第48話 地獄のブートキャンプ
「強くならなきゃ……」
イザーナのそのひと言は、まるで沈黙を貫く鐘の音のように、エリアとエレノアの胸にも響いていた。
迷いはなかった。イザーナの決意はすぐに行動へと転じ、三人は静かに鬼ヶ島へと向かった。鬼ヶ島の外れにある地獄の修練場は、地獄で働く鬼たちのストレス発散場と共に、闘技場や宿泊施設があり心身ともに鍛える場所となっていた。
そこには、魔法国国王エバ、雅閻魔、そして鬼族の武の化身たる左鬼が待ち構えていた。
修練場の名は『地獄のブートキャンプ場』
それは名ばかりの比喩ではなく、生きる覚悟を問う場であった。
「いや〜……あれ、なんなのっ!?」
鋭く息を吐きながら、エレノアは荒れ地を逃げていた。足元には岩と灰の混じる堅い地面。空は赤く淀み、重力はイオの1.5倍。逃げるだけで肺が焼けつくように苦しい。
その背後を、炎を纏った巨大な車輪が音を立てて迫る。車輪の中心に、異様なほど巨大な顔が浮かんでいた。瞳孔は開ききり、口は裂け、呻くような声を上げている。
輪入道――見る者の魂を刈り取る妖異。
「捕まると魂、抜かれるのじゃぞ〜」
その車輪の上に、雅閻魔が軽やかに腰かけていた。飴を舐めるような声でそう言いながら、涼しげに宙を舞う。
地上には火の玉が飛び交い、逃げ場などどこにもなかった。
「ひぇええ〜〜〜〜っ!!」
叫びながら走るエレノアを、少し離れた岩陰から見つめていたのはエバだった。彼女は腕を組み、薄く笑みを浮かべていた。
「鈍った身体には、これぐらいが丁度いい。元は英雄パーティー候補だったのに、事務仕事ばかりしていたんだ。いい機会だ、鍛え直してやる」
「エ、エバ様〜〜っ!」
エレノアは叫びながらも、ようやく理解し始めていた。自分がこの地へ送られた理由を。
(そうか……私、戦う力を置き去りにしてきた……ギルマスに甘えて、ランクBで満足してた……)
そのとき、エバの声が容赦なく飛ぶ。
「そうだランクBまでは、生きていれば誰でもなれる!だがAになるには――覚悟がいる!それを問う場所が、ここ。地獄のブートキャンプ!」
「こころを読まないでください~」
逃げつつも、その言葉が胸に突き刺さる。
だが次の瞬間、彼女の前に一人の人影が見えた。
その背中は、確かに見覚えがあった。エリア。姉の姿だった。
「お姉ちゃん!助けて……」
そう呼びかけた瞬間、その人物がゆっくりと振り返った。
「わたし、綺麗……?」
その女の口は、耳元まで裂けていた。血のような笑み。マスクはしていない。妖気が漂い、時間が止まるかのようにエレノアの意識が凍りついた。
「ポ、ポマード……」
呟いた直後、彼女はその場で意識を手放した。
――微かな鼻歌が聞こえる。
温もりに包まれながら、エレノアはまどろみの中にいた。
(……この歌……懐かしい……母さんがよく歌ってた。姉さんと一緒に、真似して……)
ゆっくりとまぶたを開くと、そこにはエリアの優しい眼差しがあった。
「……大丈夫?」
彼女の視界に入ったのは、姉の胸元だった。柔らかな起伏が視界の半分を占めている。
「……姉さんって、そんなに大きかったっけ……」
呟いた瞬間、エリアは顔を赤らめ、肩を引いた。
「そ、そんなに大きくないわよ!」
「姉妹なのになんでこんなに違うかな……」
「知らないわよ!……もう、元気なら起きて!」
「はいはい、分かりましたよ」
気まずさを笑いに変えながら、エレノアは身を起こした。そこへ、先ほどの裂けた口の女が再び姿を現した。
「さっきはごめんなさいね。驚かせるつもりじゃなかったの。……後ろから声をかけられると、脅かして追い返す癖がついてて。右鬼様からはマスクつけろって言われてるから、次からちゃんとするわ」
「い、いえ……こちらこそ、失礼しました」
エレノアは頭を下げる。女は優しく微笑み、他の妖怪たちの元へと戻っていった。
「ここでは皆、仲良くしないとね」
エリアが笑みを浮かべる。だがその声の裏に、鋭い緊張が混じっていた。
「ところで……イザーナ様は?」
「今、エバ様から魔法使いと僧侶の基礎を学んでる。ちょうど、魔力解放の儀式が始まるところよ」
「懐かしい……私も受けました。白い魔力に包まれて、適性のある属性が現れていくんですよね」
「そう。大半は一属性。二属性はまれで、三属性ともなると極めて稀。私は四属性以上の人なんて見たことがないけど……」
「私は水と氷の二属性って言われました」
「氷属性は希少だからね……。イザーナ様は、どんな属性を持つのかしら」
「見に行きましょうか」
「ええ」
エリアとエレノアは、荒れ地を越えて、魔力の光が瞬く祭壇へと足を運び始めた。イザーナの未来、そして三人に課せられる次なる試練が、そこには待ち受けている。
彼女たちが歩む道の先にあるのは、真なる覚醒か、それとも――破滅か。
それを決めるのは、彼女たち自身だった。




