」
「ほぉ……ということは、イザーナ捜索ってのも本気みたいやね」
「それとや。北の方から魔物たちが追い払われるようにして南下してきとる。おそらく北側全体から、兵士らが森に入って来とるんとちゃうかな」
「……ふむ。最初に潜入して来た連中には、暗殺部隊も混じってた。キールたちやイザーナを見つけ次第、即座に処分する腹づもりやろな」
「ひぃ〜、怖いなぁ。キール、お前達を殺しに来とるで〜?」
ぽん吉が茶化すように振り返ると、キールは返事もせずに目を逸らした。その横で、ゴブリンの一体が棍棒のような木の棒で彼の足をコチコチと叩いていた。
「ギギッ、さっさと働けッ!」
小さな衝撃。しかしキールにとっては、それ以上の痛みだった。
彼の体には拷問具――「アイアンメイデン改」が装着されており、あらゆる刺激が痛覚神経に直接届くよう改造されていたのだ。ささいな刺激が激痛へと変換され、逃れようのない苦痛となって襲いかかる。
(……ハリアの兵士達が俺たちを殺しに来る。やはり証拠隠滅するつもりか。逃げ場なんて、最初からなかったんだ……)
キールの胸中には、かつて己が積み重ねてきた数々の悪行が重くのしかかっていた。それを今すべて暴いてハリアを道連れにするか、あるいは口を閉ざしたまま地獄へ堕ちるか――。
(……くそっ、どうする俺……)
その内なる葛藤を見透かすように、ぽん吉がにやりと笑う。
「悩んどる悩んどる。もう全部バレとるっちゅーのに、ホンマ人間っておもろいわぁ」
そのとき、長椅子の影から静かに一人の男が現れた。
「妖狐様」
「……あら、半蔵やないの。どないしたん?」
現れたのは、死してなお任を解かれぬ忍者、半蔵であった。彼は地獄の十王の一柱・五官王に仕える鬼であり、地上に顕現された雅閻魔に付き従い、もう一人のルシフィスの監視を任されている特殊な存在である。
「ここより南西側の森にて、茶褐色の肌、赤い目をした人間サイズのゴブリン五体を確認。隊列を組み、小隊のような動きを見せておりました」
「……人間サイズのゴブリンやと?」
妖狐が目を細めると、ぽん吉が顔をしかめた。
「普通のゴブリンは百二十センチ前後、力も子供並。そいつらが成人並みの体格で装備もしとるなら、間違いなく……ダークゴブリンやな」
「せやな。統率されてるってことは……リーダー格が出てきとるかもしれへんな」
「それと……奴ら、突如として森の中に現れました。おそらく、地下にトンネルがあり闇国側から移動してきているのでは、と推測しております」
「地下から来とったら、そら見つからんわけやわ……ぽん吉、空はんにこの情報伝えて、ついでに調査も頼んどいてくれる?」
「了解、まかせとき!」
ぽん吉は軽やかに跳ねて、天空門へと消えていく。
「半蔵はん、ありがとな。うちのアジト、使いたいときは好きに使ってええよ。料理も悪くないで?」
「御意。感謝いたします。では、私は持ち場に戻ります」
一礼し、すっとその姿を霧の中に消していった半蔵の背を見送りながら、妖狐は小さく呟いた。
「さてさて……ブラックゴブリンキングが、何をしようとしてるのか。見ものやわ」
妖狐とぽん吉の真の任務――それはキールたちの監視であると同時に、ブラックゴブリンキングの行方を追うことにあった。
アジトに入ってから二週間、姿も気配も掴めなかったが、ついに半蔵が持ち帰った情報が状況を大きく動かしたのだ。
キールたちのアジトから南西に位置する樹海に、突如として現れたダークゴブリンたち。
その出現の背後に見え隠れする、地下トンネルという存在。
すべては、嵐の前触れに過ぎなかった。




