第47話 イザーナの悩み
天空門の屋敷にて。
静寂が重くのしかかる室内の隅、イザーナは小さくうずくまり、膝を抱えていた。深くうなだれたその姿は、崩れた瓦礫のように痛ましく、かすかなすすり泣きが時折、床を震わせた。
そっとその背に手を添えるのは、近衛隊長のエリアである。彼女は無言のまま、震えるイザーナの背を優しく撫で続けていた。
「姫様……お気を確かに」
声をかけながらも、返事はない。ただ唇がかすかに動き、小さな声で何かを繰り返していた。
ハイリス、そしてハノスまでもがこの世を去った。兄たちの葬儀の前夜、イザーナは部屋の壁にもたれ、震える手で口元を押さえた。頭の奥が軋むように痛み、胸が焼けるように熱い。
次々に思い出される兄たちの笑顔が、波のように浮かんでは消えていく。
「……あの時、わたしが無邪気に泣いてすがったとき……
あなたは、もうハイリス兄さまを殺していたの……?
“ゴブリンの仕業だ”と、優しく言ったその唇が……
その命を奪ったあとだったなんて……
本当に……気づけなかった……」
涙が、止まらなかった。心が張り裂けるような想いに、足元から崩れ落ちる。だがそのとき――イザーナの心の奥で、何かが、確かに目を覚まし始めていた。
「これが……あなたの望んだ“皇位”……?
血で築いた帝国の未来を、わたしは……見過ごせない。
見過ごさない。たとえこの身が焼かれても……
兄たちの名誉を、わたしが取り戻したい……
だけど……わたしには、力が……どうしたら……」
そのときだった。突如、部屋の戸が静かに開かれ、二つの異形の影が現れた。
「おやおや、なんじゃこの空気は。まるで……葬式のようじゃ」
空を探してやってきた、雅閻魔が肩をすくめ、室内の沈痛な雰囲気に眉をひそめる。
続けて、エレノアが勢いよく飛び込んできた。
「姉さん!……あっ、雅閻魔様、左鬼様!こんにちは!」
「うむ、元気そうで何よりじゃ」
雅閻魔は、すぐにイザーナへと目を向けた。すべてを見透かす鋭くも温かなその眼差しが、イザーナの弱った心に静かに触れる。
「イザーナよ。お主のまわりを、よう見るのじゃ。力になってくれる者たちがおるぞ?」
イザーナは顔を上げた。その目に映るのは、涙を堪えて真っすぐ自分を見つめるエリアの姿。
「私は……いつまでも姫様のお力になります。どんな時も、そばにおります」
そう力強く言い切ったエリアに、エレノアも大きく頷いた。
「私も……まだまだ未熟ですが……イザーナ様と姉さんの力になりたいです!」
――あたたかかった。
かつての兄たちのように、いやそれ以上に、無償のまなざしが、自分の存在を肯定してくれていた。
「……ありがとう……わたしも……わたしも、強くならなきゃ……」
かすかに揺れるその声に、ようやく生気が戻っていた。イザーナの瞳に浮かんだ涙は、悲しみのそれではない。痛みと共に差し込んだ、再起の光。
そして、そこへ空が現れ、静かに皆に挨拶をすると、彼と共にいたもう一人の存在が前へ進み出た。
「お初にお目にかかります。私はエバーテイン魔法国国王、エバと申します。」
左鬼が頭を下げる。
「これはご丁寧に。儂は左鬼と申します。こちらが雅閻魔大王様です」
「お主がエバか、よろしくな」
「初めまして。よろしくお願いいたします」
謎多き初源の人間、エバ。彼女には寿命はなく、地獄の世界の住人とは無縁の存在であり、地獄の主と顔を合わせるのはこれが初めてだった。
だが、その姿を見た途端――
「ひっ! エバ様!?」
エレノアが震え上がる。
「おや?……魔法剣士……エレノアですね」
「はひっ!」
「そんなに緊張せんでいい」
――だが、無理もない。エバーテイン魔法国で魔法を学んだ者にとって、“エバ様”の名は恐怖の象徴でもあった。初日の授業で行われる“地獄の魔法障壁訓練”――魔力の限界まで攻撃され続けるその試練は、若き魔法使いたちにとってまさにトラウマであった。
その様子を見て、雅閻魔がふと微笑んだ。
「良い機会じゃな。エバよ、この三人を鍛え直してくれぬか?」
「それはちょうど良いですね」
エバはエレノアを見て、にこやかに頷き、すでに空との用事など忘れたような表情だった。
「場所なら丁度よい訓練場があるぞ。左鬼」
「お任せを!」
その場の空気が一転する中、エレノアは青ざめながら小さくつぶやく。
「お姉ちゃん……私、死ぬかも……」
こうして、イザーナ、エリア、エレノア、左鬼、そしてエバの一行は修行のため鬼ヶ島へ向かうこととなり。
「さて、わらわも仕事があるゆえまたの〜」
そう言って、雅閻魔も姿を消す。
残された空は、少しだけ微笑み、ぽつりと呟いた。
「イザーナさん、少し元気になってよかったなぁ……って、あれ? エバさんって、何の話をしに来たんだっけ?」
そう、全てが急展開で、忘れられていた。
――だが、空の周囲では、常に何かが始まり、動き出している。
それが、彼の日常なのかもしれない。




